story おはなし

温泉むすめ伝「宮浜仁佳の章」

伊香保葉凪を仕留めるに、今日は絶好の日だった。

 師範学校の部室棟、その一角にある手芸部部室。宮浜仁佳はひとり棚の影に隠れ、葉凪が来るその時を待っていた。

 

「伊香保葉凪……おどれは刺し違えてでも、うちが仕留めちゃる!」

 

 仁佳は葉凪が長を務める組『petit corolla』の狂気の活動を阻止しようとしていた。師範学校を守るために。

 

「微塵も毒を感じん奴らじゃ思うとったのに、まさかあがいなヤバい考えを隠し持っとるたぁ思わんかった……!

まさか、まさか……! 『ブチ殺す』だなんて……ッッ!」

 

 そう、きっかけはpetit corollaのSNS企画『バズらせ大作戦』だった。

 彼女たちが「フォロワー100万人」を目指しているという噂で耳にした仁佳は、応援の意味も込めてpetit corollaの公式アカウントを覗いてみた――すると、そこにアップされていた『ブチコロ』という羊文字の写真である。

 仁佳は戦慄した。彼女たちに「プチコロ」という愛称があるのは知っていたが、それは隠れ蓑で――真の意味はブチコロ、つまり「ブチ殺す」だったのだ! こんな奴らを野放しにしておけば師範学校に災いをもたらすのは必定。

 大恩ある学び舎への仁義に報いるため、こうして仁佳は単身petit corollaに立ち向かう決心をしたのだ。

 

 仁佳は壁掛け時計に目をやった。時刻は15時45分。そろそろ葉凪がやってくる時刻だ。

 葉凪の行動は徹底的に洗ってある。本日木曜日は葉凪の所属する手芸部は休み。だが、習慣になっているのか、彼女は掃除をしにひとりで部室にやってくるのだ。葉凪がひとりになる機会は、このわずかな時をおいて他になかった。

 構成員4人の弱小組織である。頭を潰せば自然に瓦解するであろうというのが仁佳の読みだ。

 策にも支度にも一切の抜かりはない……だが、仁佳は思わず生唾を飲み込んだ。

 

「へへっ……ブルっちまうたぁなさけないのう。じゃけぇ、うちが腹ァくくらんでどうする。ここで奴らを潰しとかにゃあ、師範学校が血で血を洗うこの世の地獄になっちまうかもしれんのじゃ」

 

 仁佳は制服の袂に隠した『ハジキ』を固く握り締め決意を新たにする――と、この数日間、必死に叩き込んだ標的の足音が聞こえてきた。

 扉が開く。現れたのは葉凪だ。彼女は自分が狙われているとも知らず、呑気に鼻歌まじりで入ってきた。

 時まさに今。仁佳は一息に飛び出した。

 

「伊香保葉凪! ここで会うたが百年目じゃ!」

「えっ!? なに!!?」

「タマとっちゃるけん! 覚悟しろ!!」

「ええええ~~~~~~!?!?」

 

 仁佳は『ハジキ』を取り出し、扉の前で慌てふためいている葉凪に向けた。まだ距離はあるが十分射程内だ。

 命を撃ち抜く凶器。その禍々しさに葉凪は身をすくませる…………ことはなかった。なぜならば。

 

「み、水鉄砲?」

「じゃかあしい! 大事なんは雰囲気じゃ! うちがこのハジキでもって、おどれに制裁を下すけん! 人に危ない事はせん言うまで、水ぶっかけまくっちゃる!」

「え? ええ!? 人に危ない事なんて、わたしそんな――」

「問答無用じゃ! 往生せいや~~~!」

 

 仁佳がハジキ、もとい水鉄砲を撃とうとした――まさにその時、

 

「葉凪ちゃん、なに騒いで…………え、何この状況?」

 

 スマホを片手に現れたのは『petit corolla』の一員、嬉野六香である。まさかの闖入者に仁佳は硬直した。

 一方の六香も驚いていたが、現代っ子かくあるべきか――流れるようにスマホを掲げ、現場の写真を撮った。

 

「え!? なんで撮ったの!?」と葉凪がツッコむが、仁佳の焦りはそれ以上である。

「ば……ばかな!? 今日ここへ来るのは伊香保葉凪だけのはず! おどれ、なんで!?」

「この後ふたりでご飯行く約束だも~ん♪」と、六香は楽しげに言う。「で、で? どしたの? 決闘?」

「じゃかあしい!!」

 

 完全に現場を押さえられた仁佳の頬を冷や汗が伝う。予定外の二対一。だが、もはや退路は断たれたのだ。

 ハジキを持つ仁佳の手が震える。仁佳は気合でその震えを押さえ込んで、葉凪たちをキッと睨んだ。

 

「こうなりゃ死なばもろともじゃあーー!! うおおおおお!!!」

 

 仁佳はしゃにむに走り出し、ゼロ距離でしこたま水鉄砲をぶち込もうと葉凪と六香に特攻を仕掛ける――と。

 

「うわわっ!?」

 

 気持ちの逸りに足がもつれ、勢いよく天地がひっくり返る。そこで仁佳の記憶はぷつりと切断された。

 

♨    ♨    ♨

 

「すまん! この通りじゃ!!」

「わわわっ! 頭上げて、仁佳ちゃん!」

 

 そんな葉凪の声が響くのは、広島県は宮浜温泉にある仁佳の自室である。スッ転んで気絶した仁佳を葉凪と六香が介抱し、家まで送り届けたのだ。そのついでに、仁佳は二人から「ブチコロ」の真実についても聞かされていた。

 

「でもまさか、あの写真がこんなハプニングを引き起こすなんてね~。SNSの奇跡だね☆」と、六香が笑う。

「あはは……。予定通りに『プチコロ』って書けてればよかったんだけど、羊さんの誘導がうまくいかなくて……」

「なんであれ、迷惑かけたうえに助けてもろうたとあっちゃあ、恩を返さにゃあ気が済まん。ちいと待っとれ」

 

 そう言って一度部屋から出ていった仁佳は、湯気の立つ皿を手にして戻ってきた。

 それは、たっぷりのソースでつやつや輝く薄い生地の下に、焼きそば、玉子焼き、豚肉、山盛りキャベツが段々に重ねられた、ボリューム抜群の仁佳特製お好み焼きである。

 

「さ、たっぷり食うていってくれ! 広島名物――」

「広島焼きじゃん! 美味しそ~!」

「なっ!?!?」

 

 広島焼き。その言葉に仁佳の心は掻きむしられた。広島焼きとは『大阪のお好み焼き』を正統とした呼び方であり、こちらのスタイルを常食している仁佳たち広島人にとっては禁忌の言葉である。

 スマホを取り出してさっそく撮影態勢に入る六香に、仁佳は文句をつけてやろうとして……こらえた。

 六香も恩人であり、ここで噛みつくのは仁義に反する。反するのだが、しかし……!

 仁佳が苦渋の表情で葛藤していると、ふと葉凪が言った。

 

「あれ? ここでは広島焼きじゃなくて、お好み焼きって呼ぶんだよね?」

「!!!!」

「美味しいんだよねぇ、広島のお好み焼き……麺がたっぷり入ってて。焼き方もちょっと違うよね?」

 

 仁佳は目を見張った。

 葉凪はにこにこと「お好み焼き」の所以について六香に説明を始める。彼女の口ぶりには皮肉もなく、媚びもなく、広島人への心遣いに満ちていた。中には「はいはい、お好み焼き、お好み焼き(こう言っとけば喜ぶんでしょ?)」という好奇の反応をする者もいる中で、葉凪のそれは違う。土地の文化への敬意がベースにある自然な言葉だった。

 今ここに、広島全土を包む大輪の仁義の花が咲いた。

 葉凪の懐の深さにこみあげてくる尊敬の念が、仁佳の知る最大限の尊称となって口を突く。

 

「姐さん……!」

「え!? あ、アネさんって……わたし!?」

「はい! タマを取りに来た相手を助けるその器の広さだけでのう、広島のお好み焼きこそ正統じゃって、しっかりわかってくれちょる……あんた、姐さんと呼ぶにふさわしいです! どうかうちを舎弟にしてくれ!」

「舎弟~!? いきなりそんなこと言われても! お、お友達の方が嬉しいんだけど……」

「そがいな恐れ多いけん! 姐さんは姐さんです! どうかうちを舎弟と思ってなんでも命令してつかぁさい!」

「え、ええ~……?」

 

 困ったように目を泳がせる葉凪を見て、仁佳はハッと我に返った。姐さんを困らせてなんとする!

 自分からお役に立つべきだ、と仁佳は考え込む。どうすれば姐さんへ仁義を通せるのか、必死に考え――閃いた。

 

「わかった! 姐さんのお役に立つために、うち、アイドルになる!!」

「はぇっ!?」

 

 予想もしていなかったのだろう。仁佳の宣言に、葉凪の喉奥から声ともつかない奇妙な呻きが飛び出した。

 仁佳は思いの丈を熱く叫んだ。

 

「聞きゃあ『バズらせ大作戦』もpetit corollaを盛り上げるためのアイデアじゃったとのこと。ならばうちもpetit corollaを盛り上げるためにひと肌脱がしてつかぁさい!」

「お~! やったね葉凪ちゃん! 広島プチコロ組だよ!」

「六香ちゃんまで!? わたしは舎弟じゃなくて、お友達になりたくて……」

「アイドルなんてチャラチャラしたモンこっぱずかしゅうはあるんじゃが……。

 

姐さんの為ならこの宮浜仁佳、命も惜しゅうない! 本日この日より、よろしくお願いいたします!!」

 

「い、命は大切にして~~っ!?」

 

 葉凪の叫びも何のその、舎弟道とは押し掛けることと見つけたり。

 こうして仁佳は、葉凪に受けた恩を返すため、仁義の旗のもとに熾烈なアイドル抗争に身を投じるのであった。

 

Fin.

written by Ryo Yamazaki

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