story おはなし

温泉むすめ伝「龍神晴の章」

 その日、龍神村では朝から雨が降っていた。

 

「うー……。また食べ過ぎちゃった……。なんで我は我慢できないのだー……?」

 

 龍神晴はそう呟いて、しいたけバーガーでパンパンに膨れた腹をさすった。

 晴はしいたけが大好きで、一日三食しいたけ料理を食べる。しいたけはおいしい。煮ても焼いても炙ってもおいしい。晴の最近のお気に入りは、肉の代わりに肉厚のしいたけをバンズに挟んだしいたけバーガーだ。これがまあ絶品で、休日ともなるとついつい買い込んで部屋でひとり貪ってしまう。きつね巫女を自称する晴だが、ベッドに仰向けになってぽっこりとした腹を天井に向けているその姿は、きつねというよりまるでたぬきだ。

 

「でも……食べ出したら止まらないのだー……しいたけバーガー……」

 

 晴がウトウトし始めた、その時だった。

 

「たのもーー!!」

「こんっ!?」

 

 勢いよくドアが開いて、晴は飛び起きた。

 

「か……かがりちゃん!?」

 

 部屋の入口に長良川かがりが立っている。

 

「ふふ。かがりちゃん、それじゃまるで道場破りだよ~」

「夜空ちゃんまで!?」

 

 かがりの後ろから昼神夜空が現れたのを見て、晴は驚いた。

 晴にとって夜空は占い同好会の先輩だ。面倒見がよく、晴に星占いを教えてくれたりさくらんぼをくれたり、何かと優しくしてくれる。かがりを紹介してくれたのも夜空だった。晴はかがりと出会ったその日に意気投合し、それから三人で遊ぶようになった。昼神温泉にも長良川温泉にも遊びに行ったことがあるし、龍神温泉を案内したこともある。だから二人とも晴の家を知っているのだが、今日は遊ぶ約束などしていなかったはずだ。

 晴が不思議に思っていると、夜空が言った。

 

「休みの日にごめんね。わたしたち、晴ちゃんにお願いしたいことがあって」

「頼みたいこと?」

 

 晴がきょとんとした顔で夜空を見る。と、かがりが床に散乱しているしいたけバーガーの包み紙を押しのけ、ドンと腰を下ろして言った。

 

「晴! かがりはな、今夜ぜったいぜったいお月さまを見たいのだ!!」

「へっ? お月さま?」

 

 首を傾げる晴に、夜空が通訳する。

 

「あのね、かがりちゃん、最近忙しくて大好きな月を眺める時間がなかったんだって。それで休みの今日は絶対に月を見ようと思ってたらしいんだけど、あいにくこの雨でしょう? だから夜が来る前に、晴ちゃんに祈祷してもらうんだって聞かなくて……」

「お願い! 晴が頼みの綱なのだ! 晴の祈祷で雨を吹き飛ばして、きれいなお月さまを見せてほしいのだー!!」

 

 かがりの必死のお願いに自尊心をくすぐられた晴は、食べ過ぎで腹が苦しいことも忘れて思いっきり腹を叩いた。

 

「そんなのお安い御用だよ……ぐえっ」

「晴……! ありがとなのだー!」

「ど、どういたしまして……! それじゃーさっそく始めるよ!」

 

 晴は腹をさすりながらそう言うと、急に真剣な顔つきになった。身なりを整え、かがりたちの前に正座して姿勢を正す。両手を重ねてパン! と鳴らすと、祝詞を唱え始めた。

 

「かしこみ、かしこみ! 雨雲よ、去りたまえ~~!」

 

 かがりと夜空はドキドキしながら晴を見守った。

 どうか雨がやんで、きれいなお月さまが見れますように――その「願い」を目に見えぬ存在に届ける。それが晴の祈祷である。はっきりとした成果を出したことはないが、自分にはその力があると、晴は信じていた。

 祝詞を唱え終え、晴は小さく息を吐いて窓の外を見た。つられてかがりたちも見た。

 

「今日はだめそーなのだー」

「「ええーーっ!?」」

 

 雨は、全く止む気配がなかった。

 晴が早くも諦めて床でゴロゴロし始めたのを見て、かがりと夜空は慌てた様子で近寄ってくる。

 

「晴! 諦めるのはまだ早いのだ!」

「そうだよ晴ちゃん。もう少し頑張ってみよう?」

「だめだめ。こういう時は何をやってもだめなのだ。時には諦めも肝心なのだー」

「諦めちゃだめなのだ! 晴、さっさと起きるのだ! また誰かにポンコツって言われちゃうのだ!」

「我はポンコツじゃないのだ。だから大丈夫なのだー」

「全然大丈夫じゃないのだ! 晴! せ~い~! 長良川から見えるお月さまはほんとーにきれいなのだぞー!?」

 

 かがりは晴の腕を引っ張りながら月への思いを熱く語り始めた。その隣で夜空が一生懸命、相槌を打っている。晴はかがりの話を聞き流していたが、満腹感と祈祷による疲労感で眠くなってきた。

 今なら気持ち良く眠れそうだ――と思った、その時。

 晴の耳に、気になる言葉が飛び込んできた。

 

「――だからかがりは、温泉むすめ日本一決定戦で優勝したら一日中、夜にしてもらうのだー!!」

 

 晴は耳を疑った。

 一体どういうことなのだろう。晴はむくりと体を起こして、かがりを見た。

 

「……ちょっと待って。それって……かがりちゃんの願い事が叶ったら昼がなくなっちゃうってこと?」

 

 かがりは当然とばかりに答えた。

 

「うん! かがりは明るいの苦手だし、お月さまの見えない昼なんかいらないのだ! だからぜーんぶ夜にしちゃうのだ! 夜空だっておんなじ願い事だぞー!」

「えっ!? 夜空ちゃんも!?」

 

 晴は驚いて夜空を見た。夜空は「言ってなかったっけ?」と、きょとんとした顔をして言う。

 

「そうなの。そうすれば大好きな星をずっと眺めていられるし……♡」

 

 いやいやいや、と、晴は焦る。それはあまりにわがまま過ぎるのではないか?

 

「ふ、二人とも神さまなのに、そんな個人的なお願い事を……?」

「個人的? ……うーん、かがりは難しいことは分からないのだ」

「でも、わたしたち神さまだし。品行方正な神さまもいれば、そうじゃない神さまもいるし。ね、かがりちゃん」

「なー!」

 

 微笑み合う二人を見て、晴は思った。なんとまあとんでもない神さまたちがこんな身近にいたものだ、と。

 

「ところで晴の願い事は何なのだー?」

 

 ふいに言われ、晴は考えた。

 願い事――。

 『温泉むすめ日本一決定戦』に乗せられるままにアイドル活動はしていたが、今まであまり考えたことがなかった。一つだけ叶えてもらえるなら何がいいだろう。きつね巫女としてブレイクしたいとか、本物のきつねしっぽが欲しいとか、挙げたらきりがないが――ここは、やはり。

 

「しいたけバーガー……一生分……!」

 

 目をきらきらと輝かせ、晴は言った。飽きたらどうするかなど考えもしなかった。

 

「しいたけバーガー……!」

「いいね、それ……!」

 

 かがりと夜空が微笑んだ。晴も微笑み返した。なんだか心のモヤモヤが晴れたような、清々しい気持ちだった。

 “ずっと夜にしてもらいたい”と願う温泉むすめがいるのなら、“好きな物を我慢せずたらふく食べたい”と願う温泉むすめがいてもいいだろう。

 

「あれ? そう言えば雨音がしなくなったような……」

 

 夜空に言われて、晴は急いで窓の外を見た。いつのまにか雨が上がり、空に晴れ間が広がっていた。

 

「やったー! これで夜になれば長良川できれいなお月さまが見えるのだ!」

 

 飛び上がって喜ぶかがりに、晴は言った。

 

「えっへん。晴の祈祷のおかげなのだー!」

「ありがとなのだ! 晴はやっぱりすごいのだ!」

「むふー。もっと言ってなのだー!」

「何度でも言うのだ! 晴はかわいいし、祈祷もできるし、とにかくすっごいすっごいきつね巫女――」

「なのだったら、なのなのだー♪」

 

 ふいに声がして、晴とかがりは目を丸くして夜空を見た。夜空は「あっ」と呟き、照れ笑いを浮かべる。

 

「えへへ……。二人を見てたら、わたしも使ってみたくなっちゃって……」

「おー! みんな一緒で楽しいのだ!」

 

 かがりは無邪気に目を輝かせると、晴と夜空の手を掴んで走り出した。

 

「決めた! 今夜はみんなで長良川に行ってお月さまを見るのだ!」

「へっ、これから? それなら夜食にしいたけバーガーを――あっ、あっ、あ~~れ~~!」

「かがりちゃん、引っ張らないで~~!」

 

 かがりに手を引かれて、晴と夜空は長良川へ向かうのだった――。

 

♨          ♨          ♨

 

「……お月さま、どこなのだ……?」

「全然見えないね……」

 

 長良川のほとりで、三人は呆然と立ち尽くしていた。

 大盛り上がりで長良川へやってきた三人だったが、着いたその時から――普通に、長良川には雨が降っていた。

 

「なんでかなー? 龍神村は晴れたのに」

 

 晴が首を傾げていると、隣で傘を差してくれていた夜空が「あ!」と呟いた。

 

「もしかして、龍神村で祈祷したから……?」

「あっ」

 

 なるほど、と晴は思った。ところ変われば天気も変わる。そして、「長良川温泉の雨雲」には何も祈っていない。

 

「もしかして我、またやっちゃいました……?」

「せ~~~~~~い~~~~~~?」

 

 かがりが半泣きでこちらを睨んでいる。名前も知らない魚が三人をあざ笑うようにパシャンと跳ねた。

 祈祷をやり直すから、と言い出せる雰囲気ではない。そもそも龍神村が晴れたのも単なる偶然かもしれないし、もう一度やって空が晴れなかった時のことも考えたくない。

 

「……どうするの、晴ちゃん」

 

 ジト目の夜空に見つめられた晴は、可愛くウインクしながら頭をコツンと叩いてこう言った。

 

「こんっ☆」

 

(おわり)

written by Miyuki Kurosu

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