温泉むすめ伝「磐梯熱海萩の章」
やっほー、月岡来瑠碧だよ。梅雨の季節はメイクが崩れやすくて困っちゃうよね。
だから、あたしは放課後になったらトイレに駆け込んでメイクを直すことにしてる。そりゃハンドミラーも持ってるけど、がっつり人前でメイク直しするのは恥ずかしいしね。
「わ~れ~ら、お~んせ~んむ~すめぇ~♪」
「アビバノンノン♪ ――って、歌うまくなったね~。来瑠碧っぴ」
「そお? まー、あろはっちもあたしもアイドル始めたからじゃない?」
それでそれで、たまたまトイレに来た親友のあろはっち(いわきあろはのことだよ)と合流したあたしは、もう一人の親友の萩っち(磐梯熱海萩のことだよ)も誘って三人で遊ぼうってことになった。
で、萩っちとは高等部の出入り口で待ち合わせることになったんだけど――。
「ありゃ、萩ぴっぴ誰かと話してる」と、あろはっちが首を傾げた。
「ホントだ。見たことない子だけど、後輩かな?」
待ち合わせ場所の近くで萩っちは年下らしき女の子と何かを話していた。ちょうど話が終わったところだったみたいで、女の子はほっぺたをほんのり赤く染めて、ぽーっとしながら萩っちのもとを離れていく。
「萩っち、お待たせ。何話してたの?」と、あたしは小走りで彼女に駆け寄った。
「また恋愛絡みの話かな? 萩ぴっぴも大変だねえ」
あろはっちもニヤニヤと萩っちをからかう。立ち去っていく後輩ちゃんの雰囲気で、萩っちが何を言われたのかはなんとなく察しがついていた。
「まあ、そんな感じ」と、萩っちははにかんだ。「『萩さん、大学生の彼氏がいるって本当ですか?』だって」
「「ぴゃー!!」」
あたしたちは抱き合って変な声を出した。やっぱりこういう話はテンション上がるね!
……まあ、実際は萩っちに彼氏なんていないんだけど。
「今度は大学生ときたかぁ。この間は『社会人の彼氏いるんですか!?』だったよねぇ」
「萩っちが美少女すぎるのが悪いんじゃなーい? 『年上の彼氏いますよオーラ』が出ちゃってるんだよねー」
あろはっちとあたしが萩っちの両側から彼女をつつくと、彼女は「やめてよ」と苦笑する。
「アイドルになればそういう誤解もなくなると思ったんだけど、考えたどおりには行かないね」
「あー。そういえば、萩っちがアイドル始めたのってそんな理由だっけ?」
「うん。さすがに三日に一回のペースで『彼氏いますか?』って聞かれちゃうとね。アイドルは恋愛NGっていう暗黙の了解があるし、それを利用させてもらおうかなって思ってたんだけど……」
萩っちはそこで言葉を切って、ふう、と溜息をついた。
「――うまくいかないなら、アイドルやめようかな」
うーん、まあそういう動機で始めたんならそうなるか。
日本の温泉文化を盛り上げるため、あたしたち温泉むすめがアイドルになって頑張る『温泉むすめ日本一決定戦』が始まったのが今年の四月。アイドルをやるかやらないかはあたしたちの自由だし、気乗りしなかったら途中でやめてもいい。楽しくないなら続けてもしょうがないし。
でも、萩っちは別に本気でやめようと思ってるわけじゃないだろう。愚痴を聞いてもらうための前フリとしてちょっと拗ねたことを言ってみる、あたしもよくやるやつだと思う。たぶん。
そんなわけで、あたしたちの放課後のプランは決まった。今日は萩っちに付き合って磐梯熱海温泉だ!
♨ ♨
「はー。すべすべ」
磐梯熱海のお湯を肩にかけて、自分の肌を指でなぞる。
梅雨の雨はしとしとと降り続いているけど、萩っちが屋根付きの露天風呂を選んでくれたから濡れることはない。むしろ、こんな日の露天風呂って360°を雨音のカーテンに包まれてる感じがして好きなんだけど――
「――分かる? 萩っち」
「分かんない。私、雨はあまり好きじゃないし」
「えー、そうだっけ? 風情なーい」
あたしが口を尖らせると、あろはっちが「にゃはは」と楽しそうに笑った。
「萩ぴっぴ、梅雨の季節になるとはっきり弱体化するからね」
「弱体化って……。他に言い方あるでしょ」
そう言って、萩っちは恨めしげに雨雲を見上げる。大人びた憂いすら感じられるその横顔はいつもどおりに美少女で、あたしは思わず溜息をこぼした。
「美少女だよねぇ……。萩っちは」
「なに? 急に」
「分かるー。さすが美人の湯の温泉むすめって感じ」
「あろはまで……。それは二人も同じでしょ。“磐越三美人湯”なんだし」
あたしの月岡温泉、あろはっちのいわき湯本温泉、そしてここ磐梯熱海温泉は、その泉質から『磐越三美人湯』と呼ばれている。あたしたちが親友してるのも、その縁で昔から交流があったからなのだ。
「美人の湯の温泉むすめって、地味にプレッシャーだよね」と、萩っちは溜息をついた。「美人の湯って言うくらいだから、当然美人だろうと期待されるし」
「分かる分かる。わたしはあんまり気にしないけど」
そう言って、あろはっちが笑う。
いや、気にしてないんかい! それは「分かる」とは言わないって!
「あたしは美人って言うか、宇宙一カワイイからそれでいいかなーって」とあたしがフォローすれば、あろはっちは「出た! 来瑠碧っぴの宇宙一宣言!」と野次を入れてきた。いや、何も出てない!
そんなあたしたちのやりとりを見て、萩っちはくすりと笑った。
「二人ともメンタル強いね……。羨ましい」
「てゆーか、三人とも“美人の湯”の温泉むすめなのに、なんで萩っちだけ彼氏持ちだと思われるんだろ?」
カワイさではあたしも負けてないはずなのになーとか思いながら、あたしは首をひねった。
そろそろ上がろうと思って、あたしは露天風呂から出る。それを合図に、萩っちも溜息をこぼして立ち上がった。
「私もそれは疑問。何が原因なんだろう」
「確かに三日に一度のペースで誤解されるのは意味分からんちんだけど。誰だって誤解はするもんだし、いいんじゃない?」
最後に、あろはっちもタオルを拾ってついてきた。
内湯に続く石畳をぺたぺたと歩きながら、あたしは「うーん……」とうなって首をひねる。萩っちが醸し出す雰囲気は単なる「彼氏いますよオーラ」じゃない。「年上の彼氏いますよオーラ」なのだ!
「ん?」
そんなことを考えながら内湯に戻ると、誰かの視線を感じた。
見ると――内湯に浸かっている地元の中学生らしき女の子グループが、あたしたちをチラチラと見ている。
「地元の子たちかな? まだ若いのに日帰り温泉なんて、感心感心」
あろはっちは呑気に頷いているが、あたしはピンときた。初々しく浮き足だった様子で何かを囁き合いながら、その子らは萩っちに視線を注いでいる。これはまあ、再びのアレだろう。
彼女たちはあたしたちに気付かれたことを察すると、なぜかじゃんけんを始めて――負けたらしき一人の女の子がとてとてとこちらに向かってきて、言った。
「あのっ! 萩さまって大学生の彼氏がいるんですか!?」
やっぱり予想通り! 本日二回目!
「いや、そんなことないけど……」
萩っちは苦笑いで答える。もっと不機嫌になってもよさそうだけど、あくまで大人の対応だ。
「でも、みんな噂してます!」その子は食い下がった。「萩さま大人っぽいし、絶対に年上の彼氏が――」
と、その時。萩っちは驚きの行動に出た。
彼女はピッと人差し指を立てると、「しーっ」と囁きながら女の子の唇にそれを当て、にこりと笑ったのだ。
「私、アイドルだから……分かるでしょ?」
「!?」
その子はドキリと心を射抜かれたように目を丸くした。ついでにあたしとあろはっちも言葉を失った。
彼氏のことを絶対に聞き出してやろうと鼻息荒かったはずの女の子は、「分かりました……」と頷き、ぽーっとした表情で内湯に戻っていく。
その背中を優しげに見送って、萩っちは「ふう……。本当、なんで私ばっかり」と息を吐いた。
「……」
あたしはあろはっちと目を見合わせた。萩っちに対する誤解が解けない理由がバッチリ分かったのだ。
「萩っち……」
「なに?」
きょとんとこちらを見る彼女に向けて、あたしとあろはっちは口を揃えて言った。
「「そういうとこだぞ」」
著:佐藤寿昭