温泉むすめ伝「あつみ詩鶴の章」
温泉むすめ師範学校高等部、被服室。
手芸部の活動場所であるその部屋には、放課後になると「開かずの間」が現れる。
「〽さみだれの~出羽の谷間の朝市に~傘して売るはおほむね女~」
――カシャン。ジャコッ。カシャン。ジャコッ。
カーテンで仕切っただけの簡単な空間。誰からも見られない「わたしだけの部屋」だ。
部活動の時間になると、その部屋の中で、わたし――あつみ詩鶴は織物をする。
――カシャン。ジャコッ。カシャン。ジャコッ。
刻むリズムは四拍子。経糸と緯糸が「織りなす」心地よいビートだ。
「ふふっ……。今日もいい布が作れそうだね」
♨ ♨ ♨
「あら、やっと出てきた」
織り上がった布を手にわたしが「開かずの間」を出ると、家庭科室には二人の温泉むすめがいた。その片方、同じ手芸部部員の原鶴美鵺さんがすぐにわたしに気付く。
「詩鶴。楽しそうに機織りするのはいいけれど、たまには外の様子にも気を配りなさい」
そう言う美鵺さんの口調はどこか刺々しく聞こえる。でも、何かと委員長っぽい言い方になってしまうのは美鵺さんのくせのようなもので、わたしも特に気にしていない。
「ああ、ごめん。うるさかったかな」
「そうじゃないわ。あなたにお客さんが来てるってこと」
彼女が示した席には、地味な手芸部にはおよそ似つかわしくない華やかな少女が座っていた。キラキラ輝く自分のネイルを眺めてうっとりしているのは、月岡来瑠碧さん。
「やっほ、しづるん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「えっ? ああ、うん。突然だね」
来瑠碧さんは人懐っこく笑ってわたしに近寄ってきた。宝石のようにぱっちりと(させるためにアイプチを)した彼女の目に見つめられて、わたしは少したじろぐ――。
……あれ。来瑠碧さんの目、わたしの目を見ていない。
「しづるんの頭に乗ってるその子……なに?」
彼女が見ていたのは、わたしの頭の上だった。
わたしの頭上。そこには、顔と腕のついた白饅頭のような物体が乗っている。
「ちょ、ちょっと来瑠碧。それは暗黙の了解で聞かないことになってるのよ」
美鵺さんがそう言って止めに入るけれど、彼女もチラチラとわたしの頭上を見ては目を逸らしている。どうやら美鵺さんも気になっていたようだった。
「……ふふっ」
変に気を遣われていたのがおかしくなって、わたしはつい笑ってしまった。そして、自分の頭上に手をやると、「白饅頭」をそっと取り外す。
「なんてことはない、鶴のぬいぐるみだよ。名前は『もっしぇくん』」
「つ、鶴……? これが?」
わたしが差し出した『もっしぇくん』をつつきながら、来瑠碧さんは頬を引きつらせた。
「『もっしぇ』っていうのは温海地域の方言で『面白い』のなまりなんだ。この見た目で鶴だなんて、面白いと思わないかな?」
「うーん……。まあ、そういうことなら」
来瑠碧さんはあっさり引き下がった。
「え、納得したの?」と美鵺さんが首を傾げる。
「正体さえ分かればオッケーオッケー! あたしは別になんでもよかったんだけど、友達がすっごい気にしててさぁ」
「あはは。そういうことだろうと思ったよ。今さらな質問だもんね」
温海地域は昔から新潟県との関わりも深いから、来瑠碧さんとわたしも浅からぬ関係だ。彼女自身は帰宅部だけど、趣味のアクセサリー作りのために手芸部に顔を出すことも多く、お互いのことはよく知っている。
来瑠碧さんは他人に興味を持つタイプではない。となれば、友人の代理の質問なのだ。
「友達ねえ。誰? 温泉むすめ?」と、美鵺さんが尋ねる。
「来瑠碧さんと仲良しの子でいうと、白骨朋依さんとか、Adharaの誰かかな」
「違う違う! 萩とあろはだよ。磐梯熱海萩といわきあろは!」
「ああ、そっか。磐越三美人つながり」
来瑠碧さんが答えを言うと、優等生の美鵺さんが即座に付け足した。
磐越三美人湯。山形のあつみ温泉と新潟の月岡温泉の関係が経糸なら、福島の彼女たちと新潟の来瑠碧さんの関係は緯糸だ。
「んじゃ、二人に教えてくる! ありがとね、しづるん!」
ひらひらと手を振って、彼女は小走りで家庭科室を出ていった。
「来瑠碧って、他人に興味がないわりに友達は多いのよね」
美鵺さんが苦笑する。わたしもちょうど同じことを考えていた。
経糸と緯糸を「織りなす」中心。来瑠碧さんはその場所に立っている。
「……少し、羨ましいな」
「ん? 詩鶴、何か言った?」
「いや、何でもない。じゃあ、次の布を織るから絶対に覗かないでね」
わたしは『もっしぇくん』を頭上に戻して、再び「開かずの間」に籠もることにした。
「絶対だよ!」と美鵺さんに念を押すと、彼女は「はいはい」と慣れた様子で笑った。
♨ ♨ ♨
――カシャン。ジャコッ。カシャン。ジャコッ。
交わり、織りなす。
あつみ温泉は、色々なものが「織りなす」場所だ。
海と山をつなぐ場所にあり、山形と新潟の交易拠点であり、過去と現在を結ぶ地でもある。
名物の「温海かぶ」は遠くシルクロードから渡ってきた作物だし、「しな織」は日本最古の織物の一つだと言われている。
そして、名所の朝市や足湯では今日も人と人の縁が紡がれていることだろう
そんなあつみ温泉のように、わたしも人々の縁をつなぐ温泉むすめになれればよかったのだけど……なにぶんわたしは、一人で籠もって織物をする方が好きな性格だ。
「ねえ、もっしぇくん。アイドルになれば、わたしも少しは変われるかな?」
ふと、新学期にスクナヒコさまが言い出したことを思い出して、わたしは呟いた。
「……いやいや。わたしはアイドルって柄じゃないよね」
浮かんできた選択肢を慌てて否定する。心の乱れは、糸の乱れに直結するのだ。
「よし、まずは機織りに集中して――」
――と、その時。
「ねえねえ、しづるん! 萩とあろはから追加の質問なんだけど――」
戻ってきた来瑠碧さんが、「開かずの間」のカーテンを開けてしまった。
「なっ!?」
わたしの心臓が跳ね上がった。ガタガタッ! と機織り機に動揺が伝わる。
「……えっ? いま……」
来瑠碧さんは、カーテンを開いた格好のまま絶句し――。
「……えっと……。ねえ、しづるん。あたしの見間違いかもしれないんだけど……」
と、彼女らしくない慎重な言い回しで、おずおずと切り出した。
その視線は――再び、わたしの頭上に注がれている。
「いま、『もっしぇくん』が織物を手伝ってなかっ「そんなことないよ」
わたしは笑顔で否定した。わたしは怒っている。
「えっ、いや、でも。確かにもっしぇくんが両手に糸を持っ「そんなことないよ」
「あ、はい……」
(おわり)
著:佐藤寿昭