story おはなし

温泉むすめ伝「蔵王巴の章」

あわせて「温泉むすめ伝 山の神皐月の章」もぜひご覧ください。


 

――小町ちゃん。わたくしね、今日は一人で暇してるの――

 そう言ってわたくしが小野川小町ちゃんの家を訪れたのは、夏も目前に迫ったある夜のこと。小町ちゃんと一緒に小野川温泉のほたるを鑑賞したわたくしは、その幻想的な美しさに魅了され、帰る時間となった今も夢心地でいた。
 ああ、綺麗だったなあ、としみじみ思いながら神社へ向かって歩いていると、吐息混じりに小町ちゃんが言う。

「“蛍火は 思ひのままに 夜を舞う ひとり部屋にて 待つ者知らず”……なんて。はぁ……。なんだか私、ほたるを眺めていたら猛烈に恋がしたくなってしまいました……。綺麗だったぁ……」

 わたくしは思わず、

「そうよね~! 本当にほたるが綺麗で――ねえ、あなたもそう思うでしょ、皐月♪」

 と、隣を見て――そこに皐月がいないことを思い出した。

「……あ」

 そんなわたくしを見て、小町ちゃんがくすりと笑う。

「巴さんったら、今日は皐月さんはいらっしゃいませんよ」
「そ、そうだったわね。わたくしったら、つい皐月も一緒にいると思い込んでしまって……」
「分かります。お二人はクラスも同じですし、二人でユニットも組んでいるから、いつも一緒ですものね」

 皐月――山の神皐月はわたくしの幼馴染だ。幼い頃からわたくしのそばにいて、色々と世話を焼いてくれる大切なお友達。

 彼女との出会いは十年前、本当に偶然のことだった。わたくしの地元、蔵王温泉の近所には「かみのやま温泉」という温泉地があり、当時からよく『お社渡り』で遊びに行っていたのだけど――ある日、ふと「陸路でかみのやま温泉へ行ってみよう」と思い立ってみたら、どういうわけか岩手県にある山の神温泉に迷い込んでしまったのだ。
 そんな時、迷子になって泣いていたわたくしに声をかけてくれたのが皐月だった。
 それからわたくしたちはいつも一緒にいる。特に『温泉むすめ師範学校』の初等部に入学したあとは、「巴お嬢様は方向音痴ですから」と皐月が毎朝送り迎えしてくれるし、通学するのも、学校での時間も、休日も一緒。お互いにアイドルを始めた今は歌やダンスのレッスンでも世話を焼いてくれるものだから、皐月の顔を見ない日はない。
 思えば、わたくしの隣に皐月がいないなんていつぶりかしら……?

「皐月さん、花巻南温泉峡の温泉むすめの皆さんと親睦会なんですよね?」と、小町ちゃんが尋ねる。
「ええ。皐月は誘ってくれたけど、さすがに地元の集まりにわたくしが同席するのはおかしいでしょう?」
「ふふっ。確かにそうですね」

 そう言って、わたくしたちは笑い合う。
 神社の前に到着し、それじゃここでね、と別れを告げようとすると、小町ちゃんがおずおずと口を開いた。

「あの……。私、蔵王温泉までお送りしましょうか?」
「えっ? どうして?」
「今日は皐月さんがいらっしゃらないので、その方が巴さんもご安心かと……」

 まあ。小町ちゃんったら、方向音痴のわたくしを気遣ってくれているのね。
 わたくしは、彼女の優しさをありがたく受け取りつつもニッコリ微笑んで断った。

「うふふ、お気遣いありがとう。でも大丈夫。あとはお社渡りで帰るだけだから。それじゃあね~♪」

 わたくしは小町ちゃんに手を振り、自信満々に鳥居をくぐった。そして地元の蔵王温泉へ!

 ――と、そのはずだったのに。
 お社渡りした先は――どうしてかしら? 蔵王温泉ではなくて、皐月が住む山の神温泉だった。

「……あらぁ?」

 お社渡りは、鳥居をくぐる瞬間にイメージしていた行き先へとワープする。つまりわたくしは、ワープする瞬間に皐月のことを思い浮かべていたようだ――。

♨      ♨      ♨


「う~ん……。おかしいわねぇ……。どうしても皐月の家に辿り着けないわ~……」

 山の神温泉に来てしまってから1時間。わたくしは道に迷っていた。
 せっかくここまで来たのだから皐月の顔を見て帰ろうと思い、彼女の旅館を目指して歩き出したものの、どうしてか進んだ道は行き止まり。見覚えのある道を見つけたと思えば、なぜか廃墟に辿り着いてしまい……。そんなことを繰り返しているうちに、自分が今どこにいるのか分からなくなってしまったのだ。
 辺りには道行く人もなく、車が通る気配もない。すっかり暗い闇に包まれた山中で、わたくしは途方に暮れた。

「……皐月ぃ~……」

 ああ、こんな時、皐月が隣にいてくれたらいいのに。そしたらすぐに行くべき道が分かるのに――。
 わたくしは皐月の顔を思い浮かべながら、思いきり叫んだ。

皐月~! 皐月~っ! 助けて~~っ!!

 静かな山中にわたくしの声がこだまする。
 この声、皐月に届くかしら……。分からない。でも、もう歩けない……。
 わたくしは心細くてたまらなくなって夜空を見上げた。そこにはまあるい月がいつもどおりに優しく輝いていて、わたくしの目から涙が零れ落ちそうになった――その時だった。

「……様……巴お嬢様ーーーっ!!
「……えっ?」

 この声はまさか……。わたくしは信じられない気持ちになりながらも、最後の力を振り絞って叫んだ。

「皐月~!! 皐月~!! わたくしはここよ~~!!」

 何度も皐月の名前を叫び続ける。そのうち、わたくしを呼ぶ声もだんだん近付いてきて――ついに、わたくしの目の前に懐中電灯を持った皐月が現れた!

「巴お嬢様! ご無事ですか!?」

 皐月は全速力でわたくしのもとに来てくれたのだろう。いつもは綺麗にまとめているはずの黒髪がすっかり乱れてしまっている。そんな姿を見ていたら、わたくし――

「巴お嬢様、聞こえてますか!? 巴お嬢さ――まっ!?」
「あ~ん! 皐月~! 怖かった~~!!」

 ――嬉しくて、つい皐月の胸に飛び込んでしまったの。

 

♨      ♨      ♨

 

 結局わたくしはいつも通り皐月に送ってもらった。
 蔵王温泉に到着し、二人で高湯通りを歩く。旅館や飲食店が立ち並ぶこの通りには『見返り滝』という滝があって、温泉が混ざった山の水が「どんどん」と勢いよく落ちることから『どんどんびき』と呼ばれて親しまれている。
 わたくしたちはどちらからともなく滝の前で立ち止まり、ベンチに並んで腰を下ろした。

「はぁ……。皐月、今日は迷惑をかけて本当にごめんなさいね……」

 改めて謝罪すると、皐月は事も無げに言う。

「気になさらないでください。懇親会はとっくに解散していましたし、それに……寝付けなくて庭園の外灯を磨いていたところでしたので」「でも、やっぱり迷惑よ。わざわざ夜の山道を……ああもう、わたくしったら!」
「ですから迷惑じゃありません。それどころか、おかげさまでよく眠れそうです」
「えっ?」

 わたくしが首を傾げると、皐月は静かに微笑んで言った。

「先ほど『寝付けなかった』と申し上げたでしょう? 今日は朝から巴お嬢様のお顔を拝見していなかったので、今頃どうしてらっしゃるだろうか、もしかしたらどこかで道に迷っているのではないかと気がかりで仕方なくで……。
 でも、こうしてご無事を確認することができましたから」
「皐月……」

 わたくしは心温まる思いがした。わたくしが皐月の顔を見たいと思ったように、皐月もまたわたくしのことを気にかけてくれていたのだ……。
 皐月はいつものように優しく微笑むと、温泉街に目を移して言った。

「それにしてもこの硫黄の匂い、さすが強酸性の硫黄泉ですね。美人の湯として愛され続けている蔵王温泉……巴お嬢様は、この場所をたくさんの人々で賑わう場所にしたいんでしたよね」
「ええ♪ でも……そうね。わたくしの見たい景色はそれだけじゃないのよ~」

 そう言って、わたくしは皐月にウインクしてみせる。

「えっ? それは初めて伺いましたよ! 他にも何かあるんですか!?」

 「アイドルとして『温泉むすめ日本一決定戦』で優勝したら、200人が入れる『蔵王温泉大露天風呂』よりもっとたくさんの人々が入れるような大きな温泉を作る」。確かにそれがわたくしの見たい景色だけれど――。

 決めた。その温泉が完成したら、皐月に一番に見せてあげよう。その日はもちろんわたくしが山の神温泉まで迎えに行って、皐月の手を引いて温泉まで案内してあげるの。わたくしのささやかなサプライズ……。
 だから――それまでに、方向音痴をしっかり治しておかないとね♪

 わたくしは人差し指を口に当てて言った。

「それはね~……。皐月にだけは、ヒ・ミ・ツ♪」




著:黒須美由記

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