story おはなし

温泉むすめ伝「越後湯沢かすみの章」

 白い手袋に包まれた二つの手が、右へ左へ、優雅にハンドルを操る。

 

 助手席でそれを見ながら、タクシーみたいだ、と越後湯沢かすみは思った。今日借りたばかりのレンタカーで、舗装の悪い山道を走っているというのに、車酔い特有の不快感を一切覚えることなく目的地へと向かっている。運転がうまいのは単純に車が好きだからなのか、あるいは自分たち同乗者を慮ってくれているからなのか――いずれにせよ、「温泉スパイ」らしいスキルだな、などと考えながら、運転手の横顔を窺う。

 

「あ。看板がありましたよ、綾瀬さん」

 

 と、後部座席に座っていたもう一人の同乗者が、身を乗り出して運転手の名を呼んだ。

 

「目的の旅館へは、2キロ先の分かれ道を左だそうです」

「はぁい。ありがと、凛心ちゃん」

「まったく、堂々とルール違反だなんて……。一軒宿だか何だか知りませんけど、いずれ神をも超えるこの私の手を煩わせるとは、いい度胸ですね」

 

 そう言って、水上凛心は後部座席にどかっと座り直した。自身の野望を隠すそぶりも見せないその不遜な態度に、登別綾瀬が「あはは……」と苦笑して言う。

 

「凛心ちゃん……。一応、私たちはスクナヒコ様の手足なんだから……」

「滅多なことは言うなって? ふん。私を手籠めにして本音を引き出したのはあなたたち二人の方じゃないですか。と・く・に! かすみさんの! 怪しいお酒!」

「あら。記憶にございませんわ」

「それは記憶にある人が言うセリフなんですよ!!」

 

 突然矛先を向けられても動じずに、かすみは薄笑いを浮かべて凛心をいなした。

 

 ――温泉スパイ。

 彼女たち三人は、温泉や温泉むすめの「使われ方」にまつわるトラブルを未然に防ぐため、全国の温泉地を査察し、必要とあらば適切な措置を講じることができる特権を持っている。その正体は絶対秘匿――ゆえに、こうしてあけすけに話ができるのは三人でいる時ぐらいだ。

 神々の末席に名を連ねる温泉むすめとはいえ、温泉を盛り上げるためなら何でもしていいわけではなく、そこには「暗黙のルール」がある。今回の査察も、とある温泉むすめがそのルールの一つを破っているのではないか、という噂を耳にしたことがきっかけだった。

 

「……『温泉むすめ自身が、特定の旅館の代表になってはならない』」

 

 かすみが呟いた「ルール」に対して、凛心と綾瀬の反応はそれぞれだった。

 

「温泉むすめの間では常識のルールですよ。愚かな子もいたものですねえ」

「今回のお宿は事情が事情でしょ? 事実だったとしても、お目こぼしでいいんじゃ……」

「綾瀬さん、そうやって例外を認めていては秩序が保てなくなりますわ」

 

 ぴしゃりと、かすみは綾瀬をたしなめる。綾瀬にはどうしてももう一度会いたい人がいて、温泉スパイをやっているのも全国を自由に飛び回ってその相手を探すためらしい。本業は二の次なのか、査察対象に甘いのは彼女の悪い癖だった。

 

「ルールには、その根拠となる大原則があるものです。さあ、綾瀬さん、凛心さん。『温泉むすめは――』」

「「――『人と共に在らねばならない』」」

 

 綾瀬は複雑そうに、凛心は辟易とした表情で、かすみの言葉に続いた。

 

「そう。温泉地の主役はあくまで『人』と『温泉』。温泉むすめのお役目は、そのお手伝いに留まらなければならず、そこに例外はありません。私たちは情に流されることなく、他人の事情に深入りすることなく、粛々とお勤めを果たすだけですわ」

「うう……。かすみちゃんが今日も厳しいわぁ……」

「安心してください綾瀬さん! この私がスクナヒコ様を超えた暁には、そんなバカげたルール全部取っ払って、もっと健全な温泉むすめライフを――って、聞いてます!?」

 

 凛心の言葉にツッコむのにも疲れたのか、綾瀬はわざとらしく小さなあくびをした。凛心の定位置が後部座席なのはこういう時のためである。

 だが、凛心はめげずに「それで、かすみさん?」と、身を乗り出してくる。温泉むすめ界の頂点に立つと宣言しているだけあって、立ち直りが早い。

 

「今日はどんな理由で訪問することになってるんですか? まさかバカ正直に『抜き打ちの査察です』なんて言いませんよね?」

「ああ、そのことでしたらご心配なく」

 

 そういえば話してなかったな、と思い出し、かすみは凛心に振り返った。口元に妖しげな笑みを浮かべてしまっていたのか、凛心がびくりと身構える。

 

「な、なんですか、その笑顔は」

「いえ。――もちろん、抜かりはありませんわ」

 

♨     ♨     ♨

 

「ボランティア三名、入りまーす!!」

「ウイィーーーーッス!!」

 

 現地スタッフのお兄さんたちの掛け声の中、かすみたちは泥だらけになって廃材の運び出しに励んでいた。身につけているのは妖艶なスパイスーツではなく、厚ぼったいツナギである。

 

「ウソでしょう……!? いずれ神をも超えるこの私がっ、ツナギ……!!」

 

 頬に泥の筋をつけた凛心が、ふんぬと歯を食いしばって泥だらけの畳を運び出していく。不満を言いながらも作業の手を止めないのは、彼女なりに思うところがあるからだろう。

 

 査察対象の一軒宿は――土石流に飲み込まれ、見るも無残な姿になっていた。

 

「話には聞いていたけど、これほどひどいなんて……」

 

 宿のフロントだったらしき場所を眺めながら、綾瀬が沈痛な面持ちで呟く。

 豪雨か積雪か、いずれにせよ長い時間をかけて地盤がゆるんでしまったのだろう。山の上から流れ落ちてきた大量の泥が建物の中にまで流れ込んでいて、一階部分はもう使い物にならない。重機が通れるような道もないため、こうして人力で泥を掻き出していくほかないようだ。

 当然、営業再開の見通しも立たず――心を痛めたオーナーが廃業を決めたところに、当地の温泉むすめが臨時で代表になった、というのが経緯らしい。

 

「かすみちゃん、やっぱり見逃してあげてもいいんじゃ……」

「ダメだと言ったでしょう。大体、肝心の温泉むすめご本人がいないじゃないですか」

 

 かすみは念を押すように綾瀬に笑いかけ、辺りに目をやる。現場では二十人ほどの人々が作業をしているのに、査察対象である温泉むすめの姿はどこにもなかった。

 

「代表として現場を皆さんに任せているのか、他に事情があるのか不明ですが、直接お話を伺わなければ査察になりませんわ。まずはご本人を探しましょう」

「はぁい……。あまり気乗りしないけど……」

「では、いつも通りに」

 

 表では凛心が既に「始めて」いるのか、「あ、そこの方々! こっちに来て手伝ってください! こういう資材はまとめておいた方が便利ですよ!」と指示を飛ばす声が聞こえる。来たばかりの新顔だというのに上から目線で場を仕切り出す度胸には感心するが、凛心と一緒に鍋や焼肉には行きたくないな、と常日頃からかすみは思っていた。

 

「あの~……。実は、あっちの部屋の天井が漏電してるみたいで。私じゃ分からないので、どなたか詳しい方に来てもらいたいんですけど~……」

 

 続いて綾瀬が声を上げ、屋内にいた作業員たちの意識を引き付ける。その隙に、かすみは【立入禁止】と書かれている柵を音も立てずに乗り越え、宿の奥へと進んでいった。

 

♨     ♨     ♨

 

「……源泉は無事、と」

 

 建物を一通り見て回り、目当ての温泉むすめがいないことを確かめたかすみは、最後に大浴場へと忍び込んだ。

 源泉を運ぶパイプは無事だったらしく、かけ流しの温泉が今なおこんこんと湧き出している。女性が五人も入れば満員になってしまうような小さな湯船だが泉質は確かで、湯に浸した指先にぴりぴりと心地よい刺激が返ってきた。

 

「さて……。どうしましょうか……」

 

 ルール違反を見逃すつもりはないが、かといって話も聞かずに処分をするつもりもない。だが、当の本人が現場にいないというのは、やはり心証が悪かった。

 

「……あれ? ボランティアのお嬢さん」

 

 と、後ろから声をかけられ、かすみはびくりと身を硬くした。

 振り返ると、作業員のリーダー格として見覚えのある壮年の男性が、ポリバケツを片手にきょとんとした顔をしている。どうやら湯を汲みに来ただけらしい。

 

「ダメだよ、こっちに入っちゃあ。危ないよ」

「ああ、すみません……。どのような温泉だったのかと気になってしまいまして」

 

 内心の焦りを悟られないように笑って答えると、男は「あれ? お嬢さん、泊まったことないんだ」と意外そうに首を傾げた。

 

「てっきり、知ってる宿だからボランティアに来てくれたんだと思ってたよ。ここのお湯はいいからねえ」

「ええ、分かります。……あの、こちらの温泉むすめ様はどこに?」

「ん? 温むすさま? 県庁だよ」

「えっ……?」

 

 意外な単語が出てきて、かすみは思わず素の声を漏らした。

 

「まだ復旧予算がついてなくてね。宿の代表として頭を下げに行ってるのさ。『予算をもぎ取ったらそのままオーナーを連れ戻しに行くからよろしく!』って言ってたし、しばらくは戻ってこないんじゃないかな」

「……そうだったのですね」

 

 余計なことを聞いてしまった、とかすみは思った。

 大人しくしているならまだしも、県との折衝までしてしまってはルール違反を誤魔化しようがない。せめてニュースにならないよう、急いで県庁に向かおうと立ち上がろうとして――彼女はふと、あることに気付いた。

 

「……すみません。もう一つ」

「え? うん」

「まだ予算がついていないということは、皆様も自治体から派遣された方々ではなく……」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

 

 男は笑い、今や入る者もいなくなった湯船の縁を愛おしげに撫でて、言った。

 

「俺たちもボランティアだよ。みんなこの宿に思い出があって、駆けつけたんだ」

 

♨     ♨     ♨

 

「はあ~~~~…………」

 

 越後湯沢では貴重な源泉かけ流しの貸切風呂に、疲労を煮詰めたような凛心の声が響く。

 

「いずれ神をも超えるこの私ですが、明日は筋肉痛ですね……」

 

 男の言った通り、結局目当ての温泉むすめは現れず――かすみたちは、ただボランティアとして肉体労働をしただけに終わった。ぐったりと湯に浸かっている凛心はもとより、さすがの綾瀬も疲れ切ったようで、湯の中で自分の腕や脚を揉んでいる。

 

「でも、また行かなくちゃよねえ……。話を聞きに」

「えっ!? まさか、またボランティアですか!? あーいや、別に嫌というわけじゃないですし、むしろ力になれることがあればお手伝いしたいんですが、もうちょっとこう、この私の才能を活かす方面で……」

「……いえ、もう査察はいいでしょう」

 

 ごにょごにょと取り繕う凛心の言葉を遮って、かすみは静かに告げた。

「はい?」と、凛心が目を丸くする。

 

「次に伺う時は――そうですわね、皆様にへぎそばでも差し入れしましょうか」

「いや……、はい?」

 

 言葉の意図を測りかねている凛心の間抜け面を見て、かすみはくすりと愉快そうに微笑んだ。凛心と同じく、綾瀬も困惑していたようだったが――すぐに、得心したように表情を変える。

 

「確か、新潟のへぎそばって、元々は織物に使っていたノリをそばのツナギにしたのが発祥だったわね」

「ええ。逆に、そばのアク汁を織物の漂白に使うこともあったそうですわ」

「……ふふ。それがかすみちゃんの“答え”なのね」

 

 小さく頷くかすみを見て、綾瀬は嬉しそうに笑う。言外で通じ合っている二人の蚊帳の外にされ、凛心は頭に「?」マークを浮かべながらかすみたちを交互に見ていた。分からないなら聞けばいいのに、彼女のプライドが許さないらしい。

 

「――つまり」

 

 かすみが凛心の困惑を楽しんでいると、見かねた綾瀬が口を開いてしまった。

 

「へぎそばは織物文化とそば文化が『共に在る』ことの証明なのよ」

「共に……あ、あ!! あああああーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 つんざくような声をあげて凛心がザバッと立ち上がる。かすみは嫌な予感がした。

 

「なるほど!! 分かりましたよかすみさん!! そんな由来を持つへぎそばを差し入れるということは、あのお宿も『人間と温泉むすめが共に在った』と認めるということですね!!! つまりお目こぼし!! ですが『情に流されてはいけません』とか言ってた手前それをそのまま伝えるのは恥ずかしくてへぎそばにメッセージを託したと!! いやあ~相変わらず分かりにくいんですからぁ~! あ、でもでも、てっきり私かすみさんの血液は冷酒でできてるんじゃないかと心配してたんですが、いいところも――むぐはぁっ!?」

 

 遠回しに伝えようとしていたことを全て言語化されかけて、かすみは思わず、風呂の中で飲もうと思っていた越後の酒を徳利ごと凛心の口に突っ込んだ。

 

「んぐ、んぐぐ……。ぷはぁっ!? か、かしゅみしゃん!! なにを……!?」

「ふふ……。実は、いい冷酒が入りまして。このあと一緒にいかがですか?」

「ヒッ……!? か、かしゅみしゃんと、酒盛り……!?」

 

 凛心の手首をがっちりと掴んで、かすみは彼女に妖しく笑いかける。雪下ろしと米の持ち運びで鍛えられた握力が、絶対に逃がさないというメッセージを凛心に伝えていた。

 

「私に深入りしたらどうなるか……。みっちり教えて差し上げますわ♪」

 

(おわり)

 

 

written by Toshiaki Sato

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