story おはなし

温泉むすめ伝「湯田中渋穂波の章」

 桜花が散り、葉桜に。軒には気づけばツバメの巣。
 春から夏へ。ゆっくりとではあるが、確かに移ろいゆく時の流れ。しかし、その中で変わらないものもまたある。
 ここは湯田中・渋温泉郷のとある宿。昭和初期に建造されたこの宿は当時の建築様式を色濃く伝える文化財として指定されている。絢爛な木造四階建ての建物は今なお使用されており、故に歴史の宿と呼ばれていた。
 その趣ある宿の一室で一堂に会しているのは、湯田中渋穂波草津結衣奈白骨朋依である。

「結衣奈さん、朋依さん。本日はようこそおいでくださいました」
「「いや~、ご丁寧にどうも……」」

 と、そろってぺこりと頭を下げた結衣奈と朋依だが、すぐさまぶんぶんと首を振った。

「違う違う穂波ちゃん! わたしたちお客さんじゃないんだってば!!」
「そうだよ! 今日はあたしらが穂波さんをもてなすんだからな!!」
「あら、ごめんなさい……。そうよね、今日は仲居のお勉強のためにうちに来たんだものねぇ」

 うむ、と結衣奈と朋依が力強く頷く。このたび、アイドルとして活躍する彼女たちのもとに『仲居さん対決』というテレビ番組のオファーが舞い込んできたため、ふたりはおもてなしに定評のある穂波の元へ修行にやってきたのだ。

「今日は結衣奈ちゃんと朋依ちゃんのために精いっぱい協力するわね~。じゃあ早速支度にかかりましょうか~」

 穂波は立ち上がると、部屋の奥へとしずしず歩いていく。

「すごい……。歩く姿もまさにプロ! どんな修行なのか楽しみだね、朋依ちゃん!」
「楽しみぃ~? ぬるいんだよ! この修行でお前をメッタメタにして、本番前に潰してやるから覚悟しろよな!」
「おっ、それはわたしに対する挑戦ってことですかな~? いいよ、受けてたーつ!!」
「あら、ふたりとも盛り上がってるわねぇ。はい、お茶をどうぞ」
「あ。ありがとうございます。ちょうど喉乾いてて」

 さりげなく差し出されたお茶を朋依が丁寧に受け取った。穂波の柔らかな物腰に影響されたのか、結衣奈を挑発した時のパンキッシュさが鳴りを潜めて素が出ているが、当の本人はまったく気づいていない。

「お茶菓子もたくさん用意しておいたから、遠慮せずに召し上がってねぇ」
「わーい! 温泉まんじゅうもたっぷりある~!」

 結衣奈が温泉まんじゅうにかぶりつく。朋依もお茶菓子に手を伸ばそうとして――気づいた。

「ちょっと待ったぁ! 結衣奈気づけ!! あたしたち、もてなされているッ!!!
「…………あっ!?」

 結衣奈と朋依が穂波を見ると、彼女はハッとしたふうに口元を押さえた。

「あらあら、ごめんなさいね。私ったらつい~」
「気を抜くとすぐもてなされちまうなんて……これが『湯田中渋穂波のおもてなし力』か!」
「すごい……! 穂波さんに鍛えてもらえれば、仲居さん対決でも絶対に勝てるよ!」

 興奮気味に身を乗り出してくる結衣奈と朋依の燃える瞳を見て、穂波は微笑んだ。

「うふふ。それじゃあ、気を取り直して頑張りましょうか~」

 

♨      ♨      ♨

 

三人は宿のエントランスにいた。

「最初は接客の心得よ~。お客様にリラックスしてご滞在頂くために、柔らかでぬくもりのある応対を意識してね。それでは、ふたりにこの宿の紹介をしてもらおうかしら~」
「「はい!」」

 その一。結衣奈と朋依が穂波を連れて館内を歩き、その造作の逐一を紹介する修行。

「……宮大工が建てた当旅館ですが、内装には随所に遊びがちりばめられております。

例えばこちら。こちらは水車の廃材を使った階段となっておりまして――」

――のはずだったが、気付けば一枚も二枚も上手の穂波の紹介に、ふたりは聞き入っていた。

「「……あれ?」」

 次に、三人はチェックアウト済みの客室へとやってきた。

「お掃除の心得ね~。お客様のまなざしを意識して、ほこりのひとつも見逃さない気持ちが大事よ~」

 その二。はたきを持った穂波の実演による説明にしたがって、客室の掃除をしてみる修行。
 ――のはずだったが、穂波の美しい手際に学んでいた結衣奈と朋依は気づいた。掃除が終わっていたのである。

「「……あ、あれ?」」

 更に三人は、館内にある浴場の入口の前に立っていた。

「温泉の心得ね~。湯治にいらっしゃるお客様のために、泉質の違いや効能について詳しくご案内できると素敵よ」

 その三。温泉の解説方法についての修行。
 ここは温泉むすめの面目躍如、結衣奈も朋依も自信満々で温泉の泉質について熱く語る時。
 ――のはずだったが、「その前に、どうぞ浸かってみてね~」と穂波に促され、気づけば結衣奈と朋依は温泉に浸かり至福の時を味わっていた。

「「…………あれ~~~!?」」

 

♨      ♨      ♨

 

 三人は最初にいた客室へと戻ってきていた。

「最後の修行は配膳よ。お客様に適切なタイミングで一番いい状態の食事をお届けする。仲居の腕の見せ所ね~」
「穂波ちゃん! 今度こそわたしたちがやるからね! お客さん役お願いね!」と、結衣奈が穂波を座らせる。
「あら? でも結衣奈ちゃん。まずは私が……」
「それだとまた全部やっちゃうだろ!? いいから座ってろって!」

 荒っぽい口調とは裏腹に、丁寧に食器を置いていく朋依。一方の結衣奈もテキパキと動いて、見る間に食卓が華やかに彩られていく。さすがに家業の手伝いをしているふたりである。なかなか堂に入った仲居の動きだった。
 そんなふたりの動きをして思うところがあるのか、何やらそわそわした穂波が結衣奈と朋依に声をかけた。

「結衣奈ちゃん、朋依ちゃん。あのね……今からあなたたちに、仲居の最大の心得を伝授したいと思うの」

 結衣奈と朋依は「えっ?」と驚いて思わず手を止め、穂波を見た。

「仲居最大の心得、それはね……お客様の気持ちを理解し、今何を求めているか見抜く力よ」
「おお、なるほど……!」

 顔を見合わせて感嘆する結衣奈と朋依に真剣なまなざしをぶつけて、穂波は問いかける。

「では、おふたりに改めて問います。今、お客である私の心とは、そして求めているものとは一体何か……」
「穂波ちゃんが求めているもの……?」

 唸る結衣奈は腕を組んで思案気である――と、その脳裏に稲妻が走った。

「わかったよ! 穂波ちゃんが今一番求めているもの――それは」

 時を同じくして閃いた朋依の声と結衣奈の声が、図らずも重なる。

「「わたしたちをもてなしたい!! …………ん?」」
「あら~、さすが結衣奈ちゃんと朋依ちゃん! もう私からあなたたちに伝えることはなにもないわ~」

 穂波は結衣奈と朋依に口をはさむ間を与えず、座布団に座らせた。

「だから、ほら。ゆっくりしてね~? うふふ~」
「違うってば! ゆっくりするのは穂波ちゃん! おもてなしするのはわたしたち!」
「い、いや待て結衣奈。穂波さんの言うとおりお客さんの求めているものに応えることが大事なんだから、あたしたちは穂波さんにもてなされるべきで……えーっと、あれ?」
「朋依ちゃん!? 流されちゃだめ~っ!!」

 慌てふためく結衣奈と朋依に、しかし穂波はいたずらっぽく笑いかける。

「あらあら。でも、ふたりともそろそろお腹が減るころじゃないかしら~?」

 穂波が言った瞬間――ぐぅぅ、と結衣奈と朋依のお腹が同時に悲鳴をあげた。ふたりの頬が赤く染まる。
 机の上に配膳された料理から、実にうまそうな香りが漂ってくる――。

「……ま、まあ? たしかに今日頑張ったし? そこまで言うならもてなされてやるか、なぁ結衣奈!?」
「そ、そうだね! ここはお言葉に甘えて、このあと頑張るぞーーー!!!」

 

♨      ♨      ♨

 

柔らかな朝日が結衣奈の瞼をくすぐる。小鳥のさえずりがかまびすしい。

「…………はっ!?!?」

 結衣奈は飛び起きた。いつの間にか布団の上で熟睡していた。
 隣で目覚めたらしき朋依も驚愕しているのか、横になって天井を見たまま微動だにしない。
 あの後の記憶は一切ないが、この心と体の軽やかさ……穂波にもてなしつくされた結果なのは明白であった。
 結衣奈と朋依は揃って頭を抱え、がっくりと肩を落とした。

「やられた……! 穂波ちゃんが仲居さん対決に出たら、文句なしにナンバーワンだね……」
「ああ。あの超ド級のおもてなし精神があれば、とんでもないアイドルになるぞ、きっと……」

 ――その数か月後、仲居さん対決に飛び入り参加で優勝した穂波が衝撃のアイドルデビューを果たすのだが、このときの結衣奈と朋依は知る由もないのであった。

Fin.

written by Ryo Yamazaki

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