story おはなし

温泉むすめショートストーリー 「Passionate Journey――Episode Ririn Ohtemachi」

■12月21日、PM15:13――。

 

 このドキドキはなんだろう、と大手町梨稟は思った。

 東京駅、東海道新幹線18番ホーム。通行人の邪魔にならない場所に立って、梨稟は行き交う人々を眺めていた。

 到着した新幹線からどっと人が降りてくる。出張帰りのサラリーマン、冬休みの親子連れ、初めて東京に来たらしい外国人。彼ら/彼女らの様々な表情を楽しんでいる間にも、反対側の19番ホームでは出発のベルが鳴り響き、東京駅から旅立つ人々が早足で乗り込んでいく。

 

 人は旅する。どこかからここへ。ここからどこかへ。

 

 その光景を見ていると、梨稟の心は無性にドキドキするのだ。

 

「なに感傷に浸ってるのよ、梨稟」

 梨稟がそんなことを考えていると、待ち合わせをしていた姉妹が現れた。梨稟は質問には答えず、いつもの笑顔を作って彼女たちを出迎える。

「輪花……さん、楓花。よく来たわね!」

「はいはい。無理にさん付けしなくていいっての」

 有馬姉妹の姉の方、有馬輪花はそう言って苦笑した。人気読モの彼女らしく、その服装には隙がない。東京は大手町の温泉むすめとして、梨稟も最新のトレンドを追うべく努力しているが――まだまだ輪花には及ばないな、と思った。

「ひひんはん! ふうはのほほもさんふけでよんへいいほ~!」

「ごめん楓花。なんて言ったの?」

 そんな姉に対して、妹の有馬楓花は極端にもこもこした格好をしている。ファーコートのチャックをいっぱいまで上げ、マフラーを巻き、さらに喉の保護のためにマスクまでつけているせいで声がこもってよく聞こえない。

 過保護が服装に表れている。犯人は輪花だろう。

「……ぷはっ! あのね、『梨稟ちゃん! ふうかのこともさん付けで呼んでいいよ~!』って言ったの」

 楓花はマフラーからうにょっと首を抜いて言った。

「言われてみれば」と、輪花が頷く。「梨稟は師範学校の中等部一年、ふうちゃんは高等部一年。ふうちゃんの方が先輩じゃない。あたしにさん付けするならふうちゃんにもさん付けするのが筋ってものじゃない?」

「ま、そうだけど。でもね……」

 そう言って、梨稟は楓花を見下ろした。

「?」というつぶらな目で楓花が梨稟を見上げる。楓花は梨稟よりも身長が低いのだ。

「楓花ってあたしより身長低いし。先輩感ないのよ」

「がーん!」

 梨稟は思ったとおりのことを言った。彼女はこういう余計な一言を胸に秘めておくことができないタイプである。

「むむむ……! じゃあこれでどうかな、かな?」

 そう言いながら楓花はぴょんぴょんと跳ね始めた。わたわたしてペンギンに見える。

「せんぱいだぞ~! うやまいたまへ~!」

「なにそのノリ……。輪花さんも何とか言ってよ」

「あ、ヤバい。犯罪的なかわいさだわ。ふうちゃん……いや、ふうちゃん先輩……!」

「輪花さん!?」

 輪花は立ったまま気を失いかけていた。梨稟は驚いて輪花の肩を揺する。

 輪花の弱点は楓花だという噂は聞いていたが、これほどとは思わなかった。憧れの先輩のなんとも言えない姿を見て、梨稟は思わず叫ぶ。

「もー、二人ともやめて! ここ新幹線のホームだから! 人目があるから!」

「あはは! じょうだんだよ~。温泉むすめはみんなで温泉地を盛り上げていくお友だちだから、せんぱいもこーはいもないもんね!」

「こほん……そうね。ふうちゃんの言うとおりだわ」

 輪花はきりっとした表情に戻って同意した。

「……輪花、さん。もしかして楓花の言うことにはなんでも従うんじゃ……」

「そ、そんなことないわよ。それより梨稟」輪花は慌てたように話題を変えた。「わざわざホームで待ち合わせなくてもよかったのに。あんたに入場料かかっちゃうじゃない」

「大手町温泉に泊まってくれる二人をお迎えするんだから、このくらい当然。楓花が東京駅で迷っちゃっても困るしね」

「むにゅっ」

 梨稟はそう言って楓花のおでこを優しくつついた。

 大手町温泉の温泉むすめである梨稟の実家は東京駅近くの高級旅館である。今回、明日のライブに備えて輪花と楓花がその旅館に泊まることになったのは、彼女たちがデビュー前の梨稟を心配してのことだ。その気遣いそのものは大きなお世話なのだが、客として旅館に泊まってくれる人を逃す手はない。

「そっちこそ、どうして新幹線で来たの? お社渡りでいいじゃない」

 梨稟は返す刀でそう尋ねた。

 行き先さえイメージできれば、鳥居と鳥居の間を自由にワープできる。それが温泉むすめの神通力『お社渡り』である。わざわざ新幹線で移動する必要はない。

「こういう時くらい使ってみようかなって思ったの」と、輪花が言った。「明日のライブに来てくれるお客さんの中にも、遠くから新幹線で駆けつけてくれる人もいるだろうし」

「もしかして、このホームのどこかにもいるんじゃないかな、かな?」

 楓花はホームを見回している。こういう時の彼女の勘はよく当たるのだ。

「ふーん……。で、新幹線の旅はどうだったの?」

「悪くないわね。何よりふうちゃんと二人でゆっくりお話しできたし」

「駅弁おいしかったよー。新神戸駅名物、ひっぱりだこ飯! お姉ちゃんはなんだっけ?」

「あたしは六甲山縦走弁当ね。それより、お弁当食べて歯磨きに行ったふうちゃんが帰ってこなくて焦ったわ……」

「えへへ、ごめんね。なんとなくぶらぶらしたくなっちゃって」

 輪花と楓花は新幹線の中で起きたことを楽しそうに話し始めた。

 

(……あ、そっか)

 

 その姿を見て、梨稟は自分のドキドキの答えが分かった気がした。

 二人の笑顔はホームにいる旅行客と同じだ。どこかから旅してきた人の、そして、どこかへ旅に出る人の表情。日常を忘れ、いつもの自分を脱ぎ捨てて、未知なる出会いを見つけに行くときの高まる想い――。

 

「そうそう。梨稟の旅館のホームページも見たわよ」

「都心のまんなかにあるのに和風の旅館なんだよね? 楽しみかな、かな!」

 

 ――梨稟のドキドキは、これから旅に出る者の高揚感だ。

 

「……ふふん! もっとハードルを上げてくれていいわよ。二人には最高のおもてなしをしてあげるんだから!」

 梨稟は二人をビシッと指差してそう言い放った。

 大きなお世話だなんてとんだ思い上がりだった。二人が来てくれなかったら、梨稟は自分の感情の正体が分からなくてもやもやしたまま当日を迎えていたかもしれない。

 来てくれてありがとうと言うべきところだが、彼女はそういう肝心な一言を素直に伝えることができないタイプである。せめておもてなしで応えようと梨稟は思った。

「ほんと!? わあ、すごく楽しみ! 早速お邪魔しよーっ!」

「あ、ふうちゃん! 走ったら危ないわよ!」

 駆け出した楓花を追いかけて、輪花がホームの階段へ去って行く。

 二人を追いかけようとして――ホームに鳴り響いたベルの音に梨稟はふと立ち止まった。

 輪花と楓花が乗ってきた新幹線が折り返し発車していく。新しい旅人を乗せて。

 

 人は旅する。どこかからここへ。ここからどこかへ。

 

「おーい、梨稟ちゃん! 置いてっちゃうよー」

「ふうちゃん……。梨稟を置いてったら宿の場所分からないわよ」

 輪花と楓花が呼んでいる。梨稟は笑って答えた。

 

「うん、すぐ行くわ! 待ってなさい!」

 

 ――明日のライブ会場が、あたしの始発駅なんだ。

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