温泉むすめ伝「和倉雅奈の章」
私が真実を告げた瞬間、部室に絵璃菜さんの大声が響き渡った。
「え~~~っ!? 奇術研究部の『き』は器用の『き』じゃない~~~っ!?!?」
「はい。部室の扉の上にあるプレートを見ませんでしたか? 『奇妙な術』と書いて奇術――」
言い終わらないうちに、絵璃菜さんは猛ダッシュで部室を出てプレートを確認しに行き、「ほんとだった……」と呟きながら、とぼとぼと戻ってきた。
指宿絵璃菜さんは私の所属する奇術研究部に入部したばかりの新入部員だ。温泉地にはよくあることだが、彼女の地元である指宿温泉も、様々な学校の運動部の合宿を受け入れていて――そのような“青春ができる部活”に憧れていた彼女は、初夏さんや帆南美さんたちと出会って、私たちの奇術研究部にその可能性を見出してくれたらしい。
もっとも、なぜか絵璃菜さんはこの部活を“器用な人たちが集まって折り紙を折る部活”と勘違いしていたため、私は見るに見かねて“奇術研究部は手品やマジックなど「奇術」をする部活”であることを伝えたのだった。
「そっかー。手品かー。ま、それもいっか!」
あれだけ驚いた割に、絵璃菜さんはすんなり「真実」を受け入れてくれたようだ。今になって部活を辞められても困るし、切り替えの早い子で良かった――なんて思っていると、彼女は言った。
「でもさー、手品をするなら手品研究部って言った方がわかりやすくないかー?」
「手品も奇術のひとつなんですよ。トランプを使った簡単な手品から、サーカスの演目にあるような綱渡りや水中脱出マジックまで、お客様を楽しませる不思議な芸全般を指す言葉、それが『奇術』なのです」
「でも、初夏がやってるのは手品なんだろー? だったら絶対、手品研究部の方がいい! えりな、そうめん流しを何度も流しそうめんと一緒にされてきたから、そういう使い分けにはちょっと厳しいぞー!」
そう言って、絵璃菜さんは鼻息を荒くする。
確かに、彼女の言うことにも一理ある。部活名が分かりやすければ、絵璃菜さんが活動内容を誤解することもなかっただろう。それでも私は奇術研究部の最年長として、先輩たちや初夏さんの想いを知っている者として、「奇術」という単語に自分なりのこだわりがある。
それを絵璃菜さんにどう納得してもらおうか考えていると――ふと、あることを思いついた。
「絵璃菜さん」
「ん?」
「今日、授業が終わったら私の家に来ていただけませんか? できれば、お腹を空かせて」
♨ ♨ ♨
「大変お待たせいたしました。“造里”です」
和倉温泉の旅館、その客室。私が座卓にお刺身を置くと、絵璃菜さんと心雪さんが感嘆の声を上げた。
「おぉー!!」
「おったまげ~! きれいなお刺身だねぇ!」
心雪さん――銀山心雪さんも絵璃菜さんと同じく奇術研究部の新入部員だ。彼女は同じクラスの絵璃菜さんから話を聞いたらしく、遠慮がちに、しかし私の地元である和倉温泉に興味津々といった様子でついてきてくれた。
「急に家に来いなんて言うから何かと思ったけど、ごちそうしてくれるのかー!」
「本日はお二人に喜んでいただけるよう、心からおもてなしいたします。どうぞお召し上がりくださいませ」
「おぉっ、本物の女将さんみたいだな!」と、絵璃菜さんが私を見る。
「こりゃ期待値が上がるねぇ~。それじゃ早速……いただきまぁ~す!」
と、心雪さんは薄いピンク色をしたお刺身を箸でつまみ――口に入れた瞬間、うっとりと身をよじった。
「ん~! この魚おいしいねぇ。身がぷりぷりだよぉ~」
「うまい! これ雅奈が作ったのか?」
「お気に召していただいて光栄でございます」
「どひゃ~!? 雅奈ちゃんが作るの、お菓子だけじゃなかったんだねぇ……!」
「ウフフ。私、お料理全般が好きなもので」
「この魚どんどん食べられるぞー! 雅奈、甘口の醤油ないかー?」
「ありますよ」と答えると、私は用意していた鹿児島の甘口醤油を座卓に置いた。絵璃菜さんが嬉々として甘口醤油を小皿に注ぎ、お刺身を頬張っていく。二人が全部平らげたのを見計らって、私は次の一品・魚の煮物を出した。
「続きまして……こちら“煮物”です」
「うわぁ~、またお魚! いい匂い……あっ、筍が入ってる」と、心雪さんが微笑む。
「旬のわかめと筍と一緒に煮付けております。さあ、どうぞ冷めないうちに」
私が勧めると、二人は煮物を一口食べて、「うぅ~ん……!」とうなりながら頬に手を添えた。
「煮汁が身の芯までよく染みてるよぉ……」
「やばい! えりな箸が止まんないぞ! 雅奈、米! 米ないかー!?」
「ありますよ。でも、会席コースなのでもう少々お待ちくださいね」
「えぇー!」と不満げな声を出しながら絵璃菜さんは煮付けにがっついている。その食べっぷりに、思わずおひつでご飯を出してあげたくなるが――これは「目的」があってのコース料理である。私は自分の中で騒ぐおもてなしの心をぐっとこらえて、彼女たちの箸が進むのを見守った。
「ふぅー。ごちそうさま! 次はなんだ? えりな、まだまだいけるぞー!」
「お口に合って良かったです。では、こちらが最後になります“焼物”です」
最後の一品・魚の塩焼きを見た二人は、よだれを垂らさんばかりの顔をして言った。
「塩焼きだぁ! おいしそう~!」
「うぉー! これ絶対うまいぞ! いっただっきまーす!!」
「あらあら。二人とも、よく噛んで食べないと喉に骨を詰まらせてしまいますよ」
私の言葉に耳も貸さず、二人は身をほぐすなり口に放り込むと、パッと目を輝かせた。
夢中になって塩焼きを食べる絵璃菜さんと心雪さんを見ているうちに、私はいつの間にか自分の顔がにやけていることに気が付いた。手ずから作った料理をおいしそうに食べてもらえるというのは、つい「目的」を忘れそうになるくらい幸せなことで――。
私は、にやけた顔をそのままに、彼女たちの食べっぷりを見守っていたのだった。
♨ ♨ ♨
「はぁ……。おいしかったぁ……。雅奈ちゃんって本っ当にお料理が上手なんだねぇ……」
「ごちそうしてくれてありがとな、雅奈!」
「ウフフ♪ どういたしまして♪」
食事を終えた心雪さんと絵璃菜さんの言葉に、私の頬が再び緩む。
“ありがとう”――この言葉は私にとってご褒美のようなものだ。お客様に言ってもらえたら、喜んでいただけて良かったと嬉しくなるし、私の料理を食べての一言なら尚更だ。
「ところで、どうして私たちにご馳走してくれたの? しかもこんなお客様に出すようなお料理を」
――おっと、いけないいけない。心雪さんに言われて、私は「目的」を思い出した。
「これには深いワケがありまして……。絵璃菜さん、気付きましたか?」
「へっ? 何を?」
「実は……どのお料理も、こちらの“ハチメ”という魚を使っているんです」
私が竹かごに盛ったハチメを座卓に置くと、二人は目を丸くして「えぇ~~っ!?」と叫んだ。
ハチメというのは和倉温泉でよく食べられている赤い鱗をもった魚だ。春を告げる魚のひとつで、七尾湾の海域に広く生息するため、和倉温泉のある七尾市の魚に選ばれるほど地元の人々に親しまれている。
「なんと……。全部同じ魚だったなんてびっくらこいたよぉ……」
「なんだよー! 『煮物』とか『焼物』とだけ言われても分かんないに決まってるだろー! だったら最初から『ハチメのなんとか』って名前にしろよー!」
驚く心雪さんと、口を尖らせる絵璃菜さん。その反応を見て、私はしめしめと続ける。
「日本の会席料理のコースでは、このように大きなくくりで名前をつけてお料理をお出しするんです」
「会席料理のコースう?」と首を傾げる絵璃菜さんの隣で、心雪さんが呟く。
「あ。そういえば旅館で見たことあるかも……。先付とか、前菜とかもそうだよね」
「はい」と、私は頷いた。「造里も煮物も焼物も、あえて大きく名前をつけておくことで、中身を季節やお客様の好みに合わせて変えられるのです。同じ造里でも、冬は能登鰤のお刺身になるかもしれません」
そして――私はにっこりと微笑んで、こう続けた。
「これ即ち奇術研究部も同じ。その時の舞台やお客様の好みに合わせて、手品に限らず、様々な芸でお客様を楽しませる――だからこそ、手品研究部ではなく奇術研究部なのです!」
「な、なるほど……!!」
決まった、と私は思った。絵璃菜さんは今度こそ理解してくれたようで、何度も力強く頷いている。隣で心雪さんが「へっ? なぜに突然部活の話に?」と戸惑っているけど、見なかったことにしておこう。
「つまり、手品より奇術の方が強いってことだな! おいしい上に分かりやすいなんて、雅奈はすごいなー!」
「いえいえ、絵璃菜さんのおかげで私も初心を思い出せましたから」
「それにえりな、ハチメってやつも知らなかった! 初めて食べたぞー!」
「ウフフ♪ 実はこれ、メバルなんです。石川県ではメバルのことをハチメっていうんですよ♪」
「えっ? メバルって黒い魚だろ? これ赤いんだけど?」
意外と鋭いツッコミに、褒められていい気になっていた私は「うっ!?」と身を固くした。
そう。確かにハチメ=メバルではない。ハチメはウスメバルというメバルの一種で、一般的に知られているのは絵璃菜さんが言った黒いメバル、クロメバルなのである。
「た、確かに厳密にはウスメバルですが……七尾市ではこれがメバルです! メバルと言ったらメバルなんです!」
「はあー!? そんなの絶対ダメ! ちゃんと使い分けた方がいいぞ! そうめん流しはそうめん流し!」
「ねぇ、二人ともさっきから何の話してるのぉ!? わけわかめだよぉ!」
ハチメを守るように竹ざるを抱きかかえる私。ぷりぷり怒る絵璃菜さんに、戸惑う心雪さん。
あっという間にしっちゃかめっちゃかになった状況を前に、私は「だからぁ! これはメバルなんですぅ!!」と必死に叫ぶのだった。
著:黒須美由記