寄稿:温泉と人をつなぐもの ―文学・擬人化・コンテンツ―
はじめに
環境省自然環境局によると、平成三十年三月現在、日本の温泉地は約三千箇所存在し、一位が北海道で244箇所、第二位は長野県で215箇所となっている。(注1)温泉地の果たす役割も近年、大きく変化しており、とりわけコンテンツを用いた地域振興は一定の盛況ぶりが窺える。
その中で顕著な具体例として『温泉むすめ』(注2)というコンテンツが挙げられる。詳細は後述するが、端的に言うと日本全国の温泉をモチーフにしたキャラクターがアイドル活動を行い、各温泉地を盛り上げていくというメディアミックス展開である。いわば温泉の擬人化という特徴が挙げられる。昔時においては、例えば温泉地に文豪が逗留し、その魅力を文学作品(活字)を通して読者に伝えてきた。そして読者は作品世界を堪能し、また現地への思いを馳せ(時には実際に現地へ赴き)、文豪の過ごした温泉地や作品舞台と自らを追体験のように重ねてきたわけだが、それが現在ではコンテンツ――キャラクターやそれに扮した声優(図像)がその魅力を伝えている。加えて温泉地でのイベントやキャラクターグッズの販売なども地元の観光協会や商店街も積極的に推進させており、地域振興の一助として担い始めている。(注3)こうした現象は活字から図像へとシフトする多様化したメディアの影響が大きく、温泉と人をつなぐ媒体が変移している証左と言えるだろう。
そこで本稿では、文学的見地を踏まえつつ昔時から昨今までの温泉と人をつなぐ現象についてささやかながら検証を試みたい。そこから「文学」「擬人化」「コンテンツ」といったキーワードを軸として、メディアの多様化とともに温泉と人をつなぐ伝達手法の変遷について考察してみたい。
一、温泉と文学
温泉と人との歴史は古く、近代における文人墨客はもとより、古代より多くの日本人が温泉に親しんできた。和歌や俳句、小説や紀行文、エッセイを始め、多くの文献からその様相は容易に読み取れる。近年では浦西和彦編著『温泉文学事典』(注4)といった事典も刊行されており、しかも同書ではインターネット上に『特別コンテンツ 温泉文学事典』(注5)というサイトが開設されている。温泉と文学との結びつきは深く、今までもこれからも各時代の風景や人々を刻みながら脈々と続いていくだろう。
温泉地を舞台とした作品は数多く、日本近代文学に目を向ければ、志賀直哉「城の崎にて」(城崎温泉)を始め、夏目漱石「坊ちゃん」(道後温泉)、川端康成「雪国」(越後湯沢温泉)、尾崎紅葉「金色夜叉」(熱海温泉)はもとより、太宰治「津軽」(浅虫温泉・大鰐温泉)、島崎藤村「千曲川のスケッチ」(田沢温泉・中棚温泉)、徳富蘆花「温泉」(湯ヶ島温泉)、坂口安吾「黒谷村」(松之山温泉)など枚挙に暇がない。言うまでもなく、これらの作品はごく一部であり、紙幅の都合上、全て取り上げることは困難である。詳細は前掲『温泉文学事典』を始め、温泉地と関わりのある日本近代文学作品をまとめたサイトがインターネット上に複数存在するので、そちらを参照されたい。(注6)
ちなみに作家自身、作品世界を通して温泉地の魅力を伝えていること大半だが、温泉論といった、つまり温泉地自体の魅力を直接述べている作品はさほど多くはない。例えば温泉好きな文豪として有名な田山花袋『温泉めぐり』(大正七年十二月 博文館)が挙げられるが、内実は情景描写が中心であり、いわばガイドブック的色彩が濃いと言える。
そうした中で、高木角治郎編『伊香保みやげ』(大正八年八月 伊香保書院)の序文として寄稿した幸田露伴「伊香保みやげ序―高木角治郎編―」に注目してみたい。
まず冒頭部分で露伴は、「溫泉の効能が其の泉質に本づくことは勿論である。アルカリ泉や酸性泉が其の持前の働きを人體に對して種種の働きを爲すのである。(中略)そして其の吸収から藥物的効果を惹起するのである」というように、科学的見地から温泉の効能を挙げている。続く以下の段落では「併し溫泉が人を益するのはそれらの意味からではない」とした上で、入浴自体が人体に良き効果をもたらすこと、また血流や皮膚、筋肉など各機能の新陳代謝が旺盛となり、「溫泉が人を益することも大きい」ことを述べている。また露伴は「又それのみでは無い」とした上で、温泉のあるような地は都会や平野ではなく、山間や海岸、また空気が清浄でかつ樹木の繁茂した心地よい場所であることが主であり、こうした地理的空間が「何程人をして愉快を感ぜしむるか知れない」ことを特徴として挙げている。
さらに「又それのみでは無い」という文言を繰り返し用いつつ、露伴は以下のように続ける。「古より溫泉を以て名有る土地の如きは、大抵其の詩歌的な史蹟や繪畫的風景を有してゐるのを常とする。たゞの詩歌でさへ人を動かすのに、ましてそれが歴史的になつて、そして或事實を伴ひ、加ふるに其の遺蹟が恰も詩歌が立體的になつたかの如く眼前に存在して居るに於ては、人をして其精神を美的の世界に逍遙せしむること幾何だか知れない。(中略)此等の心理的作用が生理的に好結果を與ふることは、誰が敢て否と云はう。かゝる意味に於て溫泉は不知不識の間に間接に人に働いてゐる」
温泉地が「詩歌的な史蹟」や「繪畫的風景」を有していることによって「其の遺蹟が恰も詩歌が立體的になつたかの如く」目の前に表出するという。温泉地における形而上的な側面、換言すれば文学的な側面への言及として読み取れる。また人の精神を「美的の世界に逍遙せしむる」ことも挙げており、総じて温泉地がいかに人間に対して物質的かつ精神的効能があるかを論じている。
そして文末において露伴は、「溫泉の人に對する働は、生理的に治療の能做を有し、他面に於ては心理的に慰撫の作用を爲し、そして其の靈功奇能を做し出すのである。が、又翻つて考へると、溫泉の人に對するは、生理的に慰撫し、心理的に治療をするとも云ひ得る。これが溫泉及び溫泉地の面白いところである」というように、生理的・心理的作用だけではなく「靈功奇能を做し出す」ことにも言及している。一つ前の引用にも重なるが、人間の肉体的・精神的な面への慰撫や治療効果をもたらす力が温泉や温泉地の魅力というわけである。こうした魅力は現代においても同様であろう。温泉論はともかく、各温泉地を紹介したガイドブックやテレビの旅番組、インターネットでの紹介など、複数のメディアがその魅力を伝えていることは周知の如くである。その他、例えば現代の文学作品では藤原審爾『秋津温泉』(昭和二十三年)や吉田修一『初恋温泉』(平成十八年)、舘浦海豹『温泉の神様の失敗』(平成二十一年)といった作品も挙げられる。
一方、露伴の温泉論に対し、川端康成「温泉と文学」(昭和九年十月『温泉』)では別の視点から次のように述べている。
温泉文学はみんな作者が客間に坐つている。料理場や女中部屋や金庫のなかは見てゐない。まして温泉宿と村人との関係、外来資本の温泉経営とその土地との関係、そんなものは夢である。
川端が捉えている温泉文学いうのは「みんな作者が客間に坐つてゐる」という。確かに滞在者はあくまで当地における一定期間(またはほんの僅かな期間)であり、その見えてくる景色も限定的である。だからこそ「温泉宿と村人との関係」なども「夢」としている。
続いて川端は、次のようにも述べている。
ほんたうの温泉文学は滞在客の恋愛を歌つたり、(中略)そんな上つ面の浅いものではなく、土地の人々の生活の美醜の底に掘り入るものであれば、必ずしも温泉の宣伝になるとは限らぬ。(中略)薄つぺらな嘘ばかりで、ほんたうの語られないのも寂しくはないか。
ここで言う「ほんたうの温泉文学」とは、まさに限定的な滞在期間からでは到底窺えないものであり、当地の「生活の美醜の底」をも含めた内容でなければ「薄つぺらな嘘ばかり」になってしまうというのである。先の露伴が「美的の世界に逍遙せしむる」というのはもちろん温泉地としての魅力であるが、川端の場合は作家が温泉地に滞在した際の作品世界を描く姿勢について言及している。ちなみに川村湊『温泉文学論』(注7)においても、この川端の言説を引用した上で「『温泉文学』は、(中略)その(「温泉」を指す―引用者注)魅惑に首まで漬かってしまった人によって初めて書かれうるような奥の深いもの」と述べているが、「首まで漬かってしまった人」がまさに「生活の美醜の底」をも垣間見られるものと推察される。
近代における温泉と文学といった視点から考察してみたが、生理的・心理的作用だけではなく「靈功奇能を做し出す」「美的の世界に逍遙せしむる」(露伴前掲文)温泉地だからこそ、日常を離れた異世界としての空間はもとより「生活の美醜の底」(川端前掲文)をも包含した、いわば幅広い魅力が秘められているものと考えられる。
二、温泉とメディアの多様性
従来、文学作品が温泉地の魅力を伝えてきたのに対し、現在ではそれが変移しており、冒頭で述べた通りコンテンツがその役割を担いつつある。つまり「活字」から「図像」への変移という現象が認められるのである。もちろんこの現象は温泉地に限ったことではない。背景には書物と印刷物から電子メディアやマルチメディアといった多様性を帯びた媒体の変移、すなわちポスト・グーテンベルク的状況が顕著になっていることが挙げられる。(注8)
ちなみに、本項で扱うメディアという意味についても簡略ながら確認しておきたい。『大辞林』(第三版)に拠ると、メディアとは「媒体。手段。特に、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの媒体」を指す。二十世紀以降、とりわけ一九五〇年代以降においては、書物、新聞、映画、写真、コンピューターなどが情報伝達手段として一般大衆に広く流通し、現代ではインターネットの普及やスマートホンなどの携帯端末がさらに拍車をかけている。メディアは物理的側面を持つと同時に観念的側面、すなわち特定のイメージを連想させ、目に見える形象となって伝達を行っており、いわば意味やイメージを記号化する。(注9)
前項において、文学つまり活字が温泉地の魅力を伝えてきた昔時に対し、昨今では図像がそれに取って代わっている。もちろん活字が消失したわけではないが、その情報伝達量は圧倒的に活字を凌ぐ。周知の如くインターネットの普及が挙げられるが、例えば温泉地の情報検索も容易に可能となったこと、また宿の予約を始め温泉地一帯の写真や観光マップなどもインターネット上からタイムリーに情報収集出来るようになったこと(もちろん『るるぶ』など旅行情報誌もある)が挙げられる。さらにはYouTubeを始めとした動画(温泉地のライブカメラ)も数多く配信されており、温泉地の魅力は逐次、観光客によっても更新されている。
昔時においては文豪や観光業に関連する出版・編集者といった特定の人たちによって温泉地の情報が発信されていたわけだが、現在ではメディアの発達により、いわば「一億総ジャーナリスト」の如く、スマートホンやiPadといった携帯端末でInstagramやTwitter、Facebookなど一般大衆が個々に温泉地の魅力をネット上に逐次アップし、情報が拡散されていく状況となっている。加えて、情報発信における時間的差異も縮まり、タイムリーな形での情報発信・収集が容易となっている。もちろんこのことは温泉地に関してだけではなく、その他の多種多様な情報も同様である。
こうしたメディアの変移は温泉地と人をつなぐ上で今後ますます注目すべき点であろう。何故ならAIといった人工知能やVRなどデジタルメディアを始めとしたメディアの多様化による情報伝達の方法は一層変移する可能性が高いからである。図像化への潮流がより顕著になる時代を迎えていると言える。
三、温泉の擬人化―『温泉むすめ』を一例に―
そもそも擬人化とは「人間でないものを人間になぞらえて表現すること」(『大辞林』第三版)であるが、こうした表現に到る背景として様々な要因があると考えられる。
例えば文学においては、百八つの魔星が英雄豪傑として活躍する『水滸伝』や、護身の数珠から八つの玉が八方へ飛び、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持つ八犬士が登場する『南総里見八犬伝』はまさに擬人化の発想である。つまり昔時における擬人化の発想は古典文学からも認められる。同様に、現代においても表現媒体は違えど、惑星や天体、宝石、鉱石の名をキャラクターに当てはめた漫画『美少女戦士セーラームーン』(武内直子著 平成四年)にも通底する発想であろう。
その他、昨今では女性に擬人化された艦艇(軍艦)が敵と戦闘して勝利を目指す『艦隊これくしょん―艦これ―』(角川ゲームス、株式会社C2プレパラート 平成二十五年)や、刀剣より生み出された付喪神「刀剣男士」が戦いを繰り広げる『刀剣乱舞』(DMMゲーム、ニトロプラス共同製作 平成二十七年)も擬人化された作品である。冒頭で挙げた『温泉むすめ』もこれらに類する作品である。
前項で挙げたように、現代ではポスト・グーテンベルク的状況が顕著となっており、右の『美少女戦士セーラームーン』以下の具体例は、活字ではなく図像での表現が主体となっている。また電子メディアやマルチメディアといった多様性を帯びたメディア媒体の変移、換言すると漫画やアニメ、ゲームや映画といった図像が擬人化された作品を生み出している。いずれにせよ、擬人化という表現に到る背景の一因として、『水滸伝』や『南総里見八犬伝』といった古典文学からの発想が直接的ではないにせよ、現代の作品(コンテンツ)にまで接続している可能性は十分考えられる。
さて、温泉の擬人化についてだが、冒頭で触れた『温泉むすめ』というコンテンツは「地域活性クロスメディアプロジェクト」として平成二十八年十一月より始動開始し、アニメや漫画、キャラクターや声優などを通して、日本各地の温泉地や地方都市の魅力を発信している。運営会社である株式会社エンバウンドは内閣府からクールジャパン企業に選出されており、各温泉地に由来するキャラクターたちは有馬温泉や道後温泉、台湾の観光大使を務め、スカイマーク、京阪バスの応援キャラクターなどを担当しており、堅調な形でのメディアミックス展開が現在進行形で成されている。(注10)
なお漫画やアニメ、テレビドラマや映画、文学作品などの舞台となった実際の場所へ足を運ぶ観光行動やこれらを活用した地域振興の総称として、「コンテンツツーリズム」と呼ぶが、(注11)この言葉は既に流通・定着している。一躍脚光を浴びたアニメ『らき☆すた』(美水かがみ原作 平成十九年四~九月)では、作中舞台の埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現・久喜市)に多くのファンが押し寄せ、アニメ「聖地巡礼」の代名詞となり、アニメすなわちコンテンツが観光行動を牽引する契機となった。それに伴い学術領域においても「コンテンツ―リズム学会」が平成二十三年十月に設立され、アニメや漫画に限らず、映画のロケ地、大河ドラマの舞台も含めた「聖地巡礼」に関する学術論文や研究発表が今日までコンスタントに行われている。
こうした現況のもと、『温泉むすめ』も展開しているわけだが、注目すべきは先に挙げた『艦隊これくしょん―艦これ―』や『刀剣乱舞』といったコンテンツとは明らかに一線を画していることである。
そもそもコンテンツツーリズムは、先にも述べたように舞台となった実際の場所へ足を運ぶ観光行動である。換言すると、地域にコンテンツを通じて醸成された地域固有のイメージとしての物語性やテーマ性を付加し、その物語性を観光資源として活用すること(注12)であり、いわば一地域(局地的)での展開となる。ところが、『温泉むすめ』では日本全国の温泉地(一部台湾も)での展開が主体となっており、そのスケールは圧倒的に従来のコンテンツとは異なる。この点が『温泉むすめ』の特異性と言えるだろう。先に挙げた『艦隊これくしょん―艦これ―』では横須賀(神奈川)、『刀剣乱舞』では京都、また擬人化の視点とは異なるが、圧倒的人気を誇った『ラブライブ!』も神田・秋葉原周辺(μ's)や沼津(Aqours)といった、それぞれ一地域での展開である。
『温泉むすめ』がこのような全国展開を確立出来た要因はいくつか挙げられるが、その最たる要因はやはり「日本全国の温泉地」を対象としたことであろう。既に前項で述べた通り、温泉は古代より多くの日本人が親しんでおり、いわば日本の伝統文化である。しかも『温泉むすめ』の擬人化されたキャラクターは、源泉が湧出した際に誕生する人間と変わらない容姿を持つ神様という設定となっており、その神々を束ねる一番上級の神が「スクナヒコ」であるという。周知の如く「スクナヒコ」は『古事記』や『日本書紀』に登場する神話の神である。こうした日本の神話を用いている点も『温泉むすめ』という作品の世界観に対し日本の伝統文化との接続をより補強している。その他、各温泉地における地元民や観光協会と協力してコラボレーションも行っており、メディアを通してその情報は逐次発信されている。(注13)『温泉むすめ』は全国に分布する温泉地の伝統文化という「手堅い土台」を踏まえての展開と言えよう。もちろん『温泉むすめ』が今後どのような展開を見せるのかは未知数である。展開次第によっては鈍化・衰退する可能性も孕んでいるだろう。(注14)
いずれにせよ、昔時、文豪たちが活字を通して温泉地の魅力を伝えてきた役割が、現在では『温泉むすめ』という図像がそれを担いつつあることは間違いないだろう。また従来の一地方・局地的展開とは一線を画した全国規模での展開が成されており、いわばコンテンツツーリズムにおける一つの成熟した姿として認められる。引き続き、注視すべき対象であると考えられる。
おわりに―文学における汎用性―
温泉地の魅力を伝える手段は時代によって変移していくことは、本稿における文学からコンテンツ、すなわち活字から図像への変移に関する考察からも証左される。少なくとも現況においてはメディアの多様化に伴い、図像の果たす役割は大きいと考えられる。「靈功奇能を做し出す」「美的の世界に逍遙せしむる」(露伴前掲文)ような温泉地の魅力は、『温泉むすめ』では「スクナヒコ」といった神話の要素を織り交ぜながら擬人化されたキャラクターが伝えていると言えようか。もちろんそこにはキャラクターに扮した声優も「依り代」(注15)として図像を補強する役割を果たしている点は留意すべきであろう。また擬人化については『水滸伝』や『南総里見八犬伝』といった古典文学からの影響も精査する必要がある。
こうした課題を踏まえつつ、今後は文学を起点として、メディアを横断するコンテンツの問題を「表現」という視点から論じることも重要であろう。この視点からの論究は希薄である。文学が作家論や作品論だけでは収まることのない、いわば文学の汎用性として提示出来るのではないだろうか。複数の研究課題を抱えていることは確かであり、それらは別稿に譲りたい。
<注>
(1)環境省自然環境局のホームページによると、平成三十年三月のデータ(最新版)では、全国の温泉地は二九八三箇所。詳細は「温泉に関するデータ」参照。
https://www.env.go.jp/nature/onsen/data/(平成三十一年四月八日閲覧)
その他、日本温泉総合研究所でも環境省自然環境局のデータ内容を踏まえ、「日本の温泉データ」で詳細を提示している。
https://www.onsen-r.co.jp/data/onsen/(平成三十一年四月八日閲覧)
(2)詳細については『温泉むすめ公式サイト』参照。(平成三十一年三月五日閲覧)
(3)一例を挙げると、『温泉むすめ』では今治タオルで有名なIKEUCHI ORGANIC(旧名・池内タオル)とコラボレーションし、商品化している。
(4)平成二十八年十一月 和泉書院。
(5)http://www.izumipb.co.jp/izumi/onsen/hp/index.html(平成三十一年二月八日閲覧)参照。
(6)「本の万華鏡」(国立国会図書館)の「第2章 文学の中の温泉」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/23/2.html (平成三十一年二月十七日閲覧)を始め、「温泉の旅」の「温泉ゆかりの文人・芸術家」 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/ma0011/yurai-4.htm (平成三十一年二月十七日閲覧)、「e温泉情報局」の「文人墨客が愛した温泉一覧表」 http://e-onsen.blog.jp/archives/43065135.html (平成三十一年二月十七日閲覧)、「旅と温泉の相談室アスパサービス」の「文学を訪ねる温泉紀行」 http://www.a-spa.co.jp/bungaku/ (平成三十一年二月十七日閲覧)等参照。
(7)平成十九年十二月 新潮社。その他、竹村節子『私説現代温泉論』(平成十四年十一月 現代旅行研究所)、福田国士『文豪が愛し、名作が生まれた温泉宿』(平成二十年十一月 祥伝社)、日本温泉文化研究会『温泉をよむ』(平成二十三年一月 講談社)、草彅洋平『作家と温泉』(平成二十三年十一月 河出書房新社)等参照。
(8)石田英敬『現代思想の教科書』(平成二十二年五月 筑摩書房)参照。
(9)注(8)並びに森覚「仏教文化におけるメディア研究会中間報告」(平成二十八年三月『大正大学綜合佛教研究所年報』第三十八号)参照。
(10)注(2)に同じ。なお最近では小田急電鉄の特急ロマンスカーを貸し切りイベント会場まで移動するライブ&ト ークイベント「SPECIAL YUKEMURI FESTA in箱根(小田原)」 が開催され(平成三十一年三月三十日)、また鉄道キャラクターコンテンツ「鉄道むすめ」とのコラボレーションも行われるなど、活発な展開が認められる。
(11)岡本健『n次創作観光』(平成二十五年二月 NPO法人北海道冒険芸術出版)、同『コンテンツツーリズム研究』(平成二十七年八月 福村出版)等参照。
(12)増淵敏之「コンテンツツーリズムとその現状」(平成二十一年三月 法政大学地域研究センター)参照。
(13)注(3)に同じ。
(14)『温泉むすめ』が作られる以前にも温泉を擬人化した作品は複数存在する。例えば、群馬県みなかみ町にある「みなかみ18湯」を題材とした『泉極志』は平成二十八年六月二十四日から二十七年十一月二十八日の期間、秋田書店『チャンピオンクロス』に漫画が掲載されている(のち漫画 『泉極志』〈平成二十九年六月 秋田書店〉が刊行されている)。また『あなたがお風呂でのぼせるCD~温泉擬人化コレクション~』シリーズ(平成二十四年二月~二十八年三月 EM2 Record)も挙げられる。
(15)田村均「虚構世界の根源性―ゲンダル・ウォルトンの虚構論―」(平成二十五年三月『名古屋大学文学部研究論集』)、ゲンダル・ウォルトン著・田村均訳『フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術』(平成二十八年五月名古屋大学出版会 )参照。
※本稿を草するにあたって、株式会社エンバウンド代表取締役兼総合プロデューサー・橋本竜氏には大変お世話になりました。記して御礼申し上げます。
(渡辺賢治 福島工業高等専門学校)