温泉むすめ伝「湯村千代の章」
長い人生で、誰かに真剣に自分の想いを伝えることってあんまりないと思う。
でも「もうこの人しかいない!」って思って、もっともっと一緒にいたくて、二人で同じ未来を見たくて。その気持ちをどうしても伝えたくなって――わたし、湯村千代は、人生で初めての告白をした。
「奏・バーデン・由布院さんっ! わたしの相方になってくださいっ!!」
すると、わたしの想い人――「バーたん」は青い瞳をキラキラと輝かせ、にっこり笑ってこう言ったんだ。
「NOOOOOOOOOOO」
♨ ♨ ♨
「Noって……。Noって……。ノォォォォォウ!!!!!」
わたしは足湯に浸かったまま\と横に倒れた。視線の先には春来川。ユーウツなわたしの気分に反して、その流れは憎らしいほどいつもどおりだ。
ここは早朝の湯村温泉、その中心地にある源泉『荒湯』。わたしは元気の出ない日にはこの場所で朝ごはんを食べることにしている。
メニューはいつもお決まり。天然温泉で作るゆでたまごだ!
いろんな食べ物を湯がきにやってきたみんなとペチャクチャおしゃべりしつつ、ネットに入れた生たまごを激アツの湯壺に入れたら、階段を下りて足湯へGO! のんびりしながら11分も待てば、湯村温泉名物・荒湯たまごが完成するってわけ。
ちなみにシンプルに塩をつけて食べるのがわたしのお気に入り! ……なんだけど。
「うぅ……。まさかバーたんに塩対応されるとは……」
できたての荒湯たまごは、いつもとちがって涙の味がした。
奏・バーデン・由布院ちゃん。通称「バーたん」(わたしが勝手に呼んでるだけ)。
あの子と出会ったのは最近のこと――確か、師範学校に高等部から入学する温泉むすめのための学校説明会だったと思うんだけど、話してたらお互いにお笑い好きってことがわかって、気が付いたらメチャクチャ仲良くなってた。
昨日も放課後にお笑いライブのDVDを観ながら爆笑しまくって、このネタのどこが面白いとか、こうすればもっと面白くなるとか語り合ってるうちに、「この子となら、わたしの長年の夢が叶えられるかも!」って確信したんだ。
長年の夢。そう――「湯村の源泉のように、激アツ98℃の芸人になる」っていう夢が!
……まあ、ものの見事にフラれたわけだけど。
「お笑いは好きデス。でも、バーデンがやりたいのはあくまで音楽なのデース!」
あのときバーたんはそう言って、悪びれもせずにニカッと笑った。
わたしはショックのあまり、それからのことをよく覚えていない。一晩寝てもこんな調子なので、思ったより重症のようだ。
「バーたんがいないんじゃ、“あのオファー”も断るっきゃないかなー……」
実は、わたしがここまで落ち込んでいるのは単にフラれたからだけじゃない。なんと湯村温泉の関係者のみなさんのご厚意で、わたしにステージのオファーが届いているのだ!
イベント会場はもちろん湯村温泉。演目は……現在、絶賛悩み中!
そりゃ、これまでもいろんな人に自分で考えたネタを披露してきたけど、それはあくまで余興の延長のようなもの。ちゃんとした「お仕事」として舞台に立つのは初めてで――だからこそ、バーたんがいれば心強いなって思ってたのに。
「うぎゃーっ!! どうしよどうしよ! 助けてわたしのネタ帳っ!!」
一人でステージに立つなんて、マジで自信ない。でもこのチャンス、逃したくない!
相反する感情でこんがらがったわたしは、スカートのポケットに手を突っ込んだ。そこには四六時中肌身離さず持ち歩いているもう一人の親友『千代のネタ帳(第五十九冊目)』がいて、道に迷った哀れな子羊(=わたし)に光をくれる……はずだった。
「……あれっ? ない。……ない、ない、ない……。ないっ!!」
――が。ポケットを裏返しても、どこにもネタ帳は見つからないのだった。
「も、もしかして……。ネタ帳、落としたあああーーーーーっ!?」
なんで!? どこに!? と頭を抱えていると、突然背後から声がした。
「千代っ!」
「ぴゃあああ! なになになに! 何いいい!?!?」
思わず奇声を上げて振り返ると、そこに立っていたのは――城崎亜莉咲ちゃんだった。
「あ、亜莉咲ちゃん!? なんでここに――」
「こ・れ! あんたのでしょ? 昨日学校で拾ったのよ」
そう言って、亜莉咲ちゃんは見覚えのあるものを渡してきた。
「あっ、ありがとう……ってこれわたしのネタ帳おおおーーーーーっ!?!?!?」
それは紛れもなくわたしのネタ帳だった。わたしってばいつ、どこに落とした!?
いろいろ気になるけど――それはさておき!
「みっ、みっ、みっ、見た!?!?」
「……『三朝温泉の歌蓮さん、今日も酔ってるねえ』」
「『これで八日目だよ。【八日連続、酔う歌蓮】、なんちゃって🤣🤣🤣』。ってばっちり見てるーーーーーっ!!」
「見えちゃったのよ、開いて落ちてたから! ……っていうか、今のどういう意味?」
「あっ、それはね? 夢千代日記にゆかりのある三朝温泉の歌蓮さんからインスピレーションを受けて書いたダジャレで……って、寒っ!! 自分で考えたギャグの意味を自分で説明するとかわたしチョー寒い!! 何なの!? 亜莉咲ちゃんは芸人殺しなの!?」
「えっ。いや、純粋に意味が分かんなかっただけなんだけど……」
「『純粋に意味が分からない』ッ!?!? 芸人にとってはそっちのがつらいッ!!」
「そ、そうなの?」
「そうだよ!! ……はぁ~。朝っぱらからスベるとは……へこむー……」
「わ、悪かったわよ……。とにかく手帳は渡したから! あたしは先に学校行くわ」
亜莉咲ちゃんはそう言うと、踵を返して歩き出した。
そういえばまだ登校前の朝だったことを思い出す……ん? 登校前?
「……学校で渡してくれればいいのに、わざわざ届けに来てくれたの?」
「ま、まあ大事そうなものだったしね」と、亜莉咲ちゃんはこちらを見ずに言った。「書き込みの量もすごいし……学校行く前に渡しておいたほうがいいと思っただけ」
「亜莉咲ちゃん……!」
「じゃ、じゃあホントに行くから! じゃあね!」
照れ隠しなのか、亜莉咲ちゃんは逃げるように鳥居がある方角へと走っていく。わたしはなんだか元気になって、「ありがとー!」と叫びながら彼女の背中を見送った。
「……ふふっ」
そして、わたしは帰ってきたネタ帳を掲げた。使い込まれてボロボロになった一冊。これが、わたしの家にはあと五十八冊もある。
すり切れそうな表紙をめくると、表紙裏の言葉が目に留まった。
笑いとは温泉のように自由かつ形なきもの!
ステージをアツくさせるためなら何でもするべし!!
いつもネタ帳を新調したときに書く、お決まりの言葉。最近は新しいネタを書きとめるのに必死で、忘れがちだったけど……そっか。笑いって自由なんじゃん!
「だったら、お笑いも歌もダンスも何でもありのステージにしちゃえばいいんだ!」
♨ ♨ ♨
そして――イベント当日がやってきた。
舞台袖で待機していたわたしは、ネタ帳を高く掲げて気合いを入れた。
「それではご登場いただきましょう! われらの愛すべき神――湯村千代さまーっ!」
舞台に飛び出す。最前列にいるバーたんと目が合うと、彼女はニヤリと笑った。
(――バーたん、わたしアイドル芸人として輝いちゃうから! 後悔しないでね!)
何度も練習したポーズがバッチリ決まった! 激アツな時間の始まりだ!
「アイドル芸人、湯村千代とはこのわたし! アッツアツのステージの始まりだよーっ!」
Fin.
written by Miyuki Kurosu