温泉むすめ伝「浅虫夕凪の章」
(うわ……すご~~~~~い!!!)
色とりどりの生地が棚一杯に陳列された圧巻の光景に、浅虫夕凪は目を輝かせた。
ここは東京のとある手芸専門店。夕凪は師範学校の帰りがけに、ねぶた祭の――明かりを灯した巨大な灯篭を山車に乗せて練り歩く、全国的にも有名な青森県の夏の伝統行事である――衣装の生地を見にきていた。
(よーす、この中の一番めごぇ生地、絶対さ今年のハネトの衣装にすてけるぞ!)
『ハネト』とはねぶた祭りの踊り子のことだ。漢字で書くと『跳人』で、その字のごとく、ハネトたちは山車灯籠の周りを「ラッセーラー!」の掛け声と共に飛び跳ねるように踊るのである。夕凪はその衣装を年ごとに新しく仕立て、ハネトとしてねぶた祭に参加することを何よりの楽しみとしているのだった。
都会があまり得意でない夕凪にとって、東京の店に行くというのは大冒険であった。だが、この生地の棚を見れば、来た甲斐があったというものだ。
ここにある布を全部見たいと思い、夕凪は片っ端から生地を確かめようとしたが、上の方に手が届かない。踏み台でも借りようかと考えていると、折良く、布を抱えた店員が近くの通路を足早に横切った。夕凪はとっさに声をかけようとして――しかし、仕事で忙しそうな店員は彼女に気づくことなく歩き去っていった。
(うぅ……声出ね……)
やはり都会は苦手である。人も町もせかせか、せかせか。脇目も振らぬその雰囲気に怯んでしまうのだ。
だが、勇気を出さねば買い物も始まらない。夕凪がひとりそわそわしていると、そばで悩ましげな声がした。
「うう~ん……。店員さん、みんな忙しそうだべさ……」
聞き慣れた声であった。しかも自分と同類の、店員に声をかけられない人種の。
夕凪はひょこっと棚の反対側に回り込む。果たして、そこにはよく見知った宮城県の温泉むすめがいた。
「那菜子さん!」
「え? あ、夕凪ちゃん!」
学校帰りの格好をしたお下げの少女――秋保那菜子は、夕凪の顔を見て安心したようにふにゃりと笑った。
♨ ♨ ♨
「はー……。SPRiNGSのライブ衣装、那菜子さんが作ってらんだね」
「ひとりで、じゃないべさ。でも、生地のチェックはわたしの趣味兼お役目っちゃね。来るのに勇気いるけど……」
店員に声をかけられない人間がひとりからふたりに増えたところで、状況が好転するはずもない。結局、夕凪たちは踏み台を諦め、他愛のない話をしながら手に届く範囲の生地を確かめて回ることにした。
「わー、このお店は初めでだよ。ねぶだの衣装の生地買いに来だんだ」
「へえ~! “あの”ねぶた祭の衣装だべか!」
「うん!」と、夕凪は勢いよく頷く。「ちってまり頃がらハネトどすて踊ってらんで、集中すて縫ってらど、いづの間にがねぶだの衣装作っちゃーりするんだよね」
夕凪が熱を籠めて喋る言葉を、那菜子はにこにこと楽しそうに聞いていたが――ふと、こう言った。
「誇りなんだねぇ。さすが東北三大祭りだべさ!」
「……んん?」
夕凪は首を傾げた。その反応に那菜子もきょとんとして、同じく「ん?」と首を傾げる。今、彼女は重大な間違いを口にしたのだが、どうやら悪気はないらしい。
「すごいっちゃねぇ、ねぶた祭り。毎年200万人くらい来るって聞いたべさ!」
「あー、そいだばねんだ……!」夕凪は頭を抱えた。「わーのしゃべっちゅのは『浅虫ねぶだ』のごどで……!」
そう、ひと口にねぶた祭りといっても、青森県内だけで40以上の地域で開催されているのだ。
そのうち、一般的に「東北三大祭り」に数えられるのは青森市で開催されている「青森ねぶた」である。夕凪が毎年参加しているのは地元・浅虫温泉の「浅虫ねぶた」。開催場所も開催時期も全然違う。
「聞いでけ、那菜子さん! 浅虫のねぶだごそ現在のねぶたの発祥どしゃべらぃでるの!」
浅虫の温泉むすめとしてその誤解を見過ごすことはできない。夕凪は前のめり気味に語り出した。
「何どいっても、浅虫ねぶだの最大の特徴は『バケト』! 『ハネト』だけじゃなくて、仮装すた人々が参加すて一緒さ踊るんだ! 温泉街のお祭りだはんでお客さんも参加しやすいの! ほら、なも違うびょん!?」
「ほうほう、そんな出し物もあるっちゃねえ」と、那菜子は頷き、続けた。「さすが東北三大祭り!!」
「違――――――う!!!」
夕凪は思わずずっこけた。肝心なところが全く伝わっていない。
これはあれか? 逆に自分が誤解しているのか? 那菜子さんは「ねぶた」というお祭り文化そのものを東北三大祭りとして捉えてくれているのか? と夕凪が自問自答モードに入ったとき、彼女らに近づく人影があった。
「ふたりとも楽しそうね~♪」
にこやかに歩み寄ってきたのは、奥ゆかしい気品を纏う雪の精の如き女性だった。どこかで見たことがある人だな、と夕凪が思っていると、那菜子が親しげに彼女の名前を呼ぶ。
「あれ、巴ちゃん! 今日はよく人に会う日だべさ……」
「そうだ! 蔵王巴さん!」と、夕凪の脳内でようやく顔と名前が一致する。「は、は、はじめましてっ!」
山形県、蔵王温泉の温泉むすめ、蔵王巴。東北地方の温泉むすめたちの集いで何度か見かけたことがあるが、常に執事のような女性を引き連れ、お姫様のように所作が眩しい彼女は夕凪にとっては高嶺の花であった。
「夕凪ちゃん、お話しするのは初めてね~♪ よろしくお願いします♪」
「は、はい!」
「横浜にこんな素敵な手芸屋さんがあったのね~。あ、わたくしは中国茶をいただきにきたの♪」
その可憐な笑顔に夕凪が緊張していると、巴はとんでもないことを言い出した。夕凪は一瞬、言葉を失う。
「……巴ちゃんは、ものすごーーい方向音痴なんだべさ」
「え? そったごどある……? ここ、山手線の中だげども」
那菜子に耳打ちされてもなお、夕凪は理解が追いつかなかった。これでは高嶺の花というより、「うっかり高いところに咲いてしまった花」である。
「ぜんぜん目当てのお店につかないな、と思って歩いてたら、偶然ふたりを見かけたの。東北四大祭りのお話をしてるみたいだし、わたくしも混ぜてもらおうかなって」
(……こ、この人もか~っ!!)
お茶目に言う巴に夕凪はがっくりと肩を落としかけて――なんとか踏みとどまった。考えようによってはふたりの誤解を同時に解くチャンスなのだ。今度こそ、と夕凪が再び説明を始めようとしたとき、那菜子が言った。
「東北……“四大”祭り?」
その声には、「信じられない」と言わんばかりの響きが籠められていた。巴が首を傾げる。
「あら。仙台七夕まつりでしょ? 青森ねぶた祭でしょ? 秋田竿燈祭でしょ? それに山形花笠祭!」
「違うべ! うちの近所の仙台七夕祭、夕凪ちゃんの青森ねぶた祭、あと秋田の竿燈祭で“三大”だべさ!」
「あらあら、山形も入れてよ~♪ あ、いっそ福島と岩手も入れて六大祭りにしちゃう?」
「それ言い出すと際限なく増えてくべさ~っ!」
必死に食い下がる那菜子を見て、夕凪は彼女のこだわりを察した。「東北○大祭り」の「○」にどの数字が入るのか……それは、一晩中語り明かせるほどの議題である。
そこにこだわるなら「浅虫ねぶた」のことを分かってくれてもいいのに、と会話に出遅れた夕凪は溜息をついた。激論を交わすふたりから目を逸らし、棚に並んだ色とりどりの生地を何気なく眺める。
すると――その目に、棚の隅にあるひとつの生地が飛び込んできた。
「こ、こぃは!」
それは、藍で染め抜かれた三羽のうさぎが白地にのびのびと跳ねる、見ているだけで元気になる一品だった。夕凪はまじまじと生地を見つめ、ついで那菜子と巴を見る。布の中を跳ねまわるうさぎたち――その浴衣を着て、ねぶた祭りを楽しむ那菜子と巴、そして自分――その光景がハッキリと見えて、夕凪の創作意欲が爆発した。
「めごぇ~~~~~~~~~!!!!」
突然叫びだした夕凪を、那菜子と巴は「え!?」と驚いて見る。
「那菜子ちゃん、巴さん! ふたりども今年、一緒さハネトやってみね? いや、やってみるべ!」
「ゆ、夕凪ちゃん?」
「すまね~店員さ~ん! この布、三人ぶんけ!」
夕凪はその場を飛び出し、通りがかった店員を難なく呼び止める。方言と標準語を織り交ぜながら元気よく店員と話す彼女の姿は、先ほどまで気後れしていた少女とは別人のようだった。
「夕凪ちゃん……。なんかスイッチ入っちゃったみたいだべさ……」
「わたくしたち、ねぶた祭りに参加することは決定なのかしら……?」
呆気にとられる那菜子と巴を尻目に、夕凪はてきぱきと生地を購入した。そして、その紙袋を満足げに抱えて那菜子たちと合流し、採寸のためと半ば強引にふたりを説き伏せて浅虫温泉まで同行させる。
誰かとお揃いの浴衣でねぶた祭りに参加するなんて何年ぶりだろうか。本番は前日入りしてもらって、まずはお茶と久慈良餅を振る舞って、もちろんみんなで温泉にも入って、それからそれから――。
「口でしゃべってもわがってぐれねなら、もう体験すてもらうすかねよね! 浅虫ねぶだ、楽すみにすてでよ~!」
今年のねぶた祭りも、待ちきれないイベントになりそうだった。
Fin.
written by Ryo Yamazaki