温泉むすめ伝「阿寒湖ぴりかの章」
八月になると、北海道のこのあたりもだいぶ夏らしくなってくる。
阿寒湖アイヌコタンの近くにある喫茶店で、あたし――阿寒湖ぴりかは、乾いた喉をシケレベ茶で潤した。ふわっと柑橘系の香りがして、口いっぱいに苦味が広がる。苦い。苦すぎる。だがうまい!
いつもの味に勇気づけられて顔を上げる。と、あたしをじっと見据える洞爺湖のんのと目が合った。冷静な彼女のまなざしは、相談事があって呼び出したあたしの心の中を見透かしているようにすら思える。
「アイドルのことで悩んでるんですか?」と、のんのが言った。
「……えっ。ええっ!?」
「もしかして、アイドルになったことを後悔してるとか」
な……。なんだコイツ! 本当に見透かしてやがる! エスパーかよ!?!?
あたしは動揺しながらも、自分の悩み事を少しずつ話し始めた。
「あ、ああ……いや、後悔してるっていうか……。あたし、みんなに言われるままアイドル始めちゃったけど、いざやってみたら、なんか思ってたのと違う気がしてさ……」
あたしがアイドルを始めたのは今年の四月のこと。各地の温泉むすめがアイドルになって競い合う『温泉むすめ日本一決定戦』の開催を聞きつけて、地元のみんながあたしのもとに押しかけてきたのがきっかけだった。
正義のヒーローに憧れているあたしは、「カッコイイ女になりたいから」と断り続けたが、なかなかみんなは諦めてくれなくて――そんな時。
「アイドルをやる女の子って、すっごくカッコイイと思うんです!」
と、一人のガキンチョが叫んだのだ。その一言に、あたしの心はわしづかみにされてしまった。
「……え? アイドルをやる女はカッコイイ? それマジ??」
「マジです、マジです! カッコイイぴりかさまなら、絶対にアイドルになれますって!」
「ほぉ~……。し、しかたねえなあ……。やってやろうじゃん!」
てなわけで、あたしはアイドルになった。
「――なのに、することと言えば観光客相手にカワイイ衣装を着て歌って踊るだけでさ……」
黙って聞いてくれるのんのを前に、あたしは口を尖らせながら話し続ける。
みんなは「カワイイ!」「ぴりかさまのカワイイ笑顔みると元気でます!」なんて言ってくれるけど……。
「うおお! あたしは! カワイイ女じゃなくて! 正義のヒーローみたいにカッコイイ女になりたいんだよおお!」
ついにはテーブルに突っ伏すほどに爆発したあたしを見て、のんのがようやく口を開いた。
「なるほどねえ。それで、どうするんですか?」
「え?」
問いただすような一言に、あたしはハッとした。確かに、立ち止まって悩んでるだけなんてヒーローらしくない。大事なのは「どうしたいか」を決めることだ。
あたしのやりたいこと。それは、温泉地の平和とみんなの夢を守るカッコイイ女になること。
その実感が得られないのが現状なら、思い切って――。
「アイドル、やめようかなー……」
あたしは窓の外に目を向けながら、誰にともなくつぶやいた。
温泉街は今日も賑わっている。温泉があって、まりもがいて、アイヌの文化に触れることもできる阿寒湖温泉は手堅く観光客を集めることに成功していて、アイドルとしての“カワイイ”あたしに出番はないような気がした。
「……ん?」
そんなことを考えながら漫然と人通りを眺めていると、ふと、路上で泣いている男の子が目に入った。
「おや、一人きりのようですね」と、のんのが首を傾げる。
地元じゃ見ない顔だ。どうしたんだろう。もしかして迷子か? きっとそうだ! 早く助けなきゃ!
「のんの! ちょっと行ってくる!」
あたしはすぐさま喫茶店を出て、男の子のもとに駆けつけた。
「おいっ! どうした!? 何があったんだ!?」
あたしが勢い込んで男の子の両肩をつかむと、彼はびくりと体をこわばらせて、「うわあああーーーーん!!」と、さらに泣き出してしまった。
「えっ? ……お、おい、泣くなよ。泣いてたって何もわかんねえだろ~!?」
「……声が大きすぎるんですよ」
あたしが戸惑っていると、会計を済ませたのんのが追いついてくる。
「急に大声で話しかけられたら怒られてるのかと思うでしょう。それに目つきも悪いし」
「目つきはもとからだよ! まいったな……」
話を聞いて助けてやりたいのに、初手をミスったせいで変な警戒をさせてしまった。なにかとっかかりを見つけないかぎり、この子は泣き止んでくれないだろう。
途方に暮れていると、のんのがあたしを促すようにつついてきた。
「ぴりか。この男の子、今放送中の『マグマ戦隊ファイブマン』の変身ウォッチを着けてますよ」
「なっ、何ぃっ!? 『マグマ戦隊ファイブマン』!?」
男の子の左腕を見る。あの白銀の時計は――間違いない! あたしも毎週欠かさず観てるから分かる。確かに変身ウォッチ『マグマチェンジャー』だ!
よっしゃ、だったら……!
「少年! ヒーローごっこしようぜ!」
そう言って、あたしはファイブマンのリーダー・ファイヤーレッドのポーズを決めた!
「――『広い大地にはびこる悪を、熱き魂で焼き焦がす! ファイヤーレッド』」
き、決まった……。
あたしが悦に入っていると、男の子は一瞬だけこちらを見て――またもや泣き出してしまった。うおぉいっ!!
「どうしたんだよ! ファイヤーレッドの次はアイスブルーだろ!?」
「……こういう時は、子どもにレッドを譲るものじゃないですかねえ」
のんのが呆れているようだが、あたしの耳には届かない。ヒーローの力を信じているからだ。
「あ! わかった! 仲間が足りないから不満なんだな!? 五人いないとファイブマンじゃないもんな!」
「は?」
「待ってな! 今どっかで見つけて……ぐえーっ!?」
そう言って走り出そうとしたあたしの服の襟を、のんのがガシッとつかんだ。「……な、何すんだよ!」と抗議するが、あたしを見る彼女の目は冷たい。
「ヒーローのくせに、泣いてる男の子をほっといて逃げる気ですか?」
「なっ……!? ちがう! あたしはただ泣き止んでほしくて!」
「そうです。あなたは『泣き止ませたい』んですよね? なら、ヒーローにこだわる必要はないんじゃないですか」
「なに……!?」
ヒーローを否定するのんのの言葉にあたしは頭に血が上りかけて――ハッとした。
これ、さっきと同じだ。一番大事なのは、あたしが「どうしたいか」ということ……。
「……そうか。その手があったか!」
あたしは男の子に向き直り、深く息を吸って――『マグマ戦隊ファイブマン』のオープニング曲を歌い始めた。
ヒーローごっこができなくても、歌なら一緒に歌える。大好きな歌を聴いたら自然と体が動く。歌い出す。
そして――歌っていれば、いつのまにかみんな笑顔になってるんだ!
「……あはは!」
心を込めて歌っていると、男の子の笑い声が聞こえた。やったぜ! やっぱり想いは通じるもの――
「お姉ちゃん、それ二番だよー」
「マジで!?」
――なんか違うところで笑われたような気がするけど、結果オーライだな! うん!
「よし! じゃあ、一番から一緒に歌おうぜ!」
「いいよー!」
そうやって楽しく歌っていると、観光客が一人、また一人と集まってきて、気付けばあたしたちは大勢の人に囲まれていた。しかも、人だかりを不審に思った男の子のご両親もやってきて、問題は一気に解決してしまったのだ。
ただ一つ気になることと言えば、いつの間にかのんのが姿を消していたことだけど……。
「……自分の役目が終わったら帰る。あいつらしいな」
のんのに相談した悩み事も、すっかり解決してしまった。
「分かったぜ。歌でも……アイドルでも、人を救うヒーローになれるってことがな!」
あたしはすがすがしい気持ちでいっぱいになって夕日を見た。なんだか今なら何でもやれそうな気分だ。
「よっしゃ! あの夕日に向かって走るかー!!」
Fin.
written by Miyuki Kurosu