story おはなし

温泉むすめ伝「嵐山紫雨の章」

 はあ。もう九月やのに、ほんまに京都は暑い――。

 うちは呉服屋を出ると、桔梗の柄の入った帯の隙間から京扇子を取り出し、ぱたぱたと仰いだ。

 なまぬるい風が頬をなでる。これでも何もないよりかましや、と思いながら石畳の小道を歩いていると、通りすがりの観光客が数人、シャッターを押す手を止めてうちを見た。

 うちが着物姿だからやろか。着物なんて京都じゃ珍しいことでも何でもないやろに。

 ふふ。まあでも、“袖振り合うも多生の縁”。ここはひとつ笑いかけてあげましょか――。

 うちは藤色の単衣の衿を整えると、彼らに向かってにっこり微笑んだ。――けど。

 

……あ゛?

 

 うちは眉根を寄せて驚いた。そこには誰もおらんかったんや。

 おかしいなあ、と辺りを見回すと――おった。小道の先に人だかりが出来ていて、観光客さんたちはそっちに駆け寄っている。

 あの人だかりは……何やろか?

 うちは声をかけることにした。こんなところで騒がれたらご近所の迷惑になるし、何より京都の品格がだだ下がりというもんや。京都の道はそこに住む人、通る人だけのもんやない。日本の――いや、世界中のもんなんやから。

 

「すんまへん。もう少し静かにしてくれはります?」

 

 うちが人だかりに向かってぱんぱん、と手を叩くと、中央から赤い髪の女の子が顔を出した。

 

「ご迷惑をおかけしてすみません……って、あら?」

 

 そこにいたのは――日本三古湯の一つ、有馬温泉の温泉むすめ、有馬輪花はんやった。

 

「紫雨、助かったわ。帰りがけにサインをねだられちゃって困ってたのよ」

 

 ほお~……。サインをねだられて? 困ってた? 何の断りもなくうちの庭を荒らしよってからに。

 しかもよう見たら輪花はん、チェックシャツにデニムのミニスカートでえらいカジュアルな服装やないの。さっきの観光客さんらは、着物姿のうちよりこんな足出してるだけの普段着の小娘に……。腹立つわ~……。

 

「輪花はん、モデルのお仕事もやってはるしねえ。普段着やのに京都であんなに人に囲まれるなんて人気者やねえ」

「今日はオフだから目立たない格好にしたつもりなんだけど……。眼鏡ぐらいかけてくればよかったかしら」

 

 そういう意味とちゃいます。「人気者ちゃうよ~」って謙遜しいや。

 

(はあ。前々から生意気そうな子やと思てたけど、ここまでとは……――せや!

 

 うちはあることを思いついた。

 

「輪花はん、せっかくやしうちが京都を案内したりましょ。京都は食べもんに建てもん、見どころ満載どすえ~!」

「え? いきなりどうしたのよ」

 

 輪花はんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。そうそう、そういう顔を見たいんや。

 

「まあまあ。ちょうど暇してたところだったんですわ。ほな、決まりということで~!」

 

♨     ♨     ♨

 

 うちは輪花はんを連れて、みやこ中を歩き回った。

 すると狙い通り、温泉むすめでアイドルで着物姿のうちの周りにはどこに行っても人だかりが出来て……。

 うちは輪花はんの反応を楽しみながら、その人らにサインを書いてあげたり、一緒に写真を撮ったりした。

 これがまた、輪花はんがいい表情をしてくれるんや。

 仏頂面で「ちょっと、案内は?」とか、面倒そうに「また!?」とか、溜息をついて「もういいわ……」とか。

 そのひとつひとつの反応がうちの自尊心を満たしてくれる。いやあ、かわいらしいところもあるやないの。

 

♨     ♨     ♨

 

「ふう……。やっと人目につかない場所に来れたわね」

 

 そう言って、輪花はんが紙カップのコーヒーで喉を潤す。京都観光を存分に堪能したうちらは八坂神社に移動して、関係者しか立ち入れない静かな木陰で涼むことにした。

 

「輪花はん、堪忍しておくれやす。ろくに案内してあげられなくて……」

 

 うちが上目遣いに謝ると、輪花はんは肩をすくめて笑う。

 

「別にいいわよ。どこに行っても声かけられるなんて、あんたも大変なのね」

 

 せやろ――と言いかけて、うちは口をつぐんだ。降参の言葉は輪花はんから聞かないとあきまへん。

「でも」と、輪花はんはうちを労るように見て笑った。「営業活動は立派だけど、こんな暑い日にわざわざ『着物で』『歩いて』出かけることはないんじゃない? 普段着ならまだ目立たないし、お社渡りで移動すればなおさら」

 

「……はあ??」

 

 それは、降参するどころか助言するような一言やった。

 うちは頭をひねって――すぐに気付いた。輪花はんは着物姿で下道を移動するうちのことを、アイドルとして営業するために無理してると思てるんや。まったく、どこまで鈍い子なんやろなあ!?

 

「ふふ。輪花はん、うちのこと心配してくれたんやね。おおきに」

 

 感情をこらえて微笑む。輪花はんはそんなこともつゆ知らず、なぜか顔を赤くした。

 

「はぁ!? べ、別にそういうわけじゃ……」

「……せやけど、これは営業じゃありまへんよ。うち、京都の町を歩くのが好きなんどす

 

「えっ?」と、輪花はんは首を傾げる。

 

「うちみたいに京都に暮らしてると、歩くだけでもささいなことに気付くんや。昔からあそこにあった家、取り壊してしまうんやなあ、とか、あんな新しい店が出来たんかあ、とかな」

「じゃあ、今日一度もお社渡りを使わなかったのって……」

「昔っから変わらんもの。変わったもの。どれもうちの愛する京都どす。うちはそんな京都をいつまでも見届けたい。だから、毎日きばって歩くんですわ」

 

 輪花はんの反応を窺いながら、うちはつらつらとそんなことを話した。

 我ながらいいことを言えた気がするわ――なんて思っていると、輪花はんも感心したように頷く。

 

「あんた、いつもニコニコして何考えてるのか分かんないって思ってたけど……いろいろ考えてたのね」

「せやろ? それに、うちが着物なのにも理由があってな、今日は馴染みの呉服屋へのおつかいだったんや。うち、呉服屋に行く時は夏だろうが冬だろうが着物を着ていくと決めとるんどす」

 

 うちは得意になって畳みかける。

 

「向こうはプロどすえ? 着物姿を見ただけで、うちの求めてるもんか見抜いてくれはる。そんな一流の人らがおるところに洋服着て行くなんて恥ずかしいし、着物選びにも気ぃ使います。例えばこの帯。ここに桔梗が描いてありますやろ? こんなふうに、夏の終わりに秋の七草である桔梗をさらりと取り入れる。いつもほんの少しだけ先を行く――それが粋というものどす」

 

 目をぱちくりさせながらうちの話を聞いていた輪花はんは、やがて、うーんとうなった。

 

「なんか……さっきから感心しっぱなし。さすが京都って感じね」

 

 それ! その反応を待ってたんや!

 ほーっほっほっほ! せやろせやろ!? 西の大関だか何だか知らんけど、嵐山温泉は平安時代に貴族の別荘地として栄えとったし、兵庫なんか京都に比べたら歴史も風格も京都の足下にも及ばへんのやでぇ!!

 なんて、うちが内心で小躍りしていると――

 

「……でも、なーんか引っかかるのよね……」

 

 輪花はんは、何やら考え込んではった。

 

「話がきれいにまとまりすぎっていうか。この違和感って何なのかしら……」

 

 えっ、と言いかけたとき――「紫雨さま!」と声がして、馴染みの巫女はんが通りすがった。

 

これからいつもみたいにお社渡りでお帰りですか? お気をつけておくれやす~!」

「……!?」

 

 それだけ言うと、巫女はんは爽やかな笑顔を残して去っていく。

 あ、あのアマァ……!!

 うちは巫女はんの一言が輪花はんに聞こえてへんことを祈ったけど――そうはいかへんかった。

 

「え? いつもみたいにお社渡りでお帰り? あんた、いつも歩いて移動するんじゃなかったの?」

「……さあ? 何のことどす?」

「お社渡り使えるなら、今日はなんでわざわざ歩いて観光したの? そのせいで人だかりが出来ても、あたしの時は注意してきたくせに、自分の時は妙に愛想振りまいてたし……。

 ああっ、わかった!! あんたわざとあたしと一緒に歩いて、自分のほうがすごいって見せつけたかったんでしょ!?

「…………」

 

 輪花はんがキーッと目をつりあげている。その顔を見ていたら、うちはなんだか笑いがこみ上げてきた。

 

「……ふっ。んふ。んふふふふ。おほほほほっ!!

「!?」

「けったいな話やわあ。うちがそないなことするわけありまへん。あれは巫女はんの冗談どすえ」

「んなわけないでしょ!!」

「ふふ。輪花はんといると楽しいなあ。同じ関西の温泉むすめ同士、これからもよろしゅうたのんます~

(おわり)

written by Miyuki Kurosu

 

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