story おはなし

温泉むすめ伝「日中早百合の章」

「「おおーーーっ……」」

 

 寒さ厳しい冬の日中温泉、日中早百合が住む旅館の前である。悠然とそびえる日中ダムを見上げて、宇奈月明嶺と東山季利花は感嘆の声を上げた。

 

「ね? おっきいでしょ? かっこいいでしょ? おっきくてかっこいいでしょ!? 朝に寒空の中で静かに佇んでる姿なんて、もうもう圧巻なんだよ~!!」

「わかるわかる~! 朝のダムって神々しさすら感じるよね~!」

 

 ヒメサユリのような笑顔で言う早百合に明嶺が何度も頷き返す。そんな二人を、季利花が悔しそうに見ていた。

 

「早百合殿も明嶺殿も本当にダムが好きだな。あたしにはよく分からぬ世界……まだまだ未熟だな」

 

 ダムのようにスケールの大きな女になりたい――それが早百合の夢である。日中ダムの真下にある旅館で育った早百合にとって、ダムは日常の景色であり、気付けばそこにいる守り神であり、また憧れの存在であった。

 

(せっかく二人が見に来てくれたんだもん。今日はスケールおっきく、最高のおもてなしをしなきゃ……!)

「それじゃ、さっそく旅館の中に案内するね!」

 

 早百合が決意を新たに二人を先導しようとした時だった。

 

「あ! かまくらじゃん!」

「へっ?」

 

 ふいに明嶺が叫んで、早百合は「?」と振り返った。明嶺が指差す先には、確かに先日作ったかまくらがある。

 

「あ、ああ。こないだ積もった時に作ったの!」

「いいこと思いついた! お弁当とかお菓子とか買ってきてさ、かまくらの中に持ち込んでダムを間近に感じながらみんなでおしゃべりしようよ!」

「うえっ!?」

 

 思わぬ提案に早百合は焦った。二人には話していなかったが、今日は宴会場での昼食を用意してある。かまくらもいいが、スケールの大きいおもてなしをするならやはり宴会場だ。

 早百合はおずおずと言った。

 

「あの~……。実はね? もうお昼ごはん用意してもらってて……」

「え、そうなの? ありがとう!」

 

 カラッと笑う明嶺を見て、早百合はホッとした――のだが。

 

「それってさ、かまくらに運んで食べれたりするやつ?」

「ほえぇ!?」

 

 ますます面倒な流れになってしまい、早百合は心の中で頭を抱えた。

 こんな時、スケールの大きい女ならどうするだろう……。笑ってOKする? それとも構わず宴会場へ? それともそれとも……!

 あれこれ考えていると、ポンと肩を叩かれた。季利花だ。

 

「早百合殿、安心してくれ」

 

 季利花は自らを温泉組隊長と称する、武士道精神あふれる温泉むすめである。姫を守る家臣のごとくこの窮地から救ってくれるのではないかと早百合は期待した。

 

「食事の配膳ならこのあたしが引き受けよう! 早百合殿はかまくらで待っていてくれ!」

(ちが~~~~~う!!)

 

 白い歯きらめく季利花の笑顔に、早百合はますます頭を抱えた。

 

「あの~……。えっとですね、宴会場の席も予約してあって、メニューもお任せにしちゃったからかまくらに運べるかどうか……はっ!?」

(ダ、ダメダメ! 今のわたし、すっごくスケール小さい……!)

 

 もごもごと言っていると、視界の端に日中ダムが映り――早百合は青ざめる。青ざめて、彼女は走り出した。

 

「ごめんなさいっ! ちょっと失礼しまーーす!」

 

♨          ♨          ♨

 

「ふ~……」

 

 こういう時は、日中温泉の温泉に限る。

 ひとり旅館に飛び込んだ早百合は、大浴場の湯船に浸かっていた。

 日中温泉はぬるめの湯、「ぬる湯」が特徴だ。のぼせることなく長く浸かれるから体の芯まで温まり、心も体もリフレッシュできる。客人の手前、今日は長湯とまではいかないが、それでもその優しい湯は早百合の気持ちをリセットするのに十分な包容力だった。

 

「うん、リセット完了っ! 料理長に相談してみようっと!」

 

 厨房に向かい、料理長に事情を話す。と、ちょうど鍋にしようと思っていたとのことで、そのままかまくらに運び込むことになった。季利花がはりきって鍋を運び、早百合と明嶺が雪でできたテーブルの上に鍋セットや菓子を並べ、カセットコンロに火をつける。

 乾杯して菓子をつまんでいると鍋がぐつぐつ音を立て始め、自然と期待が高まっていく。かまくらの中という特別なシチュエーションもあってか話ははずみ――。

 

「あははっ! そんなこと言われたんだー!」

「うむ。『失せ物』とは何かと思ったが、そのあと本当にまなみ殿からもらった今治タオルを失くしてしまってな。無事見つかったので良かったが……。いやはや薫殿の予言には驚かされるでござる」

 

 開始して一時間が経った頃、話題はクラスメイトの湯田薫へと移っていた。

 早百合にとってもクラスメイトの話なのだが、彼女は内心それどころではなかった。二人が話に夢中になるあまり、鍋の中に放置されている肉が気になって仕方ないのだ。

 

(ああ、早く食べないとお肉が硬くなっちゃう……! 小町ちゃんからもらったお高い米沢牛が~!!)

 

 せっかくの高級肉だ。おいしいうちに食べてもらいたい――。そう思った早百合は二人の会話が途切れた瞬間を見計らって、おずおずと話を切り出した。

 

「あの~……。お鍋のお肉、早く食べないと硬くなっちゃうかも……」

「あ、ホントだ! ありがとう!」

「かたじけない。すっかり話に夢中になっていたでござる」

 

 そう言って、二人は鍋へと箸を伸ばす。なんとかタイミングは逃さなかったようで、引き上げられた牛肉は柔らかそうに取り皿の中へ収まっていった。

 ふうと安堵の息をついて、早百合は苦笑する。

 

(よかった。面倒くさい鍋奉行みたいなこと言っちゃったけど――あっ)

 

 そして、気付いてしまった。スケールの大きい女なら決してこんなことは言わないということに。

 

「ま……ま……」

「「ま?」」

「またやっちゃった~~~~っ!」

 

 早百合はそう叫ぶと、ぽかんと顔を上げた二人を取り残して再び大浴場へ向かった。

 

♨          ♨          ♨

 

「ふ~~……。よし、リセット完了っ!」

 

 早百合は一瞬で気持ちを切り替えた。どんな悩みもたちまち解決、これが日中の湯である。

 

「そろそろシメの時間だね! もちろんシメは喜多方ラーメンに決まりっ♪」

 

 大浴場を出て、追加の出汁と麺を持ってかまくらへ向かう。朝ラーもいいが、みんなとの鍋のシメに食べる喜多方ラーメンも最高に違いない――と、思っていたのだが。

 

「鍋のシメといえばおじや! やはり白米こそが武士の栄養食でござる!」

「わかるわかる! 頷きすぎて宇奈月温泉~!」

 

 かまくらに足を踏み入れた瞬間、想定外の会話が早百合を襲った。

 ショックのあまり体が震える。「あ、ああっ……」と呻くと、二人が早百合の存在に気付いた。

 

「あ、ラーメンじゃん♪」

「ほう。早百合殿はラーメン派か……! しかも、それは喜多方ラーメンではないか?」

「本場の味ってこと!? 楽しみ!」

「え? え?」

 

 おじや談義に花を咲かせていたはずの二人にすんなりと受け入れられて、早百合は困惑する。

 

「あの~……。おじやじゃなくていいの……?」

「ああ、聞いてたのか」と、季利花が白い歯を見せる。「それはあたしの主義、ここは早百合殿の本陣だ! よそに討ち入ったからには、ご当地の味を楽しむのが通というもの!」

「うんうん! 判例にもそう書いてある!」

 

 これは討ち入りでも裁判でもないが、とにかく二人は歓迎してくれているようだった。あっけらかんと出汁を湧かし始めた彼女たちに対して、戸惑っているのは早百合ただひとりである。

 

(ほ、本当に? 本当におじやじゃなくていいの? もしかしてわたしに気を遣って……でもでも、明嶺ちゃんも季利花ちゃんもそんな子じゃないし……! ああ~~最初に何がいいか聞いとけばよかった! シメといえば喜多方ラーメンって決めつけて、わたし小さい……全然ダムじゃない!!)

 

 早百合は顔を上げた。こんな気持ちで鍋をシメるわけにはいかない。

 

わたしっ! ダムになってきます~~~!!

「「ダム!?」」

 

 今日三度目の大浴場である。早百合は転がるようにかまくらから這い出そうとして――

 

「待って待って! さっきからどうしたの?」

「ぷぎゃっ!」

 

 ――明嶺に腕を掴まれ、雪の中に顔を突っ込んだ。

 

 

 

「……な、なるほど。なんか、すまなかったな」

「色々考えてくれてたんだね……」

 

 早百合が全てを話し終えると、季利花と明嶺が申し訳なさそうに言った。

 

「ううん、完全に一人で空回ってただけだし……。はあ~~……ダムみたいな女には遠いなあ……」

「そう? スケールはともかく、わたし今の早百合ちゃん好きだけどなー」

「うむ! 早百合殿は小さくてかわいくて、あたしにはない姫らしさを持っているでござる!」

「二人とも……!」

 

 早百合は大きな瞳を潤ませて礼を言った。明嶺と季利花の優しさが伝わって、まるで日中温泉のぬる湯に浸かっているかのようだ。

 胸のあたりがじんわりと温まるのを感じながら、早百合は二人の言葉を噛み締める。

 そう――スケールはともかく、わたしは小さくて――。

 

「……あれ?」

「どしたの?」

「ちょっと待って。それってやっぱりスケールが小さいってことじゃない!?」

 

 首を傾げる早百合に、明嶺が「え?」と目を丸くした。季利花が慌ててフォローする。

 

「ち、違うぞ! 姫というのはだな、それはそれで肝っ玉が必要なのだ!」

「そ、そうそう! あ、ほらラーメン! 早百合ちゃんラーメン食べる!?」

「ひいぃ!? すっごいフォローされてる!!」

 

 必死に取り繕う二人の優しさが痛い。早百合は今度こそかまくらから転がり出た。

 

「う、うわ~~~~ん! わたし、失礼します~~!!」

 

♨          ♨          ♨

 

 ――10分後。

 

「よーし! それじゃ、日中ダムの見学行こっか!」

「「切替はやっ!」」

(おわり)

written by Miyuki Kurosu

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