story おはなし

温泉むすめショートストーリー 「未来の彼方――Episode SPRiNGS」

■12月22日、PM14:10――。

 

「はーい、みなさん集合してください」

 

 開演二十分前、舞台袖。

 スタンバイしているSPRiNGSの八人に向け、道後泉海が「ぱん、ぱん」と二度手を叩く。リーダーたる泉海の合図に反応して、箱根彩耶と有馬輪花が集まってきた。

「いよいよ本番だね。お客さんの声がここまで聞こえるよ」

「この瞬間は何度経験してもドキドキするわね。最高のライブにするわよ!」

「もちろんですわ。みなさんとステージに立つのも、これで何度目でしょうか……」

 泉海は思いを馳せるように目を閉じて、しみじみと言った。

「SPRiNGS結成当初は先行きが心から不安でしたが、みなさんと様々な活動を重ねることでわたくしも温泉地の振興についてたくさん勉強させていただきました。今日のステージはそのことへの感謝を胸に抱いて――」

「……あー、泉海」と、輪花が泉海の言葉を遮った。「いい話をしてくれてるところに悪いんだけど、まだ全員集まってないわよ」

「……は?」

「というか、私と輪花しかいないね……」

 彩耶も苦笑している。泉海は慌てて周囲を見回した。

 舞台袖には各々のペースで過ごしているSPRiNGSの面々がいて――。

 

♨          ♨          ♨

 

「おおー! これが今日のミキサーだね!」

 有馬楓花は音響機材に興味津々のようだった。

「たくさんスイッチがあってかっこいいな。えーっと……ここをスライドさせればみんなのマイクのボリュームが変わるのかな、かな?」

「ふ、ふうちゃん……。見ただけで構造を理解するのはすごいんだけど、あんまり触らない方がいいのでは……?」

「ふむ。美月氏美月氏、このミキサーって美月氏のパソコンでハックできねーんデスか? バーデンのマイクだけちょっと音量大きくしてほしいデース!」

「そ、それは厳密なPC用語で言えばハッキングではなくてクラッキングでござる!」

 楓花の背後には不安げにおろおろする下呂美月がいて、その美月の周りを奏・バーデン・由布院がうろちょろしている。

「あれ? かなちゃんのギターが置いてあるよ」

 ミキサーの下に潜り込もうともぞもぞしていた楓花が脇にあるギターケースに気付いた。由布院温泉のどこからでも見える名峰・由布岳がロゴ代わりに描かれたアコースティック・ギターのケースは奏のものである。

「えっと……使う予定ありましたっけ?」と美月が奏に尋ねる。

「セトリどおりに進めば出番はねーデスよ。でも、ライブにハプニングはつきものデスからね! いざというときは天才バーデンのソロステージで二時間でも三時間でも繋いでやるつもりデース!」

「「おお~!」」

 ドヤ顔で胸を張る奏に楓花と美月がぱちぱちと拍手する。奏は調子に乗って続けた。

「フッフッフ……。颯爽と現れたバーデンの演奏に感動した誰かからソロデビューのお話が来ちまうかもしれないデスね!」

「わ、おもしろそうだね! ふうかもかなちゃんと一緒にソロやってもいいかな、かな?」

「あっ、では拙者も一緒に……湯~ちゅ~ぶ動画のネタになりそうですし……」

「ソロって言葉の意味分かってマスか!?」

 

♨          ♨          ♨

 

「ふう……。み、みみみみんなすすすごいべさ……。い、いまだだに人前に出るのきき緊張するのわわわわたしだけだべべべかかか……?」

「な、那菜ちゃん落ち着いて! 震えすぎて真冬に内湯から露天風呂に移動中の人みたいになってるよ!?」

「たた、たとえがわわ分かりにくいっちゃね……」

 舞台袖の隅では秋保那菜子が足をすくめて震えていた。

 ライブ前の彼女は毎度こんな感じである。始まってしまえば吹っ切れるので心配はいらないのだが、草津結衣奈だけはいつもバカ真面目に励まし役を買って出ていた。

「ほら、那菜ちゃん! こういう時こそいつもどおりだよ!」

「い、いつもどおり……?」

「うん! まずお茶淹れて~」

「お、お茶淹れるべさ……」

「いつものバッグ漁って~」

「わたしのバッグ……がさごそ……」

「温泉まんじゅう出して~」

「温泉まんじゅう……あったべさ!」

「そう! そしてそれをわたしに差し入れ!」

「――はぁい。そこまで♪」

 結衣奈と那菜子がティータイムを始めようとしていると、どこからともなく登別綾瀬が現れて温泉まんじゅうをかすめ取った。

「綾ちゃん!? わたしの温泉まんじゅう~!」

「まったく……。那菜子ちゃんを励ますふりして結衣奈ちゃんが自分の食欲を満たしたいだけじゃない」

 そう言って綾瀬は温泉まんじゅうを自分の胸の谷間に押し込んだ。まんじゅうを奪い返そうとしていた結衣奈が「うぐお!?」と変な声をあげてフリーズする。

「さ、那菜子ちゃん」そう言って綾瀬は両手を広げた。「お姉さんがあなたの緊張をほぐしてあげるわ。おいで♪」

「あ、綾瀬ちゃん……!」

 那菜子はふらふらと綾瀬の胸に飛び込んだ。

「よしよし……。大丈夫よ、あんなに練習したんだから」

「うん……。がんばるべ……」

 安らかな声とともに那菜子の震えが止まっていく。登別綾瀬セラピーの効果はてきめんのようだったが――当の綾瀬本人も頬を赤らめてうっとりとしていた。

「はあ……。やっぱりライブ前はかわいい女の子をハグするにかぎるわね……!」

「あ、こらーっ! ずるい! 綾ちゃんこそ自分の欲望で動いてるだけじゃん!」

 結衣奈は怒って二人に駆け寄った。

 

♨          ♨          ♨

 

「……」

 道後泉海は「無」の表情でそのカオスを眺めていた。

 

「三人でソロデビューか~。楽しみかな、かな?」

「だからそれはソロじゃねーデース!!」

 

「温泉まんじゅうかーえーしーてー……むぐっ!?」

「うふふ……。二人まとめてハグしてあげるわね♪」

 

 ――ぶちっ。

 

(あ、泉海の堪忍袋の緒が……)

(うん。切れたね……)

 輪花と彩耶がそっと目を伏せる。泉海はドスのきいた声で叫んだ。

 

「――SPRiNGSッ!!」

 

「!?」

 集合していなかった六人がびくっと泉海を見る。

 泉海は笑っていた。笑顔だったが、彼女の背後には怒りの般若がありありと見えた。

 

「しゅ・う・ご・う。……いいですわね?」

 

「は、はいッ! リーダー!」

 結衣奈たちは駆け足で集まってきた。彩耶と輪花を加えて寸分違わぬ間隔で円陣を組む。その動きはまるで軍隊のようだった。

「……よろしい。今が本番前だということを忘れないように」

「あはは……。泉海も苦労するね」

「ま、いつものノリなのは悪いことじゃないけどね。平常心ってことでしょ」

 彩耶が泉海を、輪花が六人をそれぞれフォローする。この流れそのものも恒例――輪花の言葉を借りれば「いつものノリ」の延長で、一同は軽く笑い合って力を抜いた。

「では、代表者から一言」と泉海が言った。「今回は……結衣奈。お願いしますわね」

「はいっ!」

「あら、いい返事ね。もしかして言うこと決まってたとか?」

 元気よく答えた結衣奈を綾瀬が茶化す。結衣奈は「えへへ、ちょっとね」と笑うと、すうと深く息を吸って――ゆっくりと話し出した。

「……最近ね、分かったの。わたし、まだ何も分かってないなってことが」

 

「『温泉を盛り上げるためにアイドル始めろ』ってスクナヒコさまに言われたとき、わたしすっごくワクワクした。でも、それと同じくらい『どうすればいいんだろう』って思った。

 アイドル活動で温泉を盛り上げる……みんなと色んなことをやってみたけど、正直、まだその答えは見つかってないよね」

「そうだね」と彩耶が言った。「テレビとか新聞にたくさん出ればいいのか、SNSを頑張ればいいのか、今日みたいにライブすればいいのか……」

「人の多い街に出ていって温泉地を知ってもらうべきなのか、地元のイベントにお客さんを呼べばいいのか……色んな方法があるっちゃね」

 那菜子もそう言って「ふーむ……」と考え込んだ。緊張はすっかりほぐれたようだ。

「『これで完璧! 温泉地PRマニュアル!』みたいなのがあれば楽なんですけどね……」

「はんっ。ねーならバーデンたちで作っちまえばいいんデスよ」

「でもでも、正解そのものがないかもしれないよ~」

 美月、奏、楓花もそれぞれに考えていたテーマのようだった。結衣奈は彼女たちに目配せして「うん」と頷く。

「それでも、がむしゃらに色々やってみて――ヒントのようなものはつかめた気がする」

「ヒント?」と輪花が問う。

 結衣奈は自分の胸に優しく手を当てて答えた。

「――わたし、温泉が大好き。草津温泉も大好きだし、他の温泉に遊びに行くのも大好き。

 温泉地で働いてるみんなも、温泉に来てくれるお客さんも大好き。そして……SPRiNGSのみんなとやるアイドル活動も大好き。だから――」

 

「だから――その『大好き』って気持ちが呼ぶほうへまっすぐ進めばいいんじゃないかな、って。そうしたら見えてくるかもしれない。いまのわたしたちには分からない、想像もできないすごい未来が!」

「……未来の向こう。未来の彼方ですわね」

 泉海が微笑んで言った。

「そう、それ! みんな、今日はその第一歩にしよう!」

 そう言って、結衣奈は円陣の中央へ手を差し出す。ステージに出る前のいつもの儀式だ。

「見たことがない世界かあ……。ツチノコさんみたいなものかな、かな?」

「拙者はこうしていること自体がすでに異世界転生のようなものゆえ……頑張ります」

「ま、しかたねーからバーデンがソロデビューするまでは付き合ってやるデース」

 楓花、美月、奏が結衣奈の手に自分の手を重ねる。それぞれの解釈が独特すぎて結衣奈の言葉が響いているのかいないのか分からないが、三人ともキラキラと目が輝いている。

「……ぐすっ……。結衣奈にも温泉むすめとしての自覚が芽生えたようで、わたくし感無量ですわ……!」

「あらあら。泉海ちゃん、気を抜くと私たちのライブがジャックされちゃうわよ? 手強いグループがいっぱいいるんだから♪」

「そうよ泉海。あたしにも……後輩、って言っていいのかしら……とにかく、そんな相手ができたし、腑抜けた姿は見せられないわ」

 責任感の強さを感じさせる言葉とともに、泉海、綾瀬、輪花も手を載せる。

「私たちは結衣奈の行くほうへついていくだけだよ」

「それで、頑張った日は温泉で一休みするべさ♪」

 最後に彩耶と那菜子が続いて、SPRiNGS九人の手が重なった。

 

 みんなの手は温かくて、熱い。まるで源泉のように。

 

 その熱を存分に感じて――結衣奈は腕を高らかに持ち上げた。

「よーし! みんなにわたしたちの『大好き』を届けに行こう!」

「「「「「「「「おーっ!!」」」」」」」」

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