story おはなし

温泉むすめショートストーリー 第5話【復刻】

 玉造彗にとって、九月下旬は一年で最も忙しい時期である。

 ひとえにそれは来月に行われる年中行事の準備のためだ。十月――すなわち「神在月」にほぼ全ての温泉むすめが「出雲温泉神社」に集まって一ヶ月間の合宿を行うのである。

「お勤め」と呼ばれるその合宿に際し、彗たち島根県の温泉むすめはホストの立場として準備を一手に請け負っている。そのため、彼女はここのところ毎日のように出雲温泉神社へ出向いていた。

「……だからといって、あなたに助力を頼んだ覚えはないわ」

 そう言って、彗は舞台上で演台の調整をしている女性を不愉快そうに睨みつけた。

「えっ? ですが、わたくしをここへ呼びつけたのは彗さんでしょう」

 演台の陰から女性がきょとんとした顔を覗かせる。彼女は棘のある彗の言葉には慣れているのか、多少睨んだ程度では怯みもしない。

「私は別件で呼んだのであって、手伝ってもらうためではないわ」

「とはいえ、皆さんが準備に勤しんでいるのにわたくしだけ手持ち無沙汰というのも」

「あなたは生徒会長。作業は他の者に任せて大きく構えているべきよ、泉海」

 彗が昔馴染みの名を呼ぶと、彼女――道後泉海は憮然とした表情で彗を見下ろした。

 出雲温泉神社の本殿は舞台と客席からなるコンサートホールのような構造になっている。泉海はホール最奥にある舞台上に立っており、彗は一段低い客席の最前列にいるから、自ずと泉海が彗を見下ろす格好になっていた。

「そもそも舞台の準備は佐間様の担当のはずだけど、あの人は?」

「佐間様ならそちらに」

 泉海は彗の後ろの席を指し示した。

「すー……、すー……。すみません、でんちぎれですー……」

 そこにいた女性、温泉津佐間は眠りこけながら器用に返事をした。

 吹けば飛びそうな細い全身をぐったりと客席に預け、規則正しく寝息を吐いている。佐間が極端に体力のない温泉むすめであることは彗もよく知っていたが、ここまで「電池切れ」が早かっただろうかと彼女は疑問に思った。

「……泉海、佐間様を甘やかしたわね」

「そんなつもりは……。確かに、わたくしがお手伝いを申し出た途端にお休みになりましたので、心当たりがないと言えば嘘になりますが」

 泉海は苦笑して、「本題に入りましょう」と話を変えた。佐間を庇いたいのが見え透いた一言だったが、彗としても無為な問答を続けるつもりはない。

彼女は泉海の言葉に乗って、社務所から持参した桐箱を開けた。

「それは?」と、泉海が舞台の上から覗き込む。

「あなたが式辞を述べるときに着る礼服。今日呼んだのは試着のためよ」

 桐箱には巫女服を儀礼用に華やかにした着物が入っていた。数いる温泉むすめの中でも、その代表者――現在では師範学校の生徒会長のみが着ることのできる特別な礼服である。

「まあ……素敵な衣装ですわね。人目もありませんし、早速ここで着替えましょうか」

「そうね。私が着付けるわ」

「では、そちらへ参りますね」

「待ちなさい。私が行く」

 客席側に下りてこようとする泉海を強く制して、彗は礼服を手に舞台へ上った。

 些細なことを咎められた泉海が「え?」と目を丸くする。しかし、やがて彗の意図に気付いたのか、泉海は呆れたように言った。

「……もしかして、わたくしが彗さんのところへ『降りる』という行為が気に入らなかったのですか?」

「……」

「まったく、相変わらず気位の高い……」

「泉海、始めるから早く脱ぎなさい」

 彗が答えずに神楽服を広げると、泉海は「はいはい」と珍しい返事をして自分の服に手をかけた。

 

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「AKATSUKIの活動、好調のようですわね」

 しばし無言で着付けをしていると、泉海が間を嫌ったかのように口を開いた。

「そうね」

 彗は即答した。泉海がくすりと笑う。

「ずいぶん自信がおありのようで」

「自信がないものを披露する方が失礼でしょう」

「ふむ……。その考え方がAKATSUKIの強さを支えているのでしょうか」

「考え方だけ立派でも駄目ね。それを実現する練習量、努力が伴わないと」

「しかし、師範学校に合宿準備、AKATSUKIの練習に仕事にとお忙しいでしょう。彗さん、お体は大丈夫ですか?」

「心配ないわ。AKATSUKIは完璧な個が三人揃ったグループだもの。私が出られない仕事は日向と環綺に任せておけばいい」

「なるほど……」

 泉海は何かを言いたげに考え込んだ。

 各々が自分を高めることに集中すれば、自ずとグループとしてのパフォーマンスも向上していく。それがAKATSUKIのメソッドだ。助け合いとは真逆の考え方だから、お人好しの泉海には馴染まないグループ論かもしれない。

 スクナヒコと深い関わりのある古湯の温泉むすめ同士、彼女とは幼い頃から何かと縁があったが――よくもここまで異なる価値観を持つようになったものだと彗は思った。

「では」泉海が顔を上げた。「そんな彗さんの目には、わたくしたちSPRiNGSのことはどう映っていますか?」

「さあ。興味がないから」と、彗はにべもなく答えた。

泉海がSPRiNGSというグループに所属していて、温泉地の振興という意味ではそれなりに有意義な活動を続けているのは知っている。だが、彗の関心はステージでのクオリティにあり、その意味では彼女たちは未だ取るに足らぬグループだった。

「そう……ですか」

 さすがの泉海も動揺したのか、千早を羽織る手の動きが止まった。

 その様子を見て彗は少し意外に思った。彗が想像していたよりも、泉海はアイドル活動とSPRiNGSに入れ込んでいるらしい。

彼女のステージは片手で数えられるほどしか観たことがないが、言われてみれば――。

「……ああ。あなたたちの歌で、一つだけ忘れられないフレーズがあったわね」

「ふれーず……歌詞ですか? ぜひ教えてください」

 泉海が顔を近づけてくる。彗はそれを避けるようにして彼女の背中側に回り、ややこしく伸びている紐やら何やらを整えにかかった。

 そして、泉海を背後から刺すようにその歌詞を告げる。

「――『道後が一番』」

 泉海の体がぎくりと固まった。みるみるうちに彼女の耳が赤くなる。

「珍しいわね。あなたがあんなことを言うなんて」

「あっ、あれはつい楽しくなってしまって……! というか、厳密に言えばその曲はSPRiNGSの曲ではありませんわ!」

「あら、そうだったのね」

「ほ、本当に眼中にないのですね……。それで、その歌詞はなぜ彗さんの琴線に?」

「はい、終わったわ」

 最後に泉海の後ろ髪を千早の外に出して、彗は話を打ち切った。泉海が「なぜここで」と言わんばかりの目でこちらを睨むが、これ以上助言を送る義理はない。

「わ~。泉海ちゃん、すてきですね~♪」

「えっ!? さ、佐間様!?」

 いつの間にか起きていた佐間が会話に割り込んできて、いよいよ話はうやむやになった。佐間は客席に背中を預けたまま礼服の泉海を見上げると、成長した孫を見る祖母のような笑顔で彼女に手招きをする。

「あの泉海ちゃんがこんなりっぱに……。ちょっとこっちにきて、よく見せてください~」

「は、はい!」

 礼服を乱さないよう、泉海が慎重に客席へ降りていく。

 彗は泉海が階段を下りきるのを待った。そして、彼女を舞台から「見下ろす」形になったのを見計らい、少し茶化すように言った。

「一番は玉造よ、泉海」

「は?」

 泉海が驚いて振り返る。

 大人げない対抗心だが、相手が泉海なら問題ないだろう。彼女とは昔からこういう関係だ。

 案の定、泉海は子ども時代を懐かしむように目を細めて、にやりと笑った。

「あら。気位の高さの話ですか?」

著:佐藤寿昭

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