story おはなし

温泉むすめ伝「白浜帆南美の章」

 白浜温泉は、有馬、道後と並んで“日本三古湯”のひとつに数えられる温泉地である。
 約1400年の歴史を持つこの温泉地に生を受けた白浜帆南美は、その名に恥じない温泉むすめになるべく幼い頃から英才教育を受けてきた。
 そして――今、帆南美は東京都内のコンサートホールにいた。
 ライトブルーのドレスに身を包み、時に優しく、時に激しく、感情豊かにバイオリンを奏でる。彼女の繊細かつ美しい音色に観客はみな酔いしれ、演奏が終わると同時に盛大な拍手を送った。
 帆南美は丁寧に一礼したあと、まるでお姫様のように観客に向かってにっこり微笑んだのだが――。

「あ~、めっちゃ気持ちよかったわ~!!」

 コンサート終了後、控室に戻った帆南美は着替えを終えるなりソファにダイブした。「レッスンでも拍手がもらえたらやる気出るんやけどな~」と呟きながら、セットした黒髪が崩れるのも気にせず寛ぐ姿は幼い子どものようで、少し前まで舞台でバイオリンを演奏していた“お姫様”と同一人物には思えないが――これが帆南美の本来の姿である。

「もうすぐ4時か……。今からでも遊びに行けるな。ふん、誕生日やっちゅーのにこのまま家に帰ってたまるか!」

 そう。今日、7月18日は帆南美の誕生日。毎日ありとあらゆるレッスンに通わされて多忙な日々を送る帆南美だが、誕生日だけは特別に家族の計らいでレッスンが免除となっている。
 今年はコンサートが入ってしまったため残り時間が少ないが、この貴重な日にじっとしていられるわけがない。
 そう思って、帆南美が勢いよくソファから立ち上がった――その時だった。ノックの音がして、同じくコンサートに出演していた三朝歌蓮が「お疲れ様です~」と言いながら入ってきたのである。

「おー、歌蓮やないか。どないしたん?」

 帆南美が訊ねると、歌蓮はにこにこ笑いながら言った。

「あの~、帆南美ちゃん。このあと少しだけお時間いただけませんか~?」
「は? 時間?」

 帆南美は目を丸くした。バイオリンが縁で出会った歌蓮とは長い付き合いになるが、互いに多忙ということもあり、今まで誘い合って出かけるということはほとんどなかった。珍しく思っていると歌蓮が言う。

「せっかく東京まで来ましたし、わたしと一緒にお出かけしましょう~。きっといいことがありますよ~♪」
「……いいことぉ~……?」

 帆南美は訝しげに歌蓮を見る。せっかくも何も、師範学校があるから東京に来ることは珍しいことでもない。歌蓮は東京のどこに行こうとしているのか? 帆南美は考えて――ふと松江しんじ湖しじみの言葉を思い出した。

――歌蓮はお酒が好きでね、お酒を飲むと狼になっちゃうのよ――


 帆南美は確信した。東京にはたくさんの居酒屋があるという。きっと歌蓮はそこに自分を連れて行こうとしているのだろう――これから行きたい場所があるというのに!

「そんなんお断りや! うち、今日は行きたいとこあんねん! ほなさいなら!」

 帆南美はそう叫ぶや否や、バッグを掴んで出口へ向かって走り出した。

「あっ、帆南美ちゃん!」
「帆南美さま! よい一日を!」

 後方から歌蓮と付き人の声がする。帆南美はちらりと振り向いて、付き人たちに「おおきに! あとは任せたで!」と言うと、控室を飛び出していった。大好きな“彼ら”に会うために。

 

♨      ♨      ♨

 

 白浜町にある『アドベンチャーワールド』は、動物園、水族館、遊園地が一体となった巨大テーマパークだ。国内では数少ない“パンダが見られる動物園”のひとつで、ほのぼのと暮らすジャイアントパンダたちを見ることができる。
 帆南美は幼い頃にここでパンダを見て以来パンダに首ったけで、16歳になった今でもパンダグッズには目がない。パンダの耳付きキャップとパンダサングラスを身に着けて、彼女はさっそく“彼ら”――パンダを見に向かった。
 心をときめかせながら施設に到着すると、パンダは仰向けに寝そべってお腹の上に広げた竹をかじっていた。
 アドベンチャーワールドでのパンダ鑑賞。これが帆南美の誕生日のお決まりコースその①である。

「う~ん! あのくりくりな目と気だるそうな表情、たまらんな~! もう愛くるしさの塊やわ~!!」

 そうして帆南美がしばらくの間パンダを眺めたり、スマホで撮影したりして至福の時を過ごしていると、

「うわー! どーしよー、回り切れないよー! ねぇねぇ、次どこ行く!?」

 大きな声とともに、帆南美と同年代と思しき4人の少女たちがパークマップを片手に集まってきた。
 閉園までの残り時間をどう過ごすかで話し合っているのだろう。「おみやげは買いたいよね!」「でもまだ見たいとこあるしな~」「ねえ、最後にもう1回イルカ見たくない?」などと口々に話している。
 その光景を見ているうちに、帆南美は熱海初夏たちLUSH STAR☆のメンバーを思い出した。

「そう言えばあいつら、今頃何しとるんかなあ……」

 “誕生日はひとりでやりたいことをとことんやれる楽しい日”。今まではそれが当たり前だったものの、今年は初夏たちを誘ってみても楽しかったのではないか。帆南美は一瞬そう思ったのだが、

「……っと。あかん、もうこんな時間か。うちも行かな!」

 4人の少女たちが歩き出したのを見て、慌てて次の目的地へ向かって走り出した。

 

♨      ♨      ♨

 

「にっしっし! やっぱり誕生日はここでひとっ風呂浴びんとな!」

 白浜温泉の共同浴場、『崎の湯』の前に帆南美はいた。
 崎の湯はかつて『湯崎七湯』といわれた自然湧出の温泉のひとつで、万葉の時代から残る湯壺から太平洋を眺めることができる。この崎の湯で次の一年をどう過ごすか考える。これが帆南美の誕生日のお決まりコースその②である。

「よ~し! 指先がぶよぶよになるまで堪能したるで~!」

 そう言って、勢いよく戸を開けた瞬間――

「「「「「帆南美ちゃん、ハッピーバースデー!!」」」」」
「うぎゃっ!?!?」

 ――なぜか初夏、雅奈、心雪、絵璃菜に迎えられ、帆南美はびっくり仰天した。その顔がよほど面白かったのか、バスタオルを巻いた初夏たちは帆南美を指差してけらけらと笑っている。

「お、お前ら……! なんでここにおんねん!?」

 戸惑いながらツッコミを入れると、同じくバスタオルを巻いた歌蓮がひょっこり顔を出した。

「帆南美ちゃん、みつけました~♪」
「歌蓮!? いや、だからなんでやねん!!」
「実はわたし、初夏ちゃんから“サプライズで帆南美ちゃんのお誕生日をお祝いしたいから協力してほしい”って頼まれていたんです~」
「は? 初夏が? ……サプライズ!?」
「はい~。本当はコンサートのあと、わたしが帆南美ちゃんを外に連れ出して初夏ちゃんたちと合流する予定だったんですけど……。帆南美ちゃんに逃げられちゃったので、付き人さんたちに事情を話して行き先を聞いて、みんなでここで待ちかまえていたというわけです~♪」
「は……はあぁ~~~!? お前なあ、それを早く――むぐっ!?

 文句を言おうとした瞬間、帆南美は大きなラッピング袋に口を塞がれた。初夏がラッピング袋の後ろから顔を出し、笑顔で言う。

「はいっ! これ、あたしたちからの誕生日プレゼントだよ!」
「えっ? プレゼント……?」

 きょとんとした顔でラッピング袋を受け取る帆南美を見て、雅奈が微笑んだ。

「みんなで選んだんですよ。帆南美さんに気に入っていただけたら幸いです」
「あ……ありがとう……。てかここで? ここで渡すんか? そっち全員バスタオル巻いてんのに?」
「でも帆南美ちゃんのことだから、それもう持ってるかも……。もし持ってたら許してちょんまげ~」
「えっ? 心雪、これうちが持ってそうなものなんか??」
「いいから早く開けようよー! なー、早く早くー!」
「だー! うっさいねん絵璃菜! 今開けるからちょい待てや! ったくもー……」

 帆南美はラッピング袋のリボンをほどいた。ドキドキしながら中に入っていた物を取り出すと、それはパンダのフード付きバスタオルだった。パンダの顔を模したフードにはしっかりと耳まで付いている。

ふわぁぁぁ! パンダや! パンダやぁぁぁ~~~!!

 帆南美は嬉しくて、さっそく服の上からバスタオルを羽織り、パンダのフードを被った。バスタオルの素材もふわふわで気持ちがいい。誕生日にこんなに素敵なプレゼントがもらえて、しかも友達に会えるなんて幸せな気分だ。

「ほらほら、見てみてー! あたしたちとお揃いだよー!」
「うわっ、ほんまや! なんやこれ、めっちゃ恥ずいや~ん!」

 初夏たちが羽織っているバスタオルにもパンダのフードが付いているのを見て、帆南美はニヤけながら言った。
「ほらね~、いいことがあるって言ったじゃないですか~♪」と、ひとりだけ狼のフードを被った歌蓮が微笑む。
 帆南美は「せやな!」と答えると、あどけない笑顔を浮かべて言った。

「今日は……めっちゃ最高の誕生日やぁぁ~~!!

Fin.

著:黒須美由記


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