温泉むすめ伝「いわきあろはの章」
「絶ッ対にロコモコ丼の方がいいっスよね、あろはさま!」
「いや、カジキメンチ丼で行くべきだ。ねえ、あろはさま」
いわき湯本駅近くの弁当屋。学校に持参するお弁当を買いにきたあろはの前で、二人の店員が口論していた。
「いわき湯本といえばフラダンス! 新商品は絶対にハワイ料理のロコモコがいいですって!」
「ロコモコならどこでも食べられるだろう。せっかくの新商品なんだから、ここにしかない丼……いわき名物カジキメンチを使ったカジキメンチ丼にトライした方がいい」
「くっ……! どっちがいいと思いますか、あろはさま!」
「俺ら、あろはさまの判断に従いますよ。さあ、いつもみたいにパパッと決めてくれ」
決着を求めて、店員たちは期待のまなざしであろはを見た。
いわきあろはという温泉むすめは生粋の楽天家である。
彼女は常に「とにかく楽しんで生きたい」と考えていて、どんなことでもエンジョイする方法を見つけ出せる。口論中の店員たちもその性格を当て込んで仲裁を依頼したのだろう。
悩み知らずのあろはなら、きっといつもの笑顔で解決してくれるはずだ――と。
でも、今朝の彼女はいつもと少し違っていた。
「ぶえー……」
彼女は店員の前で露骨に困った顔をした、のだという。
♨ ♨ ♨
「……困った? あろはが?」
その日の昼休み。あろはの話を聞いていた私――磐梯熱海萩は思わず問い直した。
「珍しい……。何か悪いものでも食べたの?」
「言うねー、萩ぴっぴ」と、あろはは笑って言った。「わたしってそんなに能天気なイメージあるかな~?」
「うん。なんでも笑い飛ばしてくれるイメージだけど……ってこら。なに取ろうとしてるの」
会話のさなか、あろははさりげなく私のお弁当のおかずをかっさらおうとしてきた。私がその手をはたき落とすと、彼女はイタズラが見つかった子どものような笑顔で「にへへ」と口元を緩める。
弁当屋のゴタゴタに巻き込まれたせいで、あろはは今日の昼食を買い損ねてしまったそうだ。最初にそれを聞いたとき、私は「お弁当分けようか?」と提案したのだが、その時の彼女は胸を張ってこう答えた。
「いや、ガマンする! 放課後にロコモコ丼とカジキメンチ丼を食べ比べることになってるから!」
その舌の根も乾かぬうちに今の狼藉である。お腹の減りに耐えかねて気が変わったのだろう。
過去も未来もなく、今を楽しく生きることだけを考えている。お気楽すぎると思うときもあるけれど、そんな性格だからこそ彼女は色んな人に頼られるのだ。
「いつもそんな感じだと……あろはが困った時の店員さんのリアクション、すごかったんじゃない?」
「そ~なんだよ!」と、あろはは激しく頷いた。「『うわあああ!? あろはさまを困らせてしまったーっ!?』って、すっごく驚かれてさ~!」
「だよね。ご当地メニューに意見を求められるなんて温泉むすめ的にはよくあることだし、まさかあろはが困るとは思わないよ」
「なはは! そ~かもね~♪」
あろはは八重歯を見せて能天気に笑い――ひと呼吸置いたあと、聞き捨てならないことを言った。
「だって、自分でも驚いたもん。『うわ~、今わたしめっちゃ困った顔してる! なんでか分からないけど!』って」
「……は?」
「ん? なに?」
「……どういう意味? 『どっちかなんて選べない』とか、『朝からそんな相談されても困る』とか、そういう理由があって困ったわけじゃなくて――特に理由もないのに困ったってこと?」
「そう! 大した相談でもないのに、どうして今日に限ってあんな態度を取っちゃったのか、わたし自身にも分からないんだよね。……逆になんでだと思う? 萩ぴっぴ」
「いや、私に聞かれても」
私は呆れ顔で答えた。その場のノリで生きているにもほどがある。
先述のとおり、あろはは放課後に改めて弁当屋に行くらしい。あろはを困らせたものは何だったのか――その正体が気になった私は、彼女の食べ比べに同行することにした。
♨ ♨ ♨
放課後になると、あろはの空腹は限界に達しようとしていた。
「うぎ~~っ……! もうお腹ぺこぺこりんのスカスカ丸だよ~……!」
リズム感だけの単語を呟く彼女に連れたっていわき湯本を歩き、件の弁当屋へ向かう。まだ十七時前だというのに、そのお店は営業を終えたようだった。
「おじゃましま~す! 食べ比べに来ました~っ!」
勝手知ったる様子で引き戸を開けるあろはに続いて、私も中へ入る。
しかし、店内は無人で――その代わりに、大きくてカラフルな作成途中のポスターが置かれていた。
あなたの一票が新商品を決める! 『ロコモコ丼』vs.『カジキメンチ丼』
「なんだこれ? 朝にはなかったぞ?」
あろはが面白そうにポスターを覗き込む。QRコードつきで、スマホから投票できるしくみのようだ。
これを店の前に掲示して、お客さんたちに新商品を決めてもらうつもりだろう。あろはに決定権を委ねていた今朝の状況から大きく話が変わっているけれど、私たちが学校にいる間に何かあったのだろうか。
そんなことを考えていると、店の奥から二人の店員が飛び出してきた。
「あーっ! あろはさま来てたんスか! 今朝はすいませんっした!」
開口一番、若手と思しき方の店員がガバッと頭を下げた。
「ん~? わたし、なんか謝るようなことされたっけ?」と、あろはがとぼける。
「いつも笑顔のあろはさまにあんな困った顔をさせちまうとは思わなんだ。考えてみりゃ、なんでもかんでもあろはさまに頼るのは筋違いだよな」
ベテランらしき方の店員が苦笑しながら補足して――ポスターに手を伸ばすと、自信満々に広げてみせた。
「だが、もう大丈夫だ。ポスターを店の前に貼って、お客さんに決めてもらうことにした。話題作りにもなるしな」
「どうッスかあろはさま! SNS時代っぽくて楽しいッスよね!」
若手の店員も手応えを感じているらしい。今朝の口論のわだかまりもなく、店員同士で頷き合っている。
悪くないアイデアだと思う。ある一点を除けば。
「うん。うーん……うん? あれっ? じゃあ、今日の食べ比べは……」
と、あろはが首を傾げた。
「大丈夫ッス! 面倒おかけしました!」
と、店員は胸を張った。
「マジか」
あろはは口をぽかんと開けてその場に立ち尽くした。彼女のお腹の虫が鳴っているのが聞こえる。
私だったら心底がっかりしてしまうところだけど――でも、そこはいわきあろはだ。
「…………。うん! ま、いっか!」
彼女はすぐに気を取り直すと、店員たちと一緒にポスターを作り始めたのだった。
「あろは。私分かったよ」
帰り道、私はそう言ってあろはを呼び止めた。
「ん? なにが?」
「どんな状況でも楽しめるあろはが、今日に限って“困った顔をした”理由」
「ほんと!? なになに?」
あろはは八重歯をキラリと輝かせて、興味津々で私にすり寄ってくる。
犬みたいだな、と私は思った。こんないい子を困らせてしまったのだから、弁当屋の店員たちもそれはそれは必死でアイデアを考えたことだろう。
『SNS時代っぽくて楽しいッスよね!』と、あの店員は言っていた。まるで、あろはに導かれたように。
「今回の件――あろはは本能的に、自分が困った方が楽しくなると思ったんだよ」
「な、なんだって~っ!?」
彼女はまずそう言って、それから「え、どういう意味?」と尋ねてきた。ノリで驚いてみただけらしい。
私が答えないでいると、彼女は腕を組んで真面目に私の言葉の意味を考えようとして――五秒後にこう言った。
「ま、いっか♪」
いわきあろはという温泉むすめは、生粋の楽天家なのだ。
Fin.
written by Toshiaki Sato