story おはなし

温泉むすめ伝「雲仙伊乃里の章」

 今朝のことです。私――雲仙伊乃里が『温泉むすめ師範学校』に登校すべく雲仙市内を歩いていると、小さな男の子とそのお母さんらしき女性が道行く人々にチラシを配っていました。
 気になってチラシを一枚もらうと、そこにはこのように書いてあったのです。

 

さがしています ポコちゃん♂ 2歳5か月
茶色の毛に白いハートマークのような模様がかわいい猫です。好物はカステラ。
見かけた方はご連絡ください。TEL:×××-××××-××××

 

 男の子は昨夜もポコちゃんを想って泣いていたのでしょう。赤く泣き腫らした目をしています。私はいてもたってもいられなくなり、彼らのお手伝いをすることにしました。
 それから一時間ほどかけて全てのチラシを配り終えた私に対して、お母さんはご丁寧にもお礼を述べてくださいました。

「伊乃里さま、ありがとうございました。今日は師範学校はお休みなのですね」

私はにっこり微笑んで答えます。

「いいえ、これから向かうところなんですよ」
「えっ? あの、だとすると始業時間はとうに過ぎているのでは……」
「…………あ」
「い、伊乃里さま?」
「ふぇ……。ふえぇぇぇーーーーーっ!?

 

♨      ♨      ♨

 

「――安心なさい。あなたの遅刻は今、赦されたわ」
「あ、ありがとうございます……!」

 放課後。私は今朝犯した「大遅刻」という過ちを、平戸基恵さんに懺悔していました。
 彼女は私と同じシスターで、とても敬虔な方です。彼女の言葉はいつも力強くて前向きなので、本当に頼りになるのです。

「では、次の告白です。私は遅刻と分かったあと、大騒ぎしてあの親子にご迷惑を……」
「まだあるの!?」
「ふぇっ!?」
「今日は楽しみにしてた海外のアクセサリーが届く日だし、早く帰りたいんだけど」

 た、頼りになる……はずです。ちょっと舶来のものに弱いだけで……。
 舶来のもの……そうだ!

「も、基恵さん! カステラ食べませんかっ?」

 そう言って、私は鞄からお弁当箱を取り出しました。お昼ごはんのデザートに持ってきたのですが、今朝の過ちのせいで食欲がわかずに残してしまったのです。

「カステラって、あなたの好物じゃない。それを譲ってまで懺悔したいの?」

「はい……」と、私はカステラを差し出して頷きました。

「私自身の過ちだけでなく、あの親子とポコちゃんのことを考えると……すっきりしなくて……」
「ふむ……。すんなり帰してくれそうにない、か……」

 基恵さんはぼそりと何かを呟くと、「そうだ!」と思いついたように言いました。

「伊乃里。スッキリしたいならいい方法があるわ。聖歌を歌うのよ!」
「ふぇ? 聖歌ですか……?」

 意外な申し出ですが、基恵さんは自信満々に続けます。

目をつぶって、心を込めて歌うの。きっと清らかな気持ちになるわ!」
「あの、えっと、カステラは?」
「カステラなんていいから歌いなさい! 行くわよ、さん、はい!」
「ふえぇっ!? わ、分かりましたぁっ……!」

 私はカステラを持ったまま目を閉じ、聖歌を歌い始めました。
 かつて聖歌隊にいたころ、よく歌っていた曲です。自分に自信がなくて泣き虫な私だけど、聖歌の練習は大好きで、みんなと歌っている時はいつも笑顔でいられたっけ……。
 いつしか歌に夢中になっていると、ふと、基恵さんとは違う声が聞こえてきました。

気持ちよさそうに歌うんだね♪
「ひゃんっ!?」

 私は驚いて目を開けました。興味深そうに私を覗き込んでいるのは――同じ九州の温泉むすめ・別府環綺さんだったのです。

「た、環綺さんっ!? いつからそこに!?」
「ふふ。伊乃里ちゃん、歌うまいね」
「と、とんでもありません! 基恵さんっ、環綺さんが来たのなら教えてくれても――」

 慌てて基恵さんに助けを求めると――なぜでしょう。基恵さんの姿がありません。

「基恵ちゃん? 伊乃里ちゃんが歌い始めてすぐに帰ったよ」
「か……帰った!?!?」

 そ、そんな……。まさか、まさか……!
 信じたくないことですが、基恵さんは私を騙したのです! 早く帰るために!

「ぐすっ……。基恵さん、早く帰りたいからってこんなこと……! こんなやり方をする人は、いつか地獄で釜茹でにされちゃいますよぉ……っ!

 感情が高ぶった私は、環綺さんの前にもかかわらず、おそろしいことを口走ってしまいました。ハッと我に返って口をつぐんだ私を見て、環綺さんはくすりと笑います。

「面白い子だね、伊乃里ちゃん」
「すす、すみません! 私、感情が高ぶると頭が真っ白になるときがあって……!」
「そういうところもイイじゃんって言ってるのよ♪」
「えっ……」

 まさか褒められると思っていなかった私が口をぽかんと開けているうちに、環綺さんは「じゃ、バイバーイ♪」と、手をひらひら振りながら去っていきました。その姿はまるで蝶のようで、私はつい見とれてしまいます。
 環綺さんは聡明で美しくて、こんな私を受け入れてくれるくらい優しくて……。

「きっと、あのような方がアイドルになるんでしょうね……」

 私はぽーっとカステラを食べながら、温泉むすめにアイドル活動を命じたスクナヒコさまのお言葉を思い出すのでした。

 

♨      ♨      ♨

 

「それに比べて私は……。ねぇ、ネコちゃん……」

 その日の夕方、私は硫黄の匂いが立ち込める雲仙地獄の遊歩道にいました。
 雲仙地獄の地熱で温かいおかげか、遊歩道にはたくさんの猫が暖を取りにやってきます。寝そべる猫たちを相手に反省会をしていた私は、面白い毛並みをした猫を見つけました。
 茶色の毛に白いハートマークのような模様があって――ハートマーク?

「あーっ! ポコちゃんっ!?!?」

 慌てて今朝のチラシを見ます。間違いありません!

「ポコちゃん! おいで、こっちにおいで! ねえポコちゃん!!」

 必死に呼びかけますが、ポコちゃんは警戒しているのでしょう。耳をピンと立てたまま私をじっと見つめ、近寄れば今にも逃げ出してしまいそうです。

「ふえぇ……。ポコちゃん、お願いぃ……」

 私の目に涙があふれてきて、頭が真っ白になっていきます。ダメです。こんなすぐに泣くような私を、ポコちゃんが信頼してくれるわけが――。
 そのとき私の脳裏に浮かんだのは、環綺さんの言葉でした。

――『そういうところもイイじゃんって言ってるのよ♪』――

 そうだ。これが今の自分なんだから、今の自分にできることをしないと……!
 私は大きく息を吸うと、聖歌を歌い始めました。ポコちゃんを驚かせないように、ささやくような声で。涙をこらえながら、そっと両手を差し伸べて……。
 すると――ポコちゃんがゆっくりと私のもとに近付いて来たのです!
 私はチャンスをうかがい、ついにポコちゃんを抱きしめました。

「や、やったぁ……! ぐすっ……。いい子ね……。いい子ね、ポコちゃぁん……」

 ポコちゃんはなぜかしきりに私の手を舐めています。そんなポコちゃんが愛おしくて、私はいつもお守りくださる主に感謝しました。
 ポコちゃんを連れて帰ったら、あの男の子はどんなに喜ぶことでしょう!
 その時、私は思ったんです。泣き虫な私だけど、こんな私の歌が誰かを幸せにできることもあるんじゃないかって……。それはすごく素敵なことなんじゃないかって……。

Fin.

written by Miyuki Kurosu

※「温泉むすめ図鑑」ショートストーリーの再掲です。

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