温泉むすめ伝「飯坂真尋の章②」
やれやれ。この勝負、いつ終わらせっかなー。
なんて思いながら、あたし――飯坂真尋は腕相撲してる右手を軽く握り直した。
対戦相手の草津結衣奈はというと、ユデダコみたいに真っ赤な顔して汗ダラダラ、腕なんかプルプル震えてて、こりゃもう限界だなって思った。
ここは『温泉むすめ師範学校』、午後の教室。いつもは腹いっぱいで眠くて仕方ない時間だけど、今日は違う。みんな自習なのをいいことに、あたしたちを囲んで大盛り上がりだ。
正直、結衣奈なんてすぐにKOできるけど、これだけ盛り上がってると勝つタイミングも難しいってなわけで。暇を持て余したあたしは、小さくため息をついて天井を見た。
……つーか。どうしてこうなったんだっけ……?
二十分ほど前。偶然聞こえた『アイドル』という言葉に、あたしは思わず反応した。
「は? アイドル? 結衣奈、アイドルやんの?」
すると、幼なじみの二人――箱根彩耶と秋保那菜子と話していた結衣奈が言った。
「うん、彩耶ちゃんと那菜ちゃんの三人で! でもまだユニット名も決まってなくて――」
「アイドルって、ヒラヒラした服着て歌って踊るヤツだろ? あたし思うんだけどさー、あんなことするより地元のために出来ることあるんじゃねーの?」
「えぇっ!? ……でっ、でもでも、わたしがアイドルとして有名になれば、たくさんの人に草津を知ってもらえるし、草津温泉に来てもらえるかもだし……」
「それなら別にアイドルじゃなくてもいいだろ? 最近盛り上がってるみたいだけど、みんなヒラヒラした服着たいだけで、地元のことが後回しになってると思うんだよなー」
あたしの地元は日本三大けんか祭りの一つ、『飯坂けんか祭り』で有名な飯坂だ。あたしはアツい源泉と同じように、何事にもアツい魂を持って本気で取り組んできた。
それなのにスクナヒコさまときたら、『全国の温泉地を盛り上げるために、温泉むすめがアイドル活動をする』なんてさ。あたしはスクナヒコさまのことも、アイドル活動をする温泉むすめのことも、それをすすめる地元のみんなのことも理解できずにいた。
すると、結衣奈が椅子から立ち上がって言った。
「そんなことないよ! わたし本気だもん!!」
おっ。結衣奈のヤツ、目が真剣だ。
あたしは全身の血がたぎってくるのを感じた!
「なら、あたしと勝負しようぜ!」
「へっ? 勝負……??」
「ああ。勝負の内容は何だっていい。お前の本気、見せてもらおうか!」
結衣奈は一瞬目を丸くして、それからニッと笑った。
「おーっ! 望むところだよっ!!」
――で。今あたしたちは腕相撲してるわけだが。これ、もう五戦目なんだよなー。初戦であたしが圧勝したんだけど、結衣奈が「もう一回!」ってしつこくて、二戦目をして……んで、この繰り返し。いいかげん終わりにしてもいいんじゃねーかな……。
あたしは欠伸をこらえつつ、結衣奈を見た。
――っと! おいおい!! 何だよその顔!?!?
あたしは思わず吹き出してしまった。だって結衣奈ときたら、真っ赤な顔で目は血走り、口をとがらせ突き出して――まるでひょっとこみたいな顔してたんだ。
「あっひゃっひゃっ! ゆ、結衣奈……やめ、やめろってその顔……反則……!」
すると、チャンスと見た結衣奈が一気に勝負をかけてきた!
「チョイナアアアーーーーー!!!!!」
「おわっ!?!?」
あたしは負けそうになったところをなんとか持ちこたえた。でも結衣奈の力は凄まじく、グイグイ来やがる。くそっ、油断した! 今さらながらガチンコ勝負だ……!
睨みあっていると、結衣奈が絞り出すような声で言った。
「……めない……」
「あぁ!?」
「わたし……草津温泉にふさわしい温泉むすめになる……」
「!? だから……何だよ!?」
「だから……そのために、できることがあるなら……何でもやる……。最後まで諦めない! それがわたしの……本気だーーーーーっ!!!」
「!!!!!」
どこにこんな力を残していたんだろう。
結衣奈の馬鹿力を前にあたしの右手は傾き始め、教室は大きくどよめいた。
そして、ついにあたしの右手が机に着きそうになったその時――。教室の扉が開いて、先生が入ってきた。
「あなたたち何してるの!? 今は自習の時間よ!?」
「「……あ」」
あたしと結衣奈の声が見事にハモった。
♨ ♨ ♨
「ふぅ~、いい湯だった……」
鯖湖湯から旅館に戻ったあたしは、自分の部屋の床にどっかりと腰を下ろした。
「……しっかし、今日は散々な一日だったぜ」
あのあと職員室でこってり絞られたあたしたちは、窓の外が暗くなってきた頃ようやく解放されて、一緒に鳥居の前まで歩いた。
結局お互いに手を離してしまったから最後の勝負はつかなかったけど、結衣奈は「気持ち良かったね!」と笑っていた。あたしはその笑顔が少しだけ眩しくて、「今日みたいに本気でアイドル頑張れよ!」と言った。「ありがとーっ!」と鳥居をくぐっていく結衣奈を見て、あいつなら面白いアイドルになるかもしれないな、と思った。
それにしても……。結衣奈の本気はすごかった。
最後まで諦めないからこそ、体の奥から湧き出る力。あのまま先生が来なかったら、あたしは間違いなく負けていただろう。
「本気、か……。もしかしたらあたしの奥にも、まだまだ本気があんのかもしれねえな……」
あたしは部屋の隅にある紙袋を見た。数日前に女将――かあさんから渡されたものだ。『温泉むすめ日本一決定戦』をすると聞いて、地元のみんなで作ったあたしのアイドル衣装が入っているらしい。
あたしはアイドルなんてやる気はないと突っぱねたが、義理堅いかあさんは「せっかくみんなが作ってくれたんだから!」と置いていった。
「……ま、見るぐらいはしてやるか……」
あたしはどうせヒラヒラした衣装なんだろと思いつつ、それを取り出し広げてみた。
すると――。
「は……法被?」
ためしに姿見の前で羽織ってみる。……うん。やっぱ法被だ。緑色の法被。袖先と裾は白と緑の市松模様になっている。……え? アイドルなのに法被??
戸惑っていると、ノックの音とともにかあさんが入ってきた。
「真尋、けんか祭りのことで若い衆が……!? まあ~っ!! ついにアイドルをやる気になったんだねえ!!」
「!? いや、かあさん、これは……」
かあさんはすっかり勘違いして、ニコニコとあたしを眺めている。そこに、かあさんの声を聞きつけた若い衆たちまでやってきた。
「なになに!? ついに真尋さまがアイドルやるって!?」
「おぉ~っ! すごくお似合いじゃないですか!」
「やっぱ真尋さまには法被だよな!」
みんなは初ステージはどこにするとか、どんな曲にするとかで盛り上がっている。
そ……そこまで本気でアイドルやって欲しかったのか……!
あたしはため息をついて、姿見に映った自分を見た。
法被を着たアイドル、か……。アイドルなんて、考えたこともなかったけど……。
みんなが作ってくれたこの法被があれば、あたしの本気はもっともっと、体の奥から湧き出てくるのかもしれない。
――うっし! そうと決まれば!
あたしは姿見の中の自分に頷くと、勢いよくみんなに振り向いて言った。
「一秒たりとも瞬きすんなよ? あたしの本気は、まだまだ終わらねえぜ!」
Fin.
written by Miyuki Kurosu