story おはなし

温泉むすめ伝「西表島八重夏の章」

久しぶりの快晴に浮かぶ雲は、いつの間にか夏の分厚いそれに変わり始めていた。

 

(ああ、もう梅雨も明げるのがな)

 

 浅虫夕凪はひとり机に頬杖をついてそんなことを思う。地元の青森を出て、中等部から温泉むすめ師範学校に入学して早三ヶ月。季節の移り変わりにも気が回らないほどに、夕凪は未だ都会のせわしなさに慣れずにいた。

 始業のチャイムが鳴り、教科書を取り出そうと机を探る。だが、どれだけ探しても目当ての教科書は見つからない。

 

(わ……忘れだ!? うわあああ! すまったぁ! 今日先生さに当てられる日なのに!!)

 

 夕凪が慌てていると、目の端に何かがちらついた。

 見ると、それは次の授業の教科書だった。差し出し主は隣の席の西表島八重夏である。

 

「見る……?」

 

 夕凪は驚いて八重夏を見た。彼女とは入学以来、一度も話したことがなかったからだ。無口な八重夏はなんとなく話しにくそうで、クラスの中でも少し不思議な子として通っていた。

 

「えっと……いらないならいいけど」と、教科書を手元に戻そうとする八重夏の手を、夕凪は慌てて掴む。

「見る! 見させで!」

 

 八重夏はこくりと頷くと席を寄せてくる。夕凪も自分の机を動かして彼女の傍に座り直し、お礼を言おうと何気なく彼女のそっけない横顔を見て――ハッと気づいた。

 

(……………この子、すっごーーーーーーぐ、めごぐね???)

 

 授業が始まった。だが、夕凪は授業もそこそこに、まんじりと八重夏を見つめ続けた。

 

(うーん。見ぃば見るほどめごぇ……)

「……虫さん……」

(まづ毛なげなぁ……ほっぺだ、柔らがすべ……つっついだっきゃさすがに怒らぃるよね……)

「……浅虫さん!」

「はい!!」

 

 反射的に立ち上がると、クラスから笑いが巻き起こった。指名されることが分かっていたから教科書を見せてもらったのに、助け船を出してくれた当人に見惚れて叱られるとは情けないほどのドジっぷりである。

 ひとしきり先生に叱られた夕凪がしおしおと席に座ると、八重夏がちらとこちらを一瞥して言った。

 

「……ちゃんと授業は受けようね」

 

♨    ♨    ♨

 

 この日以来、夕凪は八重夏に声をかけるようになった。八重夏の反応は相変わらず薄かったが、それでも嫌がられているわけではなさそうだった。どんな夕凪の質問にも、八重夏は言葉少なだが答えてくれる。

 昼休みを屋上で過ごしていたときのことだ。ふと八重夏が空を見上げ、こんなことを言った。

 

「こっちの空は狭いね」

「ん? そうがなぁ。空はどごでも変わねなって思っちゃーげど」

「高いものいっぱいだから……コンクリートジャングルって言うらしいよ……」

「息へずなぇってごど?」

 

 こくり、と八重夏は頷く。

 

「都会って、どこ行けばいいのかわからない……」

「そいだばわがるがも。わ、ばげの散歩好ぎなんだばって、こっちのばげって、窮屈っていうが、忙すいっていうが、なんだが落ぢ着がねんだよねぇ」

「……?」

 

 言ってる意味が伝わらなかったのか、八重夏が首をかしげる。

 

「えーっと……夜の散歩が、好きなんだけど、落ち着かないの」

 

 そう言い直して理解してくれたらしい。八重夏は再び頷くと、ぼそりと呟いた。

 

「夕凪ちゃんの隣は……なんか落ち着くね」

 

 こういう何気ない一言が、夕凪はくすぐったくもあり、嬉しくもあった。何となく気が合いそうな気がした。

 

♨    ♨    ♨

 

 また別の日の放課後、トイレから戻ってきた夕凪は教室へ入ろうとして、ふと足を止めた。

 八重夏が誰かと話している。

 夕凪は思わず物陰に身を隠して、こっそりその光景を覗き込んだ。話し相手は別のクラスの同級生のようだ。内容はわからないが、会話が弾んでいるのはなんとなく分かる。もちろん、八重夏はいつもの如く言葉少なだが。

 とてもいいことだと思った。人見知りの八重夏が、自分以外の誰かとコミュニケーションをとっている。そう、確かにいいことなのだが……。

 

(あれ……もやもやする……?)

 

 会話を終えて、八重夏が席に戻っていく。そのタイミングで夕凪も教室へ入った。

 八重夏がぴくりと夕凪を見る。彼女はなぜか緊張したふうで、心なしかそわそわして見えた。

 

「ゆ、夕凪ちゃん、遅かったね……?」

「ん!? も、もぢろんだよ!」

 

 答えたあと、何が「もちろん」なのか分からないことに夕凪は気付いた。会話が成り立っていない。

 八重夏はその日ずっとぎこちないままで、夕凪もそれにつられてトンチンカンなセリフを連発してしまった。放課後、いつもなら「帰るべが!」と夕凪から誘う時間になっても、今日はなぜか声をかけづらい。先ほどの八重夏の姿が脳裏によぎって、夕凪はどうにも気が引けてしまっていた。

 

(気ぃ合いそうな人ほがにもいるんだなぁ、八重夏ぢゃん……)

 

 気づけば教室には誰もいなくなっていた。グラウンドから響く運動部の掛け声が妙に寒々しく聞こえる。

 

(き、気まずぇ……なんか喋らねば、なんか……)

 

 焦るばかりだが一向に言葉が浮かばない。夕凪が悶々としていると――八重夏が思い切ったように言った。

 

「ゆ、夕凪ちゃん……今晩、忘れられない夜を君にプレゼント……する、よ」

「……へ?」

「今夜は寝かさないぜ、ベイビー……!」

 

 きょとんとしている夕凪の手を、八重夏がとった。

 

「行こう」

 

♨    ♨    ♨

 

 吸い込まれそうな闇夜の中、西表島名物のマングローブが生い茂る川をカヌーで進んでいく。

 オールで水を掻き分ける感覚が、夕凪にはとても新鮮だった。

 

「いやー、なんだびょんと思ったばって、まさが西表島で夜遊びすようってごどだどは」

「前に、夜の散歩が好きって言ってたから……」

「あ、覚えででぐれぢゃーんだ……」

 

 カヌーの前部に座る八重夏の表情は暗くて見えなかったが、頷いたのはわかった。

 奥へ奥へと漕いでいく。次第に空が明るみ始め、朝焼けの頃。ふいにバニラのような甘い香りが漂ってきた。

 そこには――。

 

「着いた、よ」

「うわぁ……!」

 

 夕凪は目を見開いた。樹上から鈴なりに垂れ下がった、綿の様な不思議な花が咲き乱れている。よく見るとそれは無数に伸びたおしべだった。その放射状にのびたおしべを柔らかく風に震わせながら、花は音もなく川へ落ちていく。

 茜色の空を背景に降り注ぐ花の雨は、この世のものとは思えないほど幻想的で、夕凪は言葉を失った。

 

「この花はサガリバナ……夏の夜だけに咲いて、一夜で散っていく花。夕凪ちゃんに、見てもらいたくて」

「わに?」

「うん。この花の花言葉はね、『幸せが訪れる』なの」

 

 そう言って、八重夏が振り向いた。朝焼けのせいか、いつもクールな八重夏の頬が赤く染まっている。

 

「夕凪ちゃんと会えて……その……幸せ」

 

 それは、もしかしたら茜空の見せる魔法だったのかもしれない。

 消え入りそうな声だった。しっかりと耳を凝らさないと聞き逃してしまいそうなほどに。

 

「夕凪ちゃんは特別……だから……一緒に見たかったんだけど……誘い方、わからなくて……」

「もすかすて……あの時話すちゃーのって、人の誘い方?」

 

「……ん」と、はにかみながら頷く八重夏に、夕凪は初めて声をかわしたときと同じように見惚れた。

 そして、その時以上にこう思う。

 

(う~ん。この子、ほんにめごぇなぁ……)

 

 自然と笑顔があふれてくる。気が合うとか合わないとか、そんなことを考えていた自分が馬鹿らしくなった。

 と、八重夏の頭に一片のサガリバナが舞い落ちた。その姿もまた愛らしくて夕凪は思わず噴き出す。八重夏も彼女につられて笑い――ふと、何かに思い至ったように首を傾げた。

 

「……あれ? 夕凪ちゃん、わたしが誘い方訊いてたの、なんで知って……。あ。話してるとこ、見てた……?」

「え!? あー……、うん。その件はまたあとで……」

Fin.

written by Ryo Yamazaki

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