「petit corollaバズらせ大作戦」第四話「羊文字、かんせ~~~い!!」
第三話「悩む美少女は、それだけで価値がある……!!」はこちら
――羊!
―――羊!!
――――羊である!!!
「ヤっバーーーい! 何匹くらいいるの、これ!?」
見渡すばかりの羊を前にして目を丸くする六香に、葉凪は唇に指をあてて考えるふうに言った。
「200匹以上はいるんじゃないかなぁ?」
「そんなに!?」
亜莉咲が仰天する傍らで、椿月も感心したようにひとつ頷く。
「壮観です。そうそう見られる光景じゃありませんね」
葉凪たちは伊香保グリーン牧場が誇るシープドックショー会場にやって来ていた。
牧場の東に位置するこの会場は広大な敷地を有しており、数百頭の羊が群れてなお余裕のある広場と、その向こうへなだらかに続いていく丘で構成されている。丘の斜面には『SHEEP DOG SHOW』と白文字の看板が建てられており、牧歌的な風景にコミカルさが加わってなんとも可愛らしい。非日常を味わえる伊香保グリーン牧場にあって、ここはその最たる場所であろう。
4人は眼前に広がる雄大な自然をひとしきり全身で味わい、気を引き締めた。
そう、これから始まるのは年内100万フォロワーを目指すための大仕掛け。(活動期間まだ2ヶ月の)プチコロ史上最大のスペシャルミッションなのだ。
葉凪はむんと胸の前で両こぶしを握って気合を入れると高らかに宣言した。
「最高のものに仕上げようね、みんな! それでは『羊文字』の撮影、開始!!」
「おー!!」
4人の鬨の声に、羊たちも「メ~」と鳴いた。彼らも気合を入れたわけではないだろうが、それでも気持ちが通じ合ったような気がして葉凪の気持ちは更に高ぶった。
葉凪が閃いた100万フォロワーを目指すための更なるアイデアとは「羊文字」である。羊文字とは要するに人文字の羊版で、遠方から見ると文字になるように、広い場所へ多数の羊を並べる一種のマスゲームだ。
事の発端は休憩中の喫茶店であった。
店内にはもこもこの羊が大写しになったシープドッグショーのポスターと、人文字で『eat!』と書かれたフードフェスティバルのポスターが並べて貼ってあった。それを見た葉凪は、このふたつを混ぜ合わせてみてはどうかと考えたのだ。
「これ……これだよみんな! これでもっとバズれるんじゃないかな!? 羊文字!!」
2枚のポスターを示しながら葉凪がアイデアを説明すると、真っ先に興味を持ったのは六香だった。
「いいね! アテレコよりも派手だし、ちゃんと撮影できればめっちゃバズリそう!」
「羊ならウサギと違ってまとわりつかれないので私は問題ありません」
お茶で一服しつつ椿月が言うと、腕組みをして首をひねったのは亜莉咲である。
「アイデアはいいんだけど、どうやって撮影するのよ?」
「それは……」
考えるふうにしばらく視線を宙にさまよわせていた葉凪だったが、その頭の上にピン! と閃きの電球が灯る。
「牧場のスタッフさんに相談してみよう!」
そうして4人は牧場スタッフの教えを請うた。葉凪のアイデアを聞いた牧場スタッフたちはいきなり何事かと驚いたが、羊文字の作り方やスマートフォン連動型ドローン、各種道具の貸し出し、果てはシープドッグショー会場の使用許可など、手厚いフォローをしてくれた。
ああ、ありがとう伊香保グリーン牧場の皆さん。金輪際、こちらの施設には足を向けて眠りませんと4人は固く心に誓った。
そんなわけで、シープドックショー会場で4人が最初に始めたのは羊文字のベース作りであった。
「まずは全体の中心を決めよう! それをもとにして文字と文字が平行になるように補助線を引いてね!」
牧場スタッフの書いてくれた図面をもとに葉凪が指示を出し、亜莉咲、椿月が巻き尺やビニールテープを使って羊文字の枠を作っていく。彼女たちが文字枠を作成している間に撮影役の六香はスマートフォンと接続したドローンの操作訓練に勤しんだ。
さてさて、彼女たちのほとばしる熱意と共に大地に刻まれ撮影される栄えある文字とはいったいなにか?
それはもちろん『プチコロ!』である!
「さすがですね、葉凪ちゃん。的確です」
『プチコロ!』の『プ』の外枠をビニールテープで作り終え、巻き尺を巻き取りながら椿月が言った。この枠の中に餌を敷き詰めて羊たちを呼び寄せ文字を作るというのが今回の羊文字の要点であった。つまり枠次第でこの動画の出来の半分は決まると言っても過言ではないのだが、葉凪の丁寧な指示により、文字枠は非常に満足のいくものに仕上がりそうである。
椿月と共に『プ』の文字を作る作業をしていた亜莉咲は、半濁点の箇所に餌を置く手を止めて、葉凪の方を見るとふっと微笑む。
「図面みたいにわかりやすい指標があると、ほんと生き生きするのよね」
「も~、亜莉咲ちゃんったら違うでしょ?」
亜莉咲と椿月が振り返ると、いつの間にか六香が背後に立っていた。六香はにやにや笑いを隠そうともせず、亜莉咲の頬をツンツンつつく。
「素直に頼もしいって言えばいいのに~」
「う、うるさい六香! っていうか、なんであんたここにいるのよ!? ドローンの練習してるんじゃなかったの?」
「みんなの頑張りをパシャリ!」
「えっ?」
六香はスマートフォンを亜莉咲と椿月へ向けると、だしぬけに写真を撮った。
不意を突かれた亜莉咲は完全に気の抜けた顔をさらしてしまう。
「あはは! いい顔☆ これはSNSにアップするっきゃないわ~」
「は……はぁぁぁ!?!?」
哀れ亜莉咲。伊香保グリーン牧場の王者である巨馬――馬王君に迫られたときですらカメラを向けられ意地で保ったその笑顔は、かくも容易く、かくも姑息な手段で打ち砕かれてしまった。
「待ぁぁぁてぇぇぇ六香~~!!!」
マヌケ顔を晒したとあっては乙女の恥。脱兎の如く逃げ出した六香を稲妻の勢いで亜莉咲は追った。
そんなふたりを横目に椿月は淡々と『チ』の文字枠を作る準備に取りかかる。奇襲のカメラアタックにもちゃっかりと対応してピースサインをした椿月は、六香を追う必要など当然ないのである。
♨ ♨ ♨
短く色濃かった樹影が傾き出して薄く伸びた頃に作業は一段落ついた。
4人は広場の片隅に集まって、出来上がった羊文字の枠組みを熱いまなざしで見つめていた。
広場に『プチコロ!』の文字枠が完成し、枠の中には羊たちをその場へ固定するための餌がぎっしり敷き詰められている。
無事、準備は整ったが本番はここからだ。ひとつ深呼吸をして、葉凪は3人を振り返った。
「準備はいい? みんな」
「やってやりましょ!」
「いつでもいけます」
「おっけー!」
亜莉咲、椿月、六香は表情を引き締めて頷き返す。
「ジョニー君もよろしくね?」
葉凪の足元には、牧羊犬のジョニー君が折り目正しく座っていた。
羊たちを文字へと誘導するのは葉凪に忠義を誓う誇り高き犬、ジョニー君の役目である。
作戦はこうだ。
解き放たれた羊たちの群れを、まずジョニー君が餌の方へと誘導する。
まんべんなく文字へと羊たちが行き渡り、餌に群がって留まっているうちに、4人が『プチコロ!』の『コ』の真下の位置に寝転がる。
その光景を六香がドローンを飛ばして空撮する。
その果てに見事映し出されるのは『プチコロ!』の羊文字と葉凪、亜莉咲、椿月、六香の壮大な一枚絵。
「それでは参ります! 5……4……3……」
運命のカウントダウンを葉凪が始める。
思えば短いようで長い道のりだった――以心伝心、4人は同時にそう思った。
すべての始まりは行き違いから生じたSNSアカウントの悲劇、自分たちの公式アカウントがなりすましアカウントに誤解されるほどの無残な敗北――敗北? いや、違う。全てはこの時のために。
全ては4人を栄光ある未来へ導く勝利の道、このシャイニング・プチコロードに繋がっていたのだ!!
「……2……1……アクション!!」
いざ解き放たれる羊たち。
空腹の極みに達した彼らは餌の匂いを嗅ぎつけるやいなや、荒れ狂うひとつの白い毛玉と化して文字枠へと突撃していく。
後を追って駆け出したジョニー君が羊たちの前に躍り出ると、睨みを利かせてその行動権を瞬く間に掌握した。
さすがベテランの牧羊犬である。その完璧な仕事は、このミッションの完璧な成功を一同に確信させた。
だが、その時、異変が起こった。
異変に真っ先に気づいた葉凪が声を絞り出す。
「『プ』に……『プ』に羊たちが集まっていく……!?」
予想外の展開である。なんと羊たちは、ゲートから出て一番近場にある『プ』の文字に集中的に群がり、他の箇所へ移動しなかったのだ。
「ちょっとあんたたち! 奥! 奥の方にもたくさん餌あるんだからそっち行きなさいよ!」
亜莉咲が『プ』の奥にある『チコロ!』の文字の方を指しながら叫ぶが当然伝わることはない。羊たちはぎゅうぎゅうに身を寄せ合ったままである。
「なるほど」
黙ってその光景を眺めていた椿月がぽん、と手を打った。
「羊たちは目の前の餌に釘付けになって、奥の方に餌があることに気がついていないのでは?」
「知性がなさすぎる!」
「何をそんな。動物はそういうところが可愛いんですよ、亜莉咲ちゃん」
「呑気に言ってる場合じゃないでしょ!?」
「マズいよ~、このままじゃ『プ』のところだけ餌がなくなって、羊文字が完成できないって! どうしよう、葉凪ちゃん!?」
六香が訊くと、慌てて葉凪は答えた。
「羊をばらけさせなきゃ……行こうみんな!」
4人は羊たちの方へ駆け出した。必死に手を振り、声を張り上げ、ジョニー君に協力して羊たちを移動させようと奮闘する。だが、草食獣といえどもケモノはケモノ、餌に狂乱する羊たちの溢れ出す野生の前に、文明に染まり切ったいたいけな少女たちはあまりにも無力であった。
「だめ……全然動こうとしない!」
「近くで見ると羊の威圧感も中々のものですね。あの横棒の入ったような目が、なんとも……」
肩で息をしながら葉凪と椿月が言った。
「こうなったら『プ』でもいいから撮影する!?」
やけっぱちになった六香がドローンとスマートフォンを両手で掲げると、慌てて亜莉咲がその手を掴む。
「なによ『プ』って、わけわかんないでしょ!? まだ何か方法があるはずよ、なにか……」
逆転の方法を探し4人は周囲を見回すが、目に入るのはただただ無情に広がる緑の大地と、こんもり丸くて愛らしい羊のお尻である。羊たちは見る者を和ませる魅惑のお尻をふりふり一心不乱に餌を食んでいたが、
「メ~」
一声鳴くと、4人の目の前で一斉にフンをした。
不憫ここに極まれり。目に涙を溜めた亜莉咲の口から、気の抜けた言葉が零れ落ちた。
「……くさい」
「踏んだり蹴ったりですね」
「フンだけに?」
ニヤリと笑って六香が答えると、グッと椿月が親指を立てた。亜莉咲は吠えずにいられない。
「あんたらはどこまでマイペースなのよ!」
「踏ん……フン……あぁ!」
「えっ、おそッ!? おっそ!! 葉凪、今気づいたの!?」
「えへへ、次はもっと早く気づけるように頑張るね!」
「そうね、頑張りなさい――ってちがぁぁう! せめてあんたはしっかりしててよ、葉凪~!」
ハッとして葉凪は亜莉咲を見返した。
「あっ、ごめん! そうだよ! 羊、羊たちを何とかしないと!」
「とは言ったものの、正直なところ万策尽きましたよね」
椿月の視線の先では、頼みの綱のジョニー君もどうすればいいかわからないと言わんばかりに落ち着きなくクルクル回っている。
「ここで引くわけにはいかないのよ……年内に100万フォロワーって大見得切った以上、絶対に一発バズらせないとならないんだから! でも、どうすれば……!!」
亜莉咲は願った。力が欲しい、羊たちを意のままに操れる、圧倒的な力が――と、その時である。彼女の脳裏に、とある強大な存在が浮かび上がったのは!
「……くん」
「え?」
「馬王くーーーーーーん!!!」
瞬間、亜莉咲の魂の叫びに応えるかのようにひとつの巨大な影がシープドッグショーエリアを囲む柵を颯爽と飛び越え降り立った。陽光を浴びてビロードのような光沢を放つ漆黒の毛皮。引き締まった四肢の筋肉は自然のもたらした至高の造形美。天よ地よ照覧あれ、やつの名は――馬王君!
「ええ~~~~っ!!?」
突如現れた牧場の王者に葉凪と六香は大仰天だが、一番驚いているのは当の亜莉咲である。
「ま、まさかほんとに来るとは……」
馬王君と亜莉咲を見比べ、感心したように椿月は頷いた。
「惚れた馬(おとこ)の弱みってやつでしょうか。泣かせますね」
4人のそばへ駆け寄った馬王君は、亜莉咲の服の襟首を噛むとしきりに引っ張り始める。
「私に……乗れっていうの?」
「ブルル!」
「ええ~い! こうなったらとことんやってやろうじゃない!」
3人に手伝ってもらい、なんとか亜莉咲は馬王君の背に跨った。亜莉咲を乗せた馬王君は一際高らかにいななくと、力強く馬蹄の音を響かせ羊の群れへと流星の如く走った。さすがの羊たちも全高2メートルを超す馬が駆け込んできてはたまらない。馬王君の迫力に圧倒された羊たちは見る間に餌を放り出して散り散りに逃げ惑い始めた。
「今だよ、ジョニー君!」
もちろんこのチャンスを逃す手はない。葉凪は犬笛を取り出すと鋭く吹き、身振りを交えてジョニー君へと合図を送る。自失していたジョニー君は愛しの葉凪の指示に耳をぴんと立てて我を取り戻すと、混乱する羊たちの進路に素早く立ちふさがり、その動線を見事に制御し始めた。
「やるよ、みんな!」
「うおお~~~!!」
今まさに機は熟した。ここに見せるは乙女の一念、リーダー葉凪の掛け声に触発されて一同は再度羊たちの誘導に乗り出した。人、馬、犬。三位一体の活躍により、驚くべき速さで羊たちは『プチコロ!』の文字枠の全体に行き渡り始める。見違えるような怒涛の勢いである。先ほどまでの戸惑いが嘘のよう、これなら完成も時間の問題――と思いきや、ここで更なる問題が発生した。
「うそ、羊が足りない!?」
『ロ』の文字枠の前に立つ葉凪。彼女の眼前には羊の空白地帯が広がっていた。羊の頭数に対して文字を大きく作りすぎてしまったためか、『ロ』の左側の縦画の部分に羊が行き渡らなかったのだ。
まさかの失態である。己の至らなさに葉凪は声を震わせた。
「どうしよう!? このままじゃ『プチココ』だよ~っ!」
「これだけやってもダメなの!?」
「他に……他に手は……?」
「よし! 『プチココ』で撮っちゃおう!」
「ダメだってば!」
不測の事態に頭を抱える葉凪のそばに、スマートフォンとドローンを手にした六香と馬に跨った亜莉咲が集まってうごうごわめき合い、混沌の様相を呈してきた。慌てふためく彼女たちからただひとり離れて事態を静観していた椿月は、ちらりとシープドックショー会場を囲う柵の方へと目をやった。
「……ふむ。葉凪ちゃん、そこの柵を開けて下さい」
「さ、柵? 分かった!」
葉凪は言われるままに柵に近づき、急ぎそれを開ける。
すると、大量のうさぎたちがそこから飛び出してきた。
「うわわ!? うさぎさんたち!?」
「どういう事よこれ!?」
「椿月ちゃんに引き寄せられて集まってたんだよ! ヤバ~~~!!」
六香と亜莉咲の足元をうさぎが雪崩を打って駆け抜けていく。その目指す先は椿月。そう、彼らはアテレコ中に執拗に椿月へ群がった、あのうさぎたちであった。
「この子たち、ここまで椿月ちゃんを追いかけてきたんだ……!」
葉凪の驚きなどどこ吹く風、堰き止められた水が奔流となるが如く、うさぎたちは乳白色の荒ぶるうねりとなって椿月に向かってひた走る。対する椿月は、いつの間にか両手にバケツを持ち、迫るうさぎたちを前にして一歩も引く気配がない。
「そして、こんなこともあろうかと用意しておいた大量の人参を羊の空白地帯にばらまきます」
椿月はバケツをひっくり返し、『ロ』の縦画に大量の人参をばらまいた。うさぎたちは好物の匂いを敏感に感じ取ると、急激に進路を変えて我先にと人参へと群がっていく。椿月への愛より食料を選ぶのにいささかの迷いもないあたりはまさに動物。だが、おかげで見事に『ロ』の左縦画が埋まっていった。
「やっかいな体質だと思ってましたが、ものは考えようですね」
「最高だよ、椿月ちゃんっ!」
感極まった葉凪は椿月に抱き着いた。
「む、うさぎの次は葉凪ちゃんがまとわりつくように……」
「そこのいちゃついてるふたり! 餌がなくなるまえに早く撮ろう!」
ドローンを空へと飛ばしながら、六香が葉凪と椿月を呼ぶ。羊の誘導が終わって馬王君から降りた亜莉咲は、六香の隣に立って乱れた髪を整えるのに余念がない。
葉凪と椿月が二人の所へ駆けて行き、集まった4人は見事完成した『プチコロ!』の文字の下に寝転んだ。
六香のスマートフォンの画面には、ドローンからの俯瞰映像が映っている。
羊とうさぎは見事に文字枠に群がり、芝生の緑地に白く浮かび上がる『プチコロ!』の文字は思い描いていた以上に清涼感があってインパクトは十分だった。これなら100万フォロワーの助けとなることは間違いないであろう。
「うわぁ~、すごい綺麗!」
「私にも見せて!」
右手からは葉凪が、左手からは亜莉咲が六香にくっついて、画面を見せるようにと催促する。しかし六香は手をひらひら振ってふたりをやんわりといなした。
「まーまー、後でいくらでも見られるんだし、今はいいじゃん!」
3人がもぞもぞもみ合っていると、葉凪の右手に寝転んでいた椿月は、ひとりしみじみとこんなことを呟いた。
「ん……草地に寝転ぶのは気持ちがいいですね。一仕事終えた後だから余計に眠くなる」
「寝るな椿月!」
「でも気持ちはわかるなぁ。こうやって柔らかい草の上に寝転ぶの気持ちいいよね~」
葉凪は並んで寝転ぶ友人たちの顔を見て、それから空を見上げた。
こんもり膨らんだ雲がゆったりと流れてゆく。慌ただしかった一日に訪れた、束の間の安らぎであった。
気づけば4人ならんで空を見上げていた。誰ともなしに笑い出す。笑い声は涼やかな風に乗って、牧場ののどかな空気に溶けていった。
相談したわけではない。にもかかわらず、4人は一斉に快哉を上げた。
「羊文字、かんせ~~~い!!」
と、その時――パシャリ。
「はーい! 最高の瞬間いただきました~」
いたずらっぽく笑って、六香は3人を見た。
しばらくぽかんと見返していた葉凪、亜莉咲、椿月だが、勢いよく上体を起こすと六香に詰め寄った。
「ええっ! 今撮っちゃったの!?」
「何勝手なことしてんのよ、六香ー!」
「普通は合図で撮るものだと思うんですが」
「ん~、皆をめっちゃ可愛く撮るのがあたしのミッションだからさー。最高の瞬間がきたら撮るっきゃないよね!」
イタズラっぽく笑う六香の表情にはしてやったりの達成感が充ち満ちている。そんな顔を見せられては葉凪たちも何も言えず、それぞれに顔を見合わせて苦笑した。
背後では、餌を食べ終えた羊たちとうさぎたちが満足げに自分の居場所に戻っていく。彼女たちはそれぞれに立ち上がって、自分たちの大仕掛けに協力してくれたたくさんの動物たちにふりふりと手を振った。
「ありがとう、みんな!」
こうして、petit corollaバズらせ大作戦の企画『動物アテレコ(?)』と『巨大羊文字』は無事完了したのだった。
♨ ♨ ♨
それから数日が経った。
葉凪、亜莉咲、椿月、六香の4人はSNSのフォロワー数を確認するために、『温泉むすめ師範学校』にあるいつもの中庭の大樹の下に集まっていた。
すっくと葉凪が立ち上がり、わざとらしく咳払いをして一同を見渡す。
「みなさま、本日は『petit corollaバズらせ大作戦』第一次結果発表会にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます」
葉凪の開会の儀を3人は熱烈な拍手で迎えた。全霊を傾けて臨んだ一大ミッションの結果発表である。拍手を打つ手にも自ずと力が入るというものだ。
「で? で!? 結果はどうなの!?」
「それはまだ誰にもわかりませんよ」
辛抱たまらんといった様子で亜莉咲が言うと、デザートのみかんを口に放り込みながら椿月が答えた。いつも通りのそっけない態度かと思いきや、みかんを剥く速度が明らかに早い。そわそわしているのが丸わかりである。
「みんな、あの日からSNSはおろか、羊文字の写真の出来すら見てないんですから。ですよね、六香ちゃん?」
「そうそう! SNSにアップするときもできるだけ写真を見ないように超薄目で頑張ったんだよ! それもすべては今日この時、みんな一緒に喜びを分かち合うため……約束したもんね!」
にやにや笑みをこぼしながら言う六香に亜莉咲が頷く。
「くふふ……わかってる、わかってるんだけどね。つい訊きたくなっちゃうのよね~!」
「頑張ったもんね! ちょっとでもフォロワーさん増えてると嬉しいよね!」
「も~、何謙遜してんのよ、葉凪! 私たちの可愛さを余すことなく注ぎ込んだのよ? フォロワー爆増間違いなし! もしかしたらもう100万フォロワーいってるかも? 輪花と楓花に大勝利かも~? なんてね~」
そう言ってうそぶく亜莉咲は満面の笑みである。幸せを極限まで煮出して純度を高めたらきっとこんな笑顔になるのだろう、そう思えるほどに亜莉咲の笑顔は甘くとろけきっている。
六香は印籠を見せつけるかのように仰々しくスマートフォンを取り出すと、不敵に笑った。
「じゃあ、いくよ! みんな心の準備はいい?」
「おー!」
六香のスマートフォンを4人で覗き込む。彼女たちの脳内には勝利のファンファーレが賑やかに鳴り響き、お祭り騒ぎだったが――画面に映し出された非情な現実に、みるみる一同の血の気が引いていった。
“petit corolla”公式アカウント:86フォロワー
まさかの展開である。
以前のフォロワー数は「97」。そして今回は「86」。
減少している。減少していた。
4人は顔を見合わせた。無言である。なぜか六香がスマートフォンをぶんぶんと上下に振りだした。こうすれば故障が直って正しい数が表示されるとでも言いたげであった。もう一度見てみる。フォロワーは85人に減っていた。
祝、マイナス1フォロワー。
「な、なによこれーーーッッ!!!」
ああ、悲しきリフレイン。わずか数日前に聞いた嘆きを改めて聞くことになろうとは誰が想像したであろうか。
「あ、亜莉咲ちゃん! 落ち着いて!」
例の如く葉凪がなだめ始めるが、亜莉咲の怒りは止まらない。
「落ち着けるわけないでしょ! 増えるどころかなんで減ってるの!? あんなに頑張ったのに~!」
「御しがたいですね……。頑張れば頑張るほどに報われないのがこの世の常なのでしょうか」
「バカ! 椿月のおバカ!! 地獄みたいなこと言うな~~!」
キャンキャン吠える亜莉咲をあやしながら、葉凪が首をひねった。
「アテレコ動画をアップした直後は増えてたよね……?」
「はい、確かに」
椿月がこくりと頷く。すると、葉凪は真っ青な顔になって言った。
「じゃ、じゃあ……、わたしが企画した羊文字のせいってこと、かな……?」
「いえ、企画自体は素晴らしかったと思いますが」
「で、でも……!」
「うわ~~~~っ! みんなちょっと来て!!」
葉凪が自責の念に駆られていると、ひとりスマートフォンをいじっていた六香が急に叫んだ。
再び葉凪たちが六香のスマートフォンを覗くと、映っているのは羊文字の写真であった。その投稿自体には1000件以上もの「いいね!」がついており、評判は上々に思える。
しかし、「いいね!」の数に比して不自然なほどに拡散件数が少ない。しかも、投稿に寄せられたコメントの数々も芳しいものではなかった。
『やはりなりきり垢! 我らがプチコロを騙るとは不届き千番! 許せん!!』
『コラは勘弁ですwww』
『そんな動画編集技術あるならもっとましなことにつかえ』
「罵詈雑言がパワーアップしてますね」
「っていうかコラって! なんでまだなりきりだなんて思われてるのよ!?」
「この前まではぜんぜん投稿してなかったからなんだろうけど、今回は色々アップしたのにね……」
口々に呟く3人に向かって、六香が画面のある箇所を指差す。
「葉凪ちゃん、椿月ちゃん、亜莉咲ちゃんも。ここをよーく見てみて」
「よーく……?」
3人は額がくっつきそうなほどに画像へ目を凝らした。『プチコロ!』と羊文字で描かれた画像をなめるように注意深く見ていると、ようやくひとつの違和感に突き当たる。
葉凪と亜莉咲は絶叫した。
「ああああああ『“ブ”チコロ!』になってるーーーー!!!」
なんと『プ』の半濁点の上下に羊がおらず、濁点、つまり『ブ』になっていたのだ。
続けて読むと『ブチコロ!』――あえて漢字で記すならば『ブチ殺!』である。
まさかの誤字、痛恨のミス。こんな文言の写真を公開するなんてとんでもなくファンキーな集団である。その文言、かわいさがウリのプチコロには絶望的に似つかわしくない。
確かにこれはpetit corollaを貶める為の悪質なコラージュと思われても仕方のないものであった。
葉凪は今にも消滅してしまいそうなか細い声で呟いた。
「うぅ、なんでこんなことに……?」
その時、口を引き結んでじっと考え込んでいた椿月が言った。
「『プ』……そういえば、あの箇所を作ってた時、六香ちゃんがちょっかいをかけてきたような」
「え……? あたし?」
亜莉咲もハッとして手を打つと叫ぶ。
「思い出した!! いきなり私の顔を写真で撮ったあの時!! 私ちょうど『プ』の丸の所に餌置いてた!!」
「あ、あれ~? あたし、なんかやっちゃった……?」
「りっ~~か~~!!!」
「でも! 亜莉咲ちゃんのめっちゃ可愛いマヌケ顔が取れたから! これ数万フォロワー以上の価値があるから!」
「バカにしとるのかおのれ~~!!!」
烈火の如く怒る亜莉咲。六香は彼女から逃げ出そうと勢いよく身を翻した――その瞬間であった。
「――わっはっは! そのマヌケ面とやら、ぜひわしも拝んでみたいものじゃのう!!」
突如、普通はあり得ないはずの方角――空から愉快そうな声が降ってきて、一同は身を硬くする。
葉凪たちは揃って天を仰ぎ、自分たちの上司の姿を見つけると、一斉にその名を呼んだ。
「スクナヒコさま!」
文字通り天から舞い降りたスクナヒコは4人の前に立つと、腕組みをしてひとつ頷いた。
「羊文字か。アイデアは悪くないが、お主たちはSNSユーザーの固定観念を甘く見ていたようじゃのう!
ひとたびこうと思い込めば、その固定観念を覆すのはなかなか難しいもの。なりきりアカウントだと思い込まれたままに片手落ちの写真を公開してしまえば、誤解は深まるばかりよ」
今回の企画についてはまだ報告していないのに、スクナヒコには全てお見通しのようだった。さすがは天上神と言うべきか、スクナヒコはとぼけたように宙を見て、いかにもわざとらしい口ぶりで続ける。
「えーっと確か目標は……今年中に100万フォロワーじゃったかな? で、今は86フォロワーと」
「むっ! 今回のは練習よ! 次の作戦でどっかーんとフォロワー増やすんだから!!」
ふんぞり返って亜莉咲が言うと、スクナヒコは非常に意地悪くニタ~っと笑った。
「そうかそうか。ならば、次から罰ゲーム制度も始めていいんじゃな」
「へ? 罰ゲーム……?」
「うむ。亜莉咲がそこまで大見得を切るのであれば……そうじゃなあ、次の企画で1000フォロワーを達成できなければ、罰ゲームその1ということでよさそうかな?」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな話ありましたっけ」
椿月は顔をしかめてスクナヒコを見た。葉凪、亜莉咲、六香も初耳のようで、目を丸くして上司の言葉に耳を傾けている。
「ありました。お主らがご褒美に浮かれて聞き逃したんじゃ、これマジな」
「ウソでしょ!? ご褒美だけじゃないの!?」
「そんなうまいだけの話があってたまるか。ピュアすぎて詐欺に引っかからんか心配じゃぞ、六香」
「あ、あのぉ……。スクナヒコさま。その罰ゲームの内容って……」
恐る恐る葉凪が尋ねると、スクナヒコは「うむ!」と一声。
「もし失敗した場合、お主たちにはワシの考えた特製の水着でステージに立ってもらうこととする!」
「……は?」
「イメージ画はこれじゃ! カモーン!!」
スクナヒコが指を鳴らすと、神通力でどこからともなくスケッチブックが出現する。
そこに描かれていたのは「水着」とは名ばかりの、体のラインがくっきりと浮き上がる全身タイツのようなユニット衣装であった。
スクナヒコはなんとも無邪気な笑顔で更に言い放つ。
「もちろん拒否権はないぞ。なんせ罰ゲームじゃからのう!!」
「うええええええーーーーっ!!!!」
葉凪、亜莉咲、六香の叫び声が温泉むすめ師範学校一帯にこだまする。椿月もがっくりと天を仰いだ。
期限は年内、目標は100万フォロワー。
果たして彼女たちは『petit corollaバズらせ大作戦』を見事成し遂げ、憧れの神の湯へと入ることができるのか?
はたまた、毎回の罰ゲームに弄ばれ、スクナヒコのおもちゃと化してしまうのか。
未来は誰にもわからない。だが、彼女たちなら必ずや乗り越えてくれるだろう。
頑張れプチコロ! 負けるなプチコロ! めざせフォロワー100万人!
〈おわり〉
著:山崎 亮