温泉むすめ伝「榊原伊都の章」
英虞湾に夕日が沈んでいく。金比羅山展望台でその景色を眺めながら、あたしは悩んでいた。
「……アイドルねえ……」
事の始まりは二週間ほど前のこと――あたしたちの「上司」ともいえるスクナヒコ様によって、温泉むすめがアイドルとして日本一を競い合う『温泉むすめ日本一決定戦』の開催が布告された。
それからというもの学校は大騒ぎだ。活動を通じて地元の温泉地のPRが出来るし、そのうえ優勝すれば一つだけ願いごとを叶えてもらえることもあって、たくさんの温泉むすめたちがアイドル活動に身を投じている。
もちろんあたしも例外ではない。榊原温泉の名を背負ったアイドルとして活躍するため、これからは歌やダンスの猛練習をしなくちゃいけないし、食生活やボディケアも見直さなくちゃいけない。優勝するための努力なら惜しまないし、そうすることがあたしの義務だ――とは分かっているのだけど。
「なんかやる気が出ないのよね。なんでかしら……」
そう言って、あたしは深く溜息をついた。
きっとこういう時、人は誰かに相談するのだろう。しかし、それもいまいち気が乗らない。みんなには頼られることも多く、『榊原恋愛相談室』なんて呼ばれているあたしだけど、自分の悩みを他人に話すのは苦手なのだ。
とはいえ、気乗りしないままレッスンを続けてモノになるほどアイドルは甘くない。さてどうしたものかしら、と思っていると――「あははっ!」と背後から楽しそうな笑い声が聞こえてきて、あたしは振り返った。
「伊都っち、めっちゃたそがれてる~!」
「……六香?」
そこにいたのは、嬉野温泉の温泉むすめ、嬉野六香だった。
「実はさ~、伊都っちにネイルやってほしくて♪」
「はあ、ネイル……ネイル?」
その言葉にあたしはピンときた。経験上、六香がネイルを頼んでくる時は決まって恋愛相談がある時である。
そういうことならこっちの悩みは後回しだ。だってあたしは『榊原恋愛相談室』なのだから!
「――もう。仕方ないわねえ」
この時間なら旅館のエステルームに空きがあるだろう。あたしは六香を連れて家に帰ることにした。
♨ ♨ ♨
「で、本当は何か相談したいことがあるんでしょう?」
エステルームで六香のジェルネイルを終えたあと。あたしはズバリ訊ねた。
「おお、よくわかったねー! さっすが『榊原恋愛相談室』♪」
六香はおかしそうに笑って、つらつらと事情を話し始める。
簡単にまとめると――SNSで仲良くなった“おかっぱと小鳥”さんなる女性と都内でオフ会をする約束を取り付けたはいいが、改めて投稿を振り返ったところ、相手の性別は女性ではなく男性なのではないかと疑い始めたらしい。
「だから、ど~しよっかな~って思ってさ~……」
六香はさっきからずっと俯いてネイルを弄っている。桜色の爪先に重ねたシルバーのラメと、アクセントに乗せた白や緑のラインストーンが彼女によく似合う。
「どうして男かもしれないって思ったの?」と、あたしは尋ねた。
「自分のことワイって言ってるから」
「それ男よ」
「よく背油ギトギト系ラーメン食べてるから」
「それ男よ」
「最近●ールドジムに通い出したから」
「それ男よ! 男に決まってるじゃない!!」
六香は「あ~、やっぱり~?」とけらけら笑う。あたしはまたしても溜息をついた。
匿名でSNSをやっている相手とオフ会をするのであれば、まずは大人数で集まって性別や素性を確認するべきだ。それをいきなり二人で会うだなんて、今回みたいなトラブルが起きるのは必然の成り行き。
まあそれは六香も反省してるはず。あたしのところへは穏便に断る方法の相談に来たんだろう――
「でさ~、どんなメイクと服で行けばいーと思う~?」
――というあたしのアテは、大きく外れたようだった。
「男から見たカワイイと、女から見たカワイイって違うじゃん? そのへん伊都っちに相談したくてさ~♪」
「…………」
へ……へえぇー! 行くのね!? そもそも行くかどうかの相談じゃなくて、何を着て行くかの相談だったのね!?
動揺するあたしをよそに、六香は続ける。
「あ、でも裏の裏で本当に女だった、とかなったらどうしよー! ねぇ伊都っち、マジで男だよね~!?」
「そ、そうねえ……」
間違いなく男だろうけど、念を押されると不安になってくる。あたしは何となしにその名前を紙に書き出した。
おかっぱ
と
小鳥
「……んん?」
おかっぱの『お』。『と』。小鳥の『こ』……。こ、これは……!!
「縦読みすると『お・と・こ』! このひと絶対男よ!!」
確信を得たあたしは「初対面の男と二人で会うのは危ないから今からでも断ったほうがいい」と訴えたが、六香は「まぁ、遠くから見てヤバそーって思ったらバックレちゃえばいいし♪」と笑うばかりで取り合ってくれない。
だからといって、話を聞いてしまった以上は放っておけないし――。
かくなる上は、この目で相手の素性を確かめ、危険を感じたらすぐに彼女を連れて帰るほかない!
「六香、それならあたしも行くわ! “おかっぱと小鳥”さんに会いに!」
♨ ♨ ♨
「今日はホント楽しかったよー! それじゃ、まったね~☆」
翌日。あたしたちは東京駅で“おかっぱと小鳥”さんを見送った。
結局、“おかっぱと小鳥”さんは、おかっぱ頭で小鳥を飼っているポッチャリ体型の女の子だった。
「でも、女の子だからといってトラブルにならないとは限らないし、いい人で本当に良かったわ……」
思わず本音がこぼれる。そんなあたしの思いも知らず、六香は東京駅をバックに自撮りを始めていた。
「ねえ、伊都っち、今日、全然一緒に撮ってないよねー」
「え? ああ、あたしはいいのよ。写真は苦手で――」
「よっし♪ 一緒に撮ろ撮ろ☆ イェーイ!」(パシャッ)
「――ちょ、ちょっと!?」
六香に見せられた携帯の画面には、可愛く写る彼女の横に、ぽかんと口を開けたマヌケ面のあたしがいた。
今時の女の子の六香はSNSを使いこなしていて、撮った写真を何でも投稿してしまうんだけど……こんな写真を投稿されてしまった日には、もう恥ずかしくていられない。
「六香! それSNSに投稿したら絶対ダメよ!」
「え~、なんで~?」
「だって恥ずかしいし……」
「恥ずかしくないよ! ほらほら!」
と六香は画面を見せてきた。そこには目も鼻も口も加工して、もはや別人となったあたしたちが写っていて――あたしはプッと吹き出してしまった。
「あはは! 何よこれ!?」
「めっちゃ楽しいっしょ~? こーやって何でも楽しんじゃえばいーんだよ~♪」
……楽しい?
あたしは今日一日を振り返る。
思えば仕方なく六香についてきたあたしだったけど、“おかっぱと小鳥”さんが女の子だと知ってからは一緒に抹茶パフェを食べたり、スカイツリーに登ったりと東京を満喫して――確かに楽しんでいたような気がする。
あれこれ考えていないで、いっそ飛び込んでみたほうがうまくいくこともある。
もしかしたら今あたしが悩んでいることも同じかもしれない。義務感じゃなく、アイドルを楽しもうという気持ち。それさえあれば……。
「――そうね。楽しんじゃえばいいのよね」
「そうそう! じゃーさっ、これならアップしても……」
「いいわよ――ただし! これからストリートライブで対決して、あたしに勝ったらね!」
あたしは六香をビシッと指差した。今度は彼女が目を丸くする番だ。
「えぇっ!? 今から!? ここで~!?」
「そうよ。東京でライブ対決なんてなかなか出来ないじゃない。一緒に楽しみましょう!」
「ちょっ、伊都っち……ってかもう歌い出してるし~! あ~も~! あたしやんないからね~!」
Fin.
著:黒須美由記