温泉むすめ伝「塩原八弥の章」
「アイドルはお肌が命! いつでもお肌にうるおいを! “新湯スチーマー”っ!!」
そう言って、わたし――塩原八弥は自分の机の上にある卵形の機械を掲げた。
機械の噴霧口から「ぷしゅーっ」とミストが発射される。ミストはわたしの前にいる女の人に直撃、「うごあ!?」という彼女の悲鳴とともに、その丸いメガネを真っ白に曇らせてしまった。
「ちょいちょいちょい! いきなり何だよ!? ぼくはメガネだっつの!」
「何って、“11のアイドル秘密道具”の品評会。その使い勝手をみつばさんにチェックしてもらいたくて」
「アイドル秘密道具!? なんだよその怪しすぎるアイテムは!?」
曇ったメガネをかけたまま、平湯みつばさんは「うがーっ!」とかみつくようにわたしに顔を近づけてきた。
うーん、相変わらずいいツッコミをしてくれるなあ。みつばさんは学年的には割と先輩なんだけど、常識人ですごく親しみやすい。おまけにアイドルのことにも詳しいから、このたび開発した“11のアイドル秘密道具”の使い勝手について、常識人でアイドルオタクの視点からアドバイスをくれるはずだ。
「わたしたち、スクナヒコさまの企画でアイドルやることになったでしょ? その活動がうまくいくようにって、工学部の萌湖ちゃんたちと一緒にサポートアイテムを開発したの! それが“11のアイドル秘密道具”なんだ!」
言いながら、わたしは足元にあるリュックのショルダーストラップのボタンをポチッと押した。すると、リュックの中から男ものの革靴を履いたロボットの足がにゅっと伸びてきて、みつばさんに向かってゲシッと蹴りかかる。
「あっぶな!?」と、みつばさんは体をCの字にひねって避けた。「こ、これも秘密道具かっ!?」
「うん! アイドルは恋愛厳禁! 貫一・お宮のキックがうなる! “畑下リュック”だよ!」
「『金色夜叉』かよ! 熱海のネタだろそれ!」
「わお、教養も兼ね備えた鋭いツッコミ! さすがみつばさん!」
でも、実は塩原温泉も『金色夜叉』とのゆかりは深いんです。そこの説明は長くなるからやめとくけどね。
「続いてはこれ! “中塩原サングラス”!」
「サングラス?」
わたしが取り出したごく普通の黒いサングラスを見て、みつばさんが首を傾げる。
「うん! 人気アイドルにはパパラッチがつきもの。でもオフの日は人目を気にせず楽しみたい。そんな温泉むすめのための変装道具だよ」
「有名になること前提かよ。強気だな……」
「まあまあまあまあ。これはホントにすごいやつなんだって! ちゃんとみつばさんの分も用意してあるから、試しにかけて温泉街を歩いてみようよ!」
「え、えっ!? ぼくもかけるの!?」
大げさに戸惑うみつばさんにサングラスを押しつけ、わたしは“畑下リュック”を背負って屋外へ向かう。
わたしが“11のアイドル秘密道具”を作ったのは――もちろん開発してて楽しいっていうのが一番の理由だけど、ちょっとだけヨコシマな野望がないわけではない。たとえばこの“中塩原サングラス”が、アイドルをするうえで便利な道具で、みんなが使ってくれるようになれば、自然と塩原温泉の名前も売れるはずなのだ!
「えへへ……」
明るい未来を妄想してだらしなく顔を緩めながら、わたしは温泉街へスキップしていった。
だけど、わたしは知らなかったのだ。
カメラを手にした怪しい人影が、そんなわたしとみつばさんを狙っていることに――。
♨ ♨ ♨
「……マジか。サングラスをかけただけで誰からも気付かれないとは……」
クレープみたいな“とて焼”を片手に箒川沿いで休みながら、みつばさんはしみじみと言った。
みつばさんもわたしもお揃いの“中塩原サングラス”をかけている。傍から見ると怪しい二人組で、すごく目立ってるはずなんだけど、温泉街のみんなは誰もわたしが塩原八弥であることに気付かないみたいだった。
「驚きだよねー。温泉むすめ師範学校工学部、謎の技術力!」
「これなら気兼ねなく観光できるな」と、みつばさんは“大網タンブラー”から紅茶を注ぎながら言った。「しかし、 “新湯”スチーマーだの、“大網”タンブラーだの……なんで地名がついてるのさ?」
「もちろん! それぞれの由来があるからです!」
待ってましたとばかりにわたしはドンと胸を叩いた。
「塩原は11個の温泉からなる温泉郷でね、それぞれ色んな特徴があるんだよ! たとえば新湯温泉には爆裂火口跡があって、もくもく煙が立ってるの。だからスチーマー! で、畑下温泉は『金色夜叉』とのつながりでしょ。で、で、大網温泉は飲泉でも有名だからタンブラーなんだ!」
「温泉地の特徴から逆算して道具を作ったのか……」
みつばさんに優しくツッコまれて、わたしは「えへへ」とはにかんだ。
なかなかいい雰囲気だ。このままいけば、みつばさんはわたしの野望通り“中塩原サングラス”を使ってくれるかもしれない――そんなことを考えながら、わたしはさらなるプレゼンテーションのためにサングラスを外した。
「それでねそれでね、この“中塩原サングラス”は……」
その時だった。
――ガサガサ! とそばの植え込みが大きく揺れる音に、わたしはビクッと身を強張らせる。
「……? なんだ?」
みつばさんも怪訝そうに植え込みを振り返る。わたしは慌ててサングラスをかけ直し、彼女に耳打ちした。
「だ、誰かにわたしの顔見られちゃったかも……」
「ええっ!? サングラスを外したあの一瞬だけで!? ストーカーだろそれ!」
「じ、実はこの“中塩原サングラス”は『源三窟』っていう洞窟に隠れてた源氏の武士さんが元ネタで……、その人もうまく隠れてたんだけどツメが甘くて見つかっちゃって……! 元ネタ通りだよーっ!! どうしよう!!」
「ちょ、お、落ち着け八弥!」
せっかくいいところだったのに! 見つかっちゃったらぜーんぶ台無しっ!
パニックになったわたしは大慌てて周囲を見回し、「あっ!」と閃いてみつばさんの手を取った。
「吊り橋だ! 吊り橋渡って逃げよう、みつばさん!」
「は!? なんで!?」
「塩原と言えば吊り橋だから!」
「理由になってねー! だから落ち着けって!」
ばたばたと吊り橋に駆けていく。みつばさんも戸惑いながらついてきてくれた――けど、いざ橋の上に踏み出したところで、彼女はわたしの腕に抱きつくようにすがりついてきた。
「や、八弥っ!! 怖い怖い怖い!!」
「えっ!?」
「ぼく今メガネしてないから!! サングラスじゃよく見えないから!! 吊り橋はムリムリムリ!!」
「あ……、ああっ!! そうだった!!」
わたしより10cm以上身長が高いみつばさんが小さく縮こまってわたしの腕をぎゅっとつかんでいる。そんな彼女と一緒に橋のふもとに戻るため、わたしがそっとみつばさんに寄り添った瞬間、
――パシャ!
無慈悲なシャッターの音が響いて、物陰からしたり顔の温泉むすめ――奥飛騨五十鈴さんが姿を現したのだった!
「おーっ、やっぱり八弥とみつばじゃーん。腕を組んで吊り橋を渡るなんて、これはスキャンダルだね!」
「ぎゃーーーーっ!?!? ぱ、パパラッチだぁーーーーっ!?!?」
わたしはこの世の終わりのような悲鳴をあげた。
ど、ど、どうしよう!? スキャンダル!? わたし、始める前にアイドル生命が終わっちゃうの!?
……いや! これは五十鈴さんの誤解だし! この場で誤解を解けばきっと大丈夫! わたしたちが恋人じゃないって分かってもらうには……こんなときの秘密道具は……そうだ!!
「わ、わたしたちはそんな関係じゃありません! これがその証拠です! 畑下リュック・キィーーックっ!!」
「は!?」
ポチリとボタンを押す。すると、リュックから“貫一の足”が伸びてきて、驚くみつばさんをポコンと蹴飛ばした。
「な、なんでやねぇーーーーーーーーーーーーんっ!?!?」
「み、みつばァァァーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
あくまでもツッコミを忘れず――みつばさんは、芸術的な放物線を描いて箒川へ落ちていった。
「えー、この度はわたしの“11のアイドル秘密道具”が大変ご迷惑をおかけしました……」
「まったくだよ! 川の水、超冷たくて死ぬかと思ったからな!? タダで温泉入れてくれたから許すけど!」
「……あ、そっか! “11のアイドル秘密道具”なら、今みたいに自然な流れで温泉に誘うこともできるね!」
「どれだけポジティブなんだよ!」
わたしはその後も懲りずに秘密道具のプレゼンをしたけど、みつばさんの心には響かなかったようでした。
でも、わたしのアイドル活動は始まったばかり! 塩原八弥、これからも頑張るね!
Fin.
著:佐藤寿昭