温泉むすめショートストーリー 「情熱のパラディソ――Episode AKATSUKI」
■12月21日、PM19:49――。
「すごい……」
箱根彩耶は思わず呟いた。
川崎市、ライブ会場。目の前で明日のライブのリハーサルが行われている。通しのリハは夕方に終わっていて――いまステージにいるのはスケジュール的にこの時間にしか集まれなかったグループだ。
AKATSUKI。温泉むすめ最強のアイドルグループである。
「これがAKATSUKIの新曲、『情熱のパラディソ』かあ……! 見入っちゃうね……!」
「体が熱くなってきちゃったべさ……」
彩耶の隣にいる草津結衣奈と秋保那菜子もステージに視線を釘付けにされている。
「今までの曲とはちょっと違うね。AKATSUKIらしいハモりは残ってるんだけど……なんていうんだろう、えーっと……」
「――加速、してマスね」
「それだ!」
奏・バーデン・由布院が結衣奈の感想を代弁した。普段は怪しい日本語を使うのに、こと音楽に関しては語彙が豊富である。
「確かに」と、彩耶は続けた。「これまでは王者の風格というか、ちょっと退屈してる感じすらあったけど、この曲は雰囲気を変えてきたね」
「はわわ……。わたしたち、明日はこんなすごいグループと同じステージに立つんだべか……? こ、心を落ち着けないと……お茶、温泉まんじゅう、ひっひっふー……!」
「彩耶さんも那菜さんもビビるこたーねーデスよ。バーデンたちが本気を出せばAKATSUKIなんてお茶の子ヒポポタマスヒポポタマスデース」
「ひぽぽ……? ひぽ……あ! サイか! お茶の子さいさいを英語にしたんだね!」
「ヤー! 結衣さん正解デース!」
「いえーい! わたしたち超天才!」
結衣奈と奏がハイタッチする。彩耶は呆れて言った。
「いや、ヒポポタマスはサイじゃなくてカバだよ……」
「お茶の子カバカバになっちゃうべさ。あ、これはこれでかわいいかも」
「那菜子、話がややこしくなるから」
いつもどおり全方位に突っ込みながら、彩耶はAKATSUKIに圧倒されていた自分の緊張がほぐれていくような気がした。
(……うん。加速してるのはAKATSUKIだけじゃない。私たちも色々な経験を積んでここにいるんだから、自信を持たないとね)
そんなふうに考えて、彩耶は自分の変化に少し驚いた。
自然に気持ちを切り替えることができている。以前だったら前向きになるには結衣奈の一言が必要だったのに。
(そう。こういうときに結衣奈が言い出しそうなことは――)
「よーし、こうしちゃいられない! わたしたちも――」
「――もう一回合わせておく?」
あまりに結衣奈が想像通りのことを言うので、彩耶はつい先んじてしまった。
「ふえっ!?」と結衣奈が驚いて彩耶を見る。
「ふふ……。やる気があるのはいいけど、明日に響くから一回だけにするっちゃね♪」
「ふおっ!? 那菜ちゃんまで!?」
悪戯っぽく笑って、那菜子が彩耶に続いた。そうやって釘を刺すのはいつも彩耶の役割だ。
「むむむ……? 彩耶さんが結衣さんみたいなことを言い出したと思ったら、那菜さんが彩耶さんみたいなことを言い出したデース……?」
「彩耶ちゃん、那菜ちゃん……!」
奏が混乱している傍ら、結衣奈は嬉しそうにじーんとした表情を浮かべている。
「うん、これだよ……! これまでの自分の役割を越えて、みんながセンターでリーダーになったつもりでてっぺんを目指す、これがSPRiNGS! まさにあのことわざの通りだね!」
「こ、ことわざだべか?」
那菜子がおそるおそる聞き返した。結衣奈が「うん!」と自信満々に頷くのを見て、彩耶は数分ぶり二回目の「いつもの自分」の出番が来たのを確信する。
「そう――『船頭多くして船山に上る』!」
「……うん。それだと船沈んじゃうね」
彩耶は満を持して突っ込んだ。
♨ ♨ ♨
「リハお疲れさまでした! 完璧でしたー!」
「ありがとうございますー。明日はよろしくお願いします♪」
見送りに来たスタッフにひらひらと手を振って、別府環綺が愛敬を振りまく。鬼怒川日向と玉造彗も「おつかれでーす!」「失礼します」と会釈をして、AKATSUKIの三人は会場の外に出た。
「日向、彗ちゃん、聞いた? 『完璧でしたー!』だって」
環綺がくすくす笑いながらスタッフの真似をする。すかさず日向が言った。
「えー、そうだったかな? パラディソのとき、彗ちゃんのステップ甘くなかった?」
「あのスタッフが本音で完璧だったと言っているわけではないことくらい分かるでしょう。環綺も日向もいちいち煽る必要はないわ」
彗が澄ました顔で受け流す。環綺は「きっと本気だと思うけどな」とむくれた。
「けれど」彗は続ける。「日向の言う通り、サビのステップには違和感があったわね。環綺のブレスが少し短かったのかしら」
「そう? 私はスコアどおりに歌ったつもりだけど」
「ちょっと確かめてみよっか。環綺ちゃん、いつものアレよろしくー」
「うん」
日向がそう言って、環綺が頷く。
三人は誰とも言わずに円を描くように立ち――静かに目を閉じた。
その瞬間、彼女たちの周囲からさっと騒音が消える。冬の風の音や人々の足音、車の走行音――それらは依然として夜の街を賑わせているのに、三人のいる空間だけ別世界に切り離されたかのようだった。
三人の呼吸がシンクロする。
そして、環綺が囁くように「3、2、1……」とカウントを数えると――完全なる静寂が訪れた。
「……」
「……」
「……」
超然とした光景だった。歌うわけでも踊るわけでもなく、三人が静かに立っている。
やがて彼女たちがゆっくりと目を開くと――日向がぺろりと舌を出して笑った。
「ごめーん、あたしだったね」
「そうだね。少し力んでた」と環綺も頷く。「日向の歌い方も悪くないけど、どうしよっか」
「どうしよっかって、なにが?」
「明日に向けて完璧を期すために、どこかのスタジオを借りて合わせてみる? うふふ」
「ええーっ!? 今までそんなのしたことないよ!?」
「……環綺、思ってもないことは言わない方がいいわ。日向も真に受けない」
彗が眉をしかめて言った。
AKATSUKIが三人集まって練習する時間は彗によって管理されていて、原則として予定外の打ち合わせや特訓は起こりえない。その「三人での練習」も、練習というより各々が個人で準備してきたことを合わせるだけだ。
「今回も特別なことをする必要はないわ。日向、明日までにアジャストしてきなさい」
「はーい」
「彗ちゃん、私たちもしっかり準備しないとね。本番の日向は獣だし♪」
「そうね。準備は完璧にしておくべきだけど、ステージで窮屈になる必要はないもの」
「分かってるって! そこはちゃーんと二人についてきてもらうから!」
日向は明るくそう言って駐車場のガードフェンスをひょいと跳び越え、最寄りの神社へ歩き出した。彗と環綺も合わせて帰路に就く。
AKATSUKIのグループ活動は「信頼」を前提としている。
わざわざ集まって練習せずともメンバー各々がたゆまぬ努力を続けるという信頼。それぞれの才能に対する信頼。ステージを支えるスタッフへの信頼。自分たちが表現するメッセージを受け取ってくれるというオーディエンスへの信頼。
そして、各々の地元の温泉地で働く人々への信頼。
自分たちが活躍して温泉地の名を売り、地元に人を呼び込むことさえできれば――そこから先は温泉地の人々が旅行客の心をしっかり掴んでくれるであろうことに全幅の信頼を寄せているからこそ、彼女たちはステージで完璧なパフォーマンスを披露することに集中しているのだ。
「じゃ、彗ちゃん環綺ちゃん。また明日ね!」
ライブ会場から道路を一本渡った場所にある神社に着くと、日向はそう言った。
「ええ、また明日。日向、お腹を出して寝るのはやめなさいね」
「もうすっかり冬だしねえ♪」
「だ、大丈夫だよ! もー……」
どこまでが冗談なのか分からない口調で彗と環綺が日向をからかう。仕事に対するスタンスは活動当初から一貫していても、こういうちょっとしたやりとりはステージを重ねるごとに柔らかくなってきた。
「それじゃ、私たちのステージを見たお客さんが温泉旅行に来てくれることを願って♪」
「ええ――明日も、ステージに暁の光を届けましょう」
「おやすみ、二人とも!」
三人は同時に鳥居をくぐり――お社渡りで姿を消した。