story おはなし

温泉むすめ伝「湯郷美彩の章」

「ねえねえ、千代! 円仁法師って明らかにサッカー好きだよね!」

「何をどう見てそう思ったの!?!?」

 晴れ渡る空に湯郷美彩と湯村千代の声が響く。

 ここは湯郷温泉、円仁法師像のド真ん前。新年の浮ついた空気を満喫すべくふたりで散歩していたのだが、円仁法師像の前に差し掛かるや、いきなり美彩が妙なことを言い出した。

「円仁法師って有名な人なんでしょ? つまりサッカー選手! ならとーぜんサッカー大好きに決まってるよね!」

 美彩は円仁法師の銅像、その頭部をまじまじと見つめた。

「なんか頭もボールみたいだし!」

「仏門だから丸めてるだけだよ! っていうか美彩ちゃん、有名人=サッカー選手って図式がまず変だからね!? この世界にはサッカー選手以外にも有名な人沢山いるから!」

「あははっ、ボールの方はさすがに冗談だよー」

「ボールだけ!? サッカー選手以外の有名人は認めない気なの!?!?」

 千代が大げさなほどにツッコんでくるので、美彩は笑った。千代とは地元も学年も違うが、不思議とウマが合うので一緒にいることが多い。ふたり揃うと話が尽きないのはボケとツッコミが互いの間でバチッと決まっているからだと美彩は思っている。ちなみにボケは美彩でツッコミが千代である。

 千代は肩をすくめると言った。

「ま、まあこの際それでいっか。海のように寛大な心をお持ちの師匠もきっと許してくれることでしょう」

「師匠? 誰それ」

「ズバリ、円仁法師さま! ただ有名なだけじゃなくて、すご~い業績をいっぱい残した超偉いお坊さんなんだよ! うちと同じで湯郷温泉も師匠が開闢に関わってるし、まーもちろん? 美彩ちゃんも知ってると思うけどねえ?」

 売り言葉に買い言葉である。全く期待をしていない千代の口ぶりに、美彩は反射的に言い返した。

「知ってるに決まってるじゃん! 美彩お姉さんをなめてもらっちゃ困るんだから!」

「じゃあ何やった人?」

「サッカーを日本に広めた人だよ!」

「やっぱり知らないじゃんかーーーッッ!」

 ズッコケた千代――だが、「これは漫才チャンス!」とでも思ったのかニヤリと笑みを浮かべて立ち直り、言う。

「それは由々しき問題だね……温泉だけに!」

「……えーっと?」

「あれ? 分かんない? 今のは由々の『ゆ』と温泉の『ゆ』をかけた高度なギャグで……ってうおおおおおーい!? 自分で自分のギャグの解説させるなーっ!!」

 一人でボケて一人で解説を始め一人で涙目になりながら、千代はズンズンと美彩に迫り寄る。

「そうじゃなくて! わたしがしたいのは師匠の素晴らしさの布教! 湯郷の温泉むすめとして、どんな人か絶対に知っておくべき人なんだよ、師匠は!」

 千代の熱弁である。彼女にここまで言わせるとは円仁法師のすごさは並大抵のものではあるまいと美彩は唸った。

「そこまで言うなら聞かせてみてよ、円仁法師の凄さってやつをさ」

「おおとも! 師匠の激熱ヒストリー、とくと味わわせてしんぜよう!」

 千代はひとつ咳払いをすると、それまでのおちゃらけを潜ませて、如何にも威厳たっぷりに語り出した。

 曰く、その出生時、大いなる吉兆である紫雲が大空にたなびいた人物なり。

 曰く、遣唐使として唐に留学、帰国すると日本の天台宗を大成させた人物なり。

 曰く、湯村温泉、湯郷温泉を始めとする数々の温泉地の開闢に関わった人物なり。

「――慈覚大使円仁。その偉大な功績は没後数百年経った今も、色褪せぬ輝きを放っているなり」

「本当に偉い人だった……」

 千代の語りのおかげか、おぼろげだった輪郭の円仁法師が、美彩の中で形を成していく。これほどの人物ならば確かに湯郷温泉に銅像が立つのも間違いはないであろう……美彩が円仁法師の銅像に向かって頷いていると、横に立つ千代は爛々と目を輝かせて続けた。

「そしてなにより、師匠は平安時代のお笑い界を席巻した伝説のお笑い芸人でもあるなりッッッ!!!」

「は?」

 いきなり胡散臭くなった。美彩が胡乱な目で見返すが、千代はうっとりと語り続ける。

「わたし、夢に見るの……師匠の平安漫才の夢を! みやびやかで軽妙な語り口、太刀の如き切れ味のツッコミ、思わずクスリとさせられる仏法ギャグ……現代なら○-1前人未到の10連覇間違いなし!」

「待った待った待ったーーーっ!」

 あまりにも無法な千代の妄想に、たまらず美彩は口を挟んだ。

「夢に見たって、そんなのなんでもありになっちゃうじゃん! だったらサッカーが得意でもいいでしょ!」

「平安時代にサッカーはない! あったとしても蹴鞠だよ!」

「それだ!」

 ムッとしたように唇を尖らせた千代の言葉は、美彩にとって天啓の一言であった。無法には無法で返すのみ。千代がそうするように、美彩も己の理想の円仁法師像を描き出す。

「円仁法師は蹴鞠界のスーパースターだったんだよ!」

「はい~~!?」

「円仁法師は光源氏とか源義経とか平安時代の大スターとしのぎを削った国内最強のストライカーで、世界中にその名を轟かせていた、言うなれば平安時代のメッシだったの!!」

「ツッコミどころ満載過ぎて処置なしなんだけど!? とりあえず光源氏は実在しない!」

「チーム名は『ホウシー・ミラン』ね!」

「なんか言葉のゴロがいい!?」

 ツッコミ疲れか、千代が荒い息を吐いている。しかし、その目は死んでいなかった。

「蹴鞠がうまいのは百歩、いや一万歩譲っていいとするけど、師匠のホームはお笑いだから……!」

 千代は法師の銅像を見つめた。その目にこもる熱さは、まさに激熱温泉むすめの面目躍如といった風情である。

「師匠はねぇ、盛り上げ上手でどんなギャグを言っても優しく微笑んでくれるの! ネタ作りも神レベルで、わたしが新作ライブのネタに悩んでる時、枕元にやってきて――たった一言、でも値千金のアイデアをさりげなく授けてくれるんだよ!」

 物凄い思い込みである。敬愛を超えてもはや執念を感じる勢いだ。最後の言い様などはもはやビートルズのあの曲めいたものがある――美彩は学校の成績はイマイチだが、サッカー好きが高じて特定の海外文化には詳しかった。

 しかし、ここで引いたらなんだか負けた気がする。美彩は目をつむり、己の妄想の翼を目一杯に広げた。

「千代、残念だったね。そのアイデアの数々は蹴鞠の片手間に考えたものにすぎない……。ちなみに法師が唐へ行ったのも海外移籍だよ!」

「移籍!? 蹴鞠で!?」

「当時からあったんだねー。海外組/国内組の話題」

 妄想……のはずなのだが、今、美彩の脳内にはピッチを走る円仁法師が生き生きと見える。

 美彩は目を開けた。目の前に建つ円仁法師の銅像と目があった気がした。すると、法師の中国蹴鞠移籍物語が荒れ狂う奔流となって美彩の頭の中に入り込んできた。

「そう! 法師は天台宗の奥義をかけて、唐の最強蹴鞠プレイヤーたちと熾烈な戦いを繰り広げたんだ! 襲い来る試練の数々、芽生える友情、そして笑いと涙の果てに訪れる仲間たちの死!」

「死!?」

 愕然とする千代に美彩は頷きを返す。驚くのも無理はない。千代は蹴鞠を貴族の優雅な遊びくらいにしか考えていなかったのだ。本当の蹴鞠とはそんな生ぬるいものではないのである。

「出会いと別れの分だけ、法師は強くなっていったの……そして遂に迎えた0839KEMARIワールドカップ決勝! 激闘の果てに優勝の栄光をつかみ取った法師の試合後インタビューは、今でも伝説となって……」

 想いを馳せる美彩の口をついて出たのは、法師の優勝インタビューだった。

「どうも、円仁法師です。いやー、ついに優勝できました……長く、厳しいKEMARIワールドカップを最高の結果で飾れたのは、これもひとえに皆さんの応援があったからこそです。ありがとうございます! ありがとう!」

 万感の想いに美彩が浸っていると、震えるような声が聞こえてきた。

 

「ありが『とう』…………『唐』だけに……!?」

 

「え……!?」

 はっとして美彩が振り向くと、千代が感動に瞳を潤ませて美彩を見つめていた。

「まさか、この優勝インタビューが、平安漫才とつながってたってこと!?」

 二人の中で分かたれていたものがひとつになった瞬間だった。蹴鞠と平安漫才――一見なんの関係もないこのふたつは、ひとりの天才僧侶によって確かに繋ぎ合わされていたのだ。

 

「「そういうことだったんだ……!!!」」

 

 重なる美彩と千代の声。響き合う熱い想い。

「きっとお笑いの勉強も蹴鞠仲間達と一緒だったんだね! そんな熱い過去が、神がかり的な平安漫才に……!」

 千代の言葉に、美彩も頷き返した。

「あの巧みな緩急は、そしてスタジアム全体を支配するような完璧なゲームメイクは! 漫才の練習で培われた技術だったんだ!」

 目じりに美しい涙を浮かべ、千代は言った。

「熱い……! 激熱だよ!!!」

 美彩にも、今なら千代の言っていた平安漫才がありありと思い浮かべられる。

 噛み締めるように、美彩は千代へ言葉を贈った。

「千代……! わたしも円仁法師のこと、師匠って呼んでいいかな?」

 千代は笑った。今日一番の笑顔であった。

「うん。わたしたちふたりで、師匠の素晴らしさを世界に広めていこう!」

 美彩と千代は、熱い友情の抱擁を交わした。

 今ここに、円仁法師――そのふたりの弟子の熱い絆が誕生したのである。

 

『私、漫才も蹴鞠もやってないんですけどーー!?』

 

 ちなみに遥か空の向こうから、こんな天の声が降ってきたのは、ふたりにも知る由はなかったのだが。

 

 

Fin.

 

 

written by Ryo Yamazaki

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