温泉むすめ伝「芦原小梅の章」
(見える……見えるわ……)
カーテンの閉め切られた薄暗い教室、その片隅。射るように前を見つめ、微動だにしない少女の姿がある。
少女の名は芦原小梅。小梅はひとり椅子に腰かけ、思索にふけっていた。
(七色の色彩ときらめきに満ちた、圧倒的映像美!)
それは己の内に立ち上がる映画世界との対話であった。今まさに、小梅は余人に到達しえぬ作劇の深みへと至っているのだ。
「……ちょ……」
(一点の曇りもない完璧で鮮烈なヴィジョン……ああ、天才すぎて自分の才能が恐ろしい)
「……ぶ……う……」
(我が脳内に瀟洒かつ壮麗に広がる悠久の日本的原風景をもって、彼女たちを導いてみせる。この私が!!!)
「………………部長!」
「ひえっ!?」
いきなり降ってきた大声に驚いて小梅が顔を上げると、訝しげに眉をひそめた宮浜仁佳が目の前に立っていた。
「な、なに!!? 驚かさないで、仁佳!」
「驚いたのはうちらですけえ! なに暗がりで独りごと言うとるんです!?」
「え? 私、口に出してた……?」
「うふふ。そうですね、かなりはっきりと」
室内が明るくなる。小梅が目をしばたたきながら見ると、スイッチの前に湯平燈華が立っていた。その後ろには下田莉華の姿もある。
「天才! とか導く! とか、すっごく『キリッ』って感じで言ってたね~。ひとりで」
「おほん!」
ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべる莉華を咳払いで制し、小梅は椅子から立ち上がった。
部長たるもの部員たちに侮られるわけにはいかない。自分がしっかりと先頭に立たねば、栄光の頂など夢のまた夢だ。
威厳を感じさせるように、小梅はあえてたっぷりと一同を見渡し、言った。
「待ちわびたわ、みなさん。さあ、それでは今日も文化的活動を始めましょう」
彼女たちは温泉むすめ師範学校『映画研究会』である。
♨ ♨ ♨
「「「好き???」」」
小梅がデカデカと黒板に書いた文字を見て、燈華、仁佳、莉華は不思議そうに首をひねった。
「そう『好き』。私たちに今足りていないのはこの気持ちだと思うの。つまり初心忘るべからず、ということよ」
自分の席に戻った小梅は、机に両肘をついて手を組むと、まっすぐに部員たちを見据えた。
「あわら湯けむり映画祭――私たち師範学校映画研究会が例年よい評価を頂きつつも賞にあと一歩届かないのは、みんなもよく知ってるでしょう」
小梅が言うと、部員たちは頷いた。
あわら湯けむり映画祭とは、小梅の地元である芦原温泉で開催される映画祭である。旅館の広間やホール、あわら市内の施設など、各地に設置された特設スクリーンで短編映画を上映するイベントで、訪れたお客が審査員となってグランプリを決めるシステムが一風変わっていて面白いのだ。
小梅としては、地元の温泉むすめかつ映画好きの面目躍如ということでなんとしても賞を取りたいのだが、思うように結果が出ていないのが現状だった。
「もちろん手を抜いていたなんてことは一切ないわ。燈華は雰囲気のある照明プランをいつも準備してくれて」
「あら、おほめに預かり光栄ですね」
そう言って燈華は頬へ手を当てふんわり微笑んだ。
「仁佳はリアリティのある道具類を」
「へへへ! 照れるのぉ」
仁佳は頭を掻きながら頬を赤らめる。
「莉華は」
「ボクは?」
きらきら期待に満ちた目で見つめてくる莉華に、小梅は言った。
「なんかその……マスコットね」
「え!? なにそれ~~!」
よほど不満だったのか、むくれた莉華は小梅にぐいっと顔を寄せた。
「古き良き名作から話題の最新作まで! ボクはみんなの知らない洋画の知識沢山教えてるでしょ?」
「まぁ、確かにそれはそうね……私たち三人は日本映画好きだから。仁佳は任侠もの、燈華は男はつらいよ、そして私は温泉が出てくる映画を――」
「じゃあぼくは敏腕プロデューサーということで。よろしくね♪」
「人の話は最後まで聞きなさい! ……まったくもう。じゃあ莉華はプロデューサーとして、話を戻すわ。私思ったのよ、手を抜いていないのは確かだけど、ここ最近の作品は形だけにこだわりすぎていた、と」
三人は口を閉じ、真剣な顔つきで耳をそばだてている。小梅と同様の思いが彼女たちにもあったのかもしれない。
「だからこそ情熱よ! 今、私たちは『好き』という感情をテーマにして作品作りをするべきなの!」
小梅は黒板に書いた好きの文字を指差した。
「確かに。観る方の心を動かすのは作り手の熱意ですよね。時代に関係なく」
「その通りよ、燈華。でも、賞を取るほどの作品にするにはただの好きじゃダメ。私たちの心がひとつになるようなものでなければならない……」
「つまり、ボクたち四人全員が好きなもののほうがいいってこと? うーん……」
「なんじゃろう……みんなが好き……好き……そうじゃ!」
仁佳は己の想いを掴むが如く、固く拳を握りしめた。
「ドスとハジキ、飛び散る血しぶき、無法まかり通る荒んだ街を仁義一筋掲げて行く男一匹――これ! 賞にむけて撮るべき映画はこれじゃ!」
「待ちなさい! 好きを込めるべきとは言ったけど、なんでそうなるの!? 私はみんなの心がひとつになるような――」
「なんでってみんな好きじゃろ、仁義!!!」
これでもかという程の会心の笑みである。その眩しさに小梅は言葉を失った。仁佳の眼には微塵の曇りもなくどうやら本気でそう思っているらしい。これは訂正するのに骨が折れると、小梅は視線で燈華に助けを求めた……が。
「ふふ。仁佳さんらしい、ずいぶん刺激的な設定でいいですね~」
違う、そうじゃない。なぜ同意する。うなだれる小梅の頭の上を飛び越して、更に燈華の声が聞こえてくる。
「ところで、その男性の出身はもちろん葛飾柴又で?」
「ちょっと燈華、葛飾柴又ってなに?」
「あら?」わざとなのか本気なのか、不思議そうに小首を傾げる燈華の横で莉華がその可愛らしい手を挙げた。
「はいはーい! ボクも仁義好き~!」
「ウソでしょ!?」
驚く小梅に莉華は頬を膨らませる。
「ウソじゃないよー。でね、仁佳ちゃんの案をもっとよくするための提案なんだけどね、物語の始まりは主人公がある人に、大切な落とし物を拾ってもらうシーンから始めるってどうかなぁ」
「なるほど! その落とし物が命よりも大切なもんなんじゃな! その恩に報いるために、主人公は行動を起こすと」
「うん、そう! さすが仁佳ちゃん! 話わかる~!」
莉華が手を伸ばし仁佳の手を取った。嬉しそうに手を振り合うふたりの姿は一件ほのぼのとした良い画だが、小梅にはわかる。この画の裏にある、莉華の真意が。
「待ちなさい、莉華。あなたの言ってる『ある人』って、女性じゃない?」
ぴたり、と莉華が動きを止めた。
「仁佳に同意するふりして自分好みのラブロマンス物語に仕立て上げようとしているんでしょう。落とし物から始まる恋なんて、恋愛物語ド定番の導入よね……!」
「ほ……ほんとうなんか!? 莉華!!?」
自分の提案が乗っ取られかけていた恐ろしさからか、仁佳の顔色がみるみる青ざめていく。
「えー? そんなことないよ?」
あくまでもしらを切り通す気らしい。まったく油断も隙もない小悪魔である。もしこのまま放っておいていたら、任侠映画がいつの間にかニューヨーク――下田に領事館を構えたハリスの出身地である――を舞台にしたハイスペ女子と青年実業家の恋物語に変えられていたに違いない。
確実に乱れつつある議論の舵を取り戻すにはどうすべきか。小梅が頭をフル回転させていると、横から燈華がするりと言葉を差し挟んだ。
「落とし物から始まる物語も情緒があって素敵ですね。もちろんその主人公の方は行商人で?」
「あなたそれさっきから寅さんよね!?」
「あら~?」
燈華はまたも小首をかしげる。
小梅の不安をよそに、次第に思い思いの意見が飛び交い始め、にわかに映研部室は紛糾し始めた。
「まさか燈華さんまでうちのアイデアを蔑ろにするんか!!?」
「まってよ仁佳ちゃん! ボクが仁佳ちゃんのアイデア素敵だと思ってるのは本当だよ?」
「やっぱりどんなマドンナを出すかは大事ですからねえ」
「ちょっとみんな、落ち着いて!」
もはや誰も小梅の言葉には耳を貸さない。ほんの数分前は華やかな授賞式が脳内で繰り広げられていたのに、なぜこんなことに。膝から崩れ落ちそうな無力感に襲われる小梅だった――が。
(私がしっかりしなければ……この映画研究会という活動において、みんなの心をひとつにするのが部長である私の責務なのだから!)
部長としてというプライドの一点をよりどころに、折れそうな己の気持ちを必死に奮い立てた。
「注目!!!」
燈華、仁佳、莉華が一斉に見る。己に注目が集まったのを確認すると、小梅は言った。
「最初に言ったわよね。賞を取る為に私たちは心をひとつにする必要があると。なのに今はてんでバラバラ……」
小梅は三人を見つめる視線に力を込める。
「心を一つにするためと言えど、みんなの好きを合わせるのは非常に困難だとここまでの話し合いでよーくわかったわ……だからこそ、皆の好きの合体プランで行きましょう」
「「「合体!?」」」
燈華、仁佳、莉華の声が奇跡のシンクロをした。ロボットアニメのワンシーンのように。
重なり合った三人の声を包み込むように、小梅は続けた。
「仁佳は仁義溢れる任侠もの、莉華はドラマチックな恋愛もの、燈華はとにかく寅さん。この三つを組み合わせて、ひとつの物語をつくるの。ちょっと待ってて……」
うなれ細胞、閃け物語的小宇宙。思考を加速させ、即興であらすじを構築し始める。
「時は昭和。異国から日本へ逃亡してきたとある無頼漢が街のマドンナと恋に落ちる。しかし彼女はとある大物政治家の愛人だった――ひどい扱いを受けるマドンナを助ける為、男は仁義の名のもとに政治家との全面対決に挑む」
言い終えると、小梅は一息ついた。
「どうかしら」
「うおおお!」そう叫んで立ち上がったのは仁佳だった。「これぞ映画じゃ! 物語の隅々から仁義を感じるけえ!」
莉華もぱちぱちと手を叩いて満面の笑みだ。
「わー! ボクも好きかも! 洋画のラブ&アクション大作って感じでいいね~」
燈華も優美さを崩さないながら、いつもより笑みを深めている。
「さすが部長ですね。マドンナの扱い方をよく心得てらっしゃいます」
みんなの喝采に小梅は頬が上気するのを感じた。自分の映画的才能を疑ったことはないが、こうも手放しで褒められると嬉しいものだ。気恥ずかしさを誤魔化すように、小梅はあえて突き放すように言った。
「楽しんでもらえてなにより。ひとまずこれで賞へ向けての作品の方向性はまとまったみたいね」
三人が頷く。狙い通りとはいかなかったものの、みんなの心が一つになったような、確かな手ごたえを小梅は感じた。むしろ積極的に自分たちの『好き』を発信し合ったからこその、最良の結果なのかもしれない――とりあえず予算の事は気にしないでおくけれど。
この勢いのまま更に議論を深めようと、小梅は次なる提案を部員たちに繰り出した。
「それでは、以上のストーリーをワイプで温泉映画の隅っこに映すとして――」
ずこーっ!!! とでも擬音がつきそうなほど、三人が椅子から一斉にずっこけた。
「なによみんな。急に古典的ギャグみたいなこけ方して」
「いやいやいや、おかしいじゃろ!? なんじゃ、ワイプって!?」
「というか温泉映画ってなに!?」
「ふふふ、いい反応ね、莉華。仁佳も燈華も聞いて驚きなさい。温泉映画、その華麗なる内容を」
熱視線で三人が見つめて来る。先程を遥かに超える喝さいが自分を包むと予感して、小梅は練りに練り上げた温泉映画の内容をぶちまけた。
「日本の各地の名湯秘湯、その超最高級映像with私のナレーションよ!!!」
「「「えぇ……」」」三人は何とも言えないしらけ顔になった。
「何よその反応は!? みんな大好き温泉の、その超美麗映像よ!? 存分に四人の好きを籠められるじゃない! しかも日本一温泉に詳しいこの私のナレーション付き!!!」
「それって温泉の映像がずっとたゆたってるだけって事でしょ? つまんなそー」
「もう少し映画的というか、せめて登場人物がいてくれるといいのですが……」
「というか内容がペラッペラすぎじゃ! 仁義がないどころの話じゃないけえ!!」
三人の怒涛のご意見に、しかし小梅の自信は小ゆるぎもしなかった。
「やれやれね。文句は議論のさきがけでもあるし、止めはしないわ。けれど……」
小梅は鞄からタブレットを取り出し、三人の前に差し出した。
「わたしの撮った試作版温泉映画……これを一度見たら感動に打ち震えて夜も眠れないはずよ。あなたたちが、真の温泉むすめであるならば」
仁佳、燈華、莉華がゴクリ、と息を呑むのが小梅にはわかった。彼女たちも感じているのだ、この温泉映画に籠められたわたしの情熱を。そこに繰り広げられる、圧倒的映像美を。
そうして行われた試作版温泉映画上映会。結果は……。
「「「絶対ダメ!!!」」」
強固な絆さえ感じさせる三人の言葉だった。
「なんで! どうして!? これなら絶対賞が取れるはずなのに!!?」
小梅の必死の説得が、日の暮れだした映画研究会部室に響き渡るのだった。
Fin.
written by Ryo Yamazaki