温泉むすめ伝「伊東椿月の章」
「枕投げって、一体どうやって始まるんでしょうか」
そう伊東椿月が言うと、隣に座っていた嬉野六香が小首を傾げた。
からりと晴れたある日の昼休み。蝉の鳴き声がちらほら聞こえてくる中庭のベンチで、椿月と六香は弁当を食べていた。椿月は義母お手製の俵型おにぎりをつまみ何とはなしに眺めた。枕のような形だな、と思った。
「最近知ったんですけど、伊東温泉で『競技枕投げ』の全国大会が行われてるらしいんです」
「えーっと、枕投げって修学旅行の夜とかにやるあれだよね? それの……競技……??」
六香がきょとんとしている。無理もないと思った。椿月自身もこの珍妙なイベントを知った時、見当もつかず頭をひねったものだ。
「まさか地元のことで知らないことがあったなんて、無念でなりません」
「おお……! 椿月ちゃん、珍しく目がマジだ」
「別にマジではありませんが」
なぜか六香がからかうような笑みを浮かべている。付き合うのも癪なので、椿月は続けた。
「とにかく。競技枕投げについて色々調べていくうちにふと気になったんです。普通の枕投げは一体どう始まるんだろうと。競技枕投げは主審の笛に合わせて開始という明確な切っ掛けがあります。では、その大元となった枕投げはどうなのか? 知ることができればより深く競技枕投げのことを深く理解できるはず」
「めちゃくちゃよく喋るじゃん?」
「……何ですか、さっきからニヤニヤと」
「別に~? にしても枕投げかぁ。やったことはあるけど始まり方なんて知らないなー」
あっけらかんと答え、六香はスマホをいじり出した。
「『枕投げ 始まり方』で検索すると競技枕投げのことばっかだねー。ってかこれ、なんかバエそう――」
「うむ! あれはいいものだ!!」
後ろから飛んできた声に振り返ると、いかにも意志の強そうな、引き締まった相貌の少女が近づいてくる。
「今日もお元気そうですね、紗雪さん」
「あっはっは! 鍛えてるから当然だな!」
椿月が声をかけると、やってきた少女――酸ヶ湯紗雪は快活に笑った。あまりにも堂々としたその受け答えには貫禄すら覚えるが、彼女は師範学校の中等部生である。高等部生の椿月とは最近まで接点がなかったのだが、そんなふたりを繋いだのは競技枕投げであった。
競技枕投げの大会に参加するために伊東温泉へとやってきていた紗雪が、同じく見学にやって来ていた椿月に声をかけたことから二人の交流は始まったのである。
初対面の六香と紗雪にそれぞれを紹介し、椿月は結びにこう付け加えた。
「紗雪さんはピローファイターなんです」
「ピローファイター!?」
いきなり興奮したように六香が目を輝かせた。
「なにそれ!?? なんかいい感じの響き~!」
「君! 中々いいセンスをしているな!」
六香の様子に反応したように紗雪の声もワントーン高くなる。
「ピローファイターとはその名の通り『枕』の『戦士』、つまり競技枕投げのプレイヤーのことだ! もしや六香君も興味あるか!? ピローファイターに!」
「あるあるー!」
意外なほどに通じ合ったふたりに椿月は眉をひそめた。馬が合うのは結構なのだが、話が妙な方向に進んでいる。
「競技枕投げはいいぞ! 畳敷きの競技エリア、お布団で敵の枕を防御するリベロの存在、必殺の『先生がきたぞォォォ』コール……役割に則った適切な行動とチームプレイの経験は、戦場に立った時大いに役立つ!!」
「いや、戦場に立つ気はないです。というか私が話したいのは普通の枕投げのことで――」
「みんなでキレイな浴衣着て戦ったらちょーバズる写真撮れそう~! あっ、可愛い枕も持ち寄ろ!」
「あの、聞いて下さい」
「よーーーし、早速訓練だッ! メンバーは私が精鋭を集めてくるぞ!!」
「よろしくね、紗雪ちゃん! 目指せ、爆アゲピローファイター!!」
「「おーーーー!!!」」
「…………」
椿月は口を挟むのをやめ、おにぎりを頬張った。これだけ盛り上がっている相手に話を聞かせるのは至難の業なので、効果的な場面で改めて訂正しようと思った。
♨ ♨ ♨
というわけで、効果的な場面で訂正してみた。
「「えーーーー!!!」」
椿月の実家である伊東温泉の旅館の一室に、六香と紗雪の絶叫が響き渡った。
「競技枕投げの訓練をしたいんじゃなかったのか!!?」
「紗雪さん。私はそんなこと一言も言ってません」
「聞いてないよ、椿月ちゃん!!」
「六香ちゃんは聞いてましたよね」
呆然とする紗雪と六香。そんな彼女らの傍らで戸惑っているのは道後泉海である。彼女も紗雪から競技枕投げの訓練をすると聞いていたのだろう。
「温泉文化の申し子! あまねくいで湯の歴史は我が手にあり!! 我らが生徒会長がせっかく競技枕投げに興味を持って来てくれたんだぞ!!! そんな、普通の枕投げだなんて腑抜けたことを言ってていいのか、椿月君!」
必死に訴える紗雪を尻目に、椿月はことのあらましを泉海に説明した。
「なるほど。確かに普通の枕投げの始まり方というのも興味深そうですわね。では、今日の議題はそちらで」
「ばかなぁぁぁぁーーー!!」
絶叫する紗雪は放置して、椿月は泉海に深々と頭を下げた。きちんと話を聞いてくれる人の存在にこれほどありがたみを感じたのは、生まれて初めてのことであった。なにせもう一人は部屋に着くなり睡眠中である。
「かわいそうじゃないか!!」と、その“もう一人”を指して紗雪が言った。
「私が枕か枕が私か! 生まれながらのピロ―ファイター、阿蘇ほむら君は競技枕投げが始まらないから眠ってしまったんだぞ!!」
「ほむらさんは部屋に着いた瞬間眠りました。というか彼女は枕が好きなだけでピロ―ファイターではないです」
「え?」
「競技者の名簿で彼女の名前を見たことがありません」
紗雪は黙った。もとい黙らせた。
(さて……このメンバーで、どう枕投げを始めればいいんでしょうか)
眠りこけているほむらを背に、椿月は六香、紗雪、泉海に目をやった。人は集まったが、それではいやりましょうは枕投げではない気がする。思案していると、泉海が立ち上がった。
「それでは僭越ながら私が進行させて頂きます。まず枕投げを始めるにあたって注意事項などあればどなたか――」
「沢山ある!」
泉海の言葉を遮るように、紗雪がここぞとばかりに勢い込んで叫んだ。
「沢山ありすぎて、普通の枕投げだなんて私にはできない! 厳密なルールの下で安全に運用されているから思いっきり投げられるんだ! だから競技だ、競技枕投げをやろう!!」
泉海が見てきたので、椿月は視線で答えた。椿月の求めるものはあくまでも『普通の』枕投げの始め方である。
「わかりました」
泉海は言った。やはり泉海は頼りになると、椿月は頷いた。
「そもそも枕投げとは仲良しな方々が行うものでしょうし、今日集まった私たちですから……紗雪さんのおっしゃる通り、競技の名を借りて行った方が円滑に進行できるのかもしれませんね」
違う。
「えー、でもこうして集まってるんだしさ、もう友達じゃん?」
今度は六香が言った。やはり持つべきものは友。椿月は六香に感心した。
「ってか、なんでもいいからはやく競技枕投げの写真撮ろうよ~! せっかく浴衣いっぱい持ってきたのに~!」
前言を撤回する。
「ぐー」
後ろを見るとほむらは変わらず夢の中であった。
勝手な人達だ、と椿月は思った。とても枕投げの雰囲気ではない。
椿月は大概のことは受け流す。気持ちを伝えるのが苦手だからだ。口が達者ではないし、何より思っていることを伝えるのは恥ずかしい。だが――今はやらなければならない気がした。
「皆さん聞いて下さい!」
六香、紗雪、泉海が一斉に動きを止めた。
「私は、枕投げの原型を知りたいんです……その、文化としての枕投げを知れば、きっと伊東に根付いた競技枕投げのことをもっと深く知れると思うから……!」
椿月は思いの丈を語った。我ながら酷く不器用で不格好な物言いだとは思うが、言わずにはいられなかった。
言い終えた椿月は、六香、紗雪、泉海がじっと見つめていることにようやく気付いた。
にま~と笑うと、六香が言った。
「なるほど、なるほどなるほど~♪ 色々熱くなってたのも地元のことを思えばこそだったんだね~♪」
ボッと頬が熱くなるのを感じた椿月は、傍に転がっていた枕を咄嗟に掴み、「六香ちゃん、うるさい!」と短く叫んで投げた。思いのほか腰の入った投擲のせいか、枕は勢いよく六香へと飛んでいきその腹に直撃する。
「うぐっ……やったなーー!!」
六香から投げ返されるが、椿月は反応よく避けた。すると、枕はその後ろで眠っていたほむらに当たった。
「「あ」」
椿月と六香がギョッとしたのもつかの間、ふとんをはいでほむらが起き上がった。
「なにーー……」
ほむらが枕を振りかぶり、思いっきり腕を振るってくる。その投擲フォームは見事の一言であった。
「やっぱりだ! ほむら君は生まれ持ってのピローファイターだったん――むぎゅッ! やったな!?」
ほむらの枕は喋っていた紗雪の顔に直撃し、その口を封じた。
「皆さん、あまり騒がしくしてしまっては、旅館の皆様にご迷惑が――いたっ!?」
返す刀で放った紗雪渾身の一投が当たったのは、泉海の尻である。
悲鳴はいつしか歓声に、歓声は遂には笑い声に。椿月の目の前に広がっていたのは、溌溂と枕投げに励む少女達の姿であった。
椿月は感動を滲ませ、思わずつぶやいた。求めていたものが、そこにはあった。
「なるほど。これが……」
枕に当たった六香が椿月の足元にすてんと倒れた。
六香は、寝っ転がったまま椿月を見上げて言った。
「いつの間にかやってたけど……分かった? 普通の枕投げの始まり方」
感情が昂った時に始まるもの――ついでに言えば、投げ合いの最中は笑顔になるものと答えれば満点だろう。
「ええ。分かりました」
だが、そう言ったらまた恥ずかしいことを言われる気がしたので、椿月はあえて無愛想に言ってみせた。
「始まるのは、相手にムカついた時ですね」
Fin.
written by Ryo Yamazaki